文化逍遥。

良質な文化の紹介。

神田明神の桜

2016年04月02日 | まち歩き
 3月31日、暖かな陽気に誘われてお茶の水界隈に出かけてきた。いつも同じようなところだが、まあ、なじみの街を四季の変化を感じながら歩くのも悪くは無いだろう。携帯で撮影。


神田明神。外国からの観光客も多かったようで、参拝の人がいっぱい。ちょうど昼時だったので周辺のオフィスから出てきて花見をする人達も加わり、境内も周辺も満員電車並みの混雑だった。


一方、こちらは大きな通りをはさんで神田明神のすぐ前に位置する湯島聖堂。江戸期は「昌平坂学問所」。徳川綱吉の時代にここに移転、以降、明治に至るまで朱子学を正学とした幕臣・藩士の学びの中心となった所。今は、人影もまばら。


同じく、大成殿(孔子廟)。


神田川の上を走る地下鉄丸ノ内線。手前がJR御茶ノ水駅、左奥に見えるのが湯島聖堂。千葉方面からは、写真奥から中央・総武線で神田川の鉄橋をを越えて御茶ノ水駅に入ってくることになるが、その時、なぜか異質な空間に入ったような不思議な気がする。また、かれこれ40年近く前に飯田橋まで大学に通学していた頃のことや、卒業後に入った会社がお茶の水にあったので、その頃の事を思い出すとなにか郷愁を誘われるようでもある。東京の中でも、好きな光景のひとつ。

 この後、例により岩波ホールで映画を観た。上映時間3時間を越える1978年イタリア映画『木靴の樹』。かれこれ3時間近くぶらぶらと歩いてから長い映画を観たらけっこう疲れて、一晩寝ても疲れが取れない。歳だね。映画の内容については、ページを改めて書くことにしよう。

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お茶の水2/22

2016年02月23日 | まち歩き
 岩波ホールに行ったので、お茶の水を少し歩いてきた。


 かつては、神田の象徴だった東方正教会ニコライ堂も今はビルに囲まれて窮屈そうに見える。
昼食を終え、お茶の水スクエアの上で一休みしている時に、このニコライ堂の鐘が鳴っていたので携帯で撮影してみた。長年このあたりを歩いてきたが、鐘の音を初めて聞いた。思いのほか、やさしい感じの音色だった。

 この後、楽器街を歩いてみた。どうも全体に楽器の値が上がっているようだ。来年には消費税が10%になるので、それを見越した需要を見込んでいるのかもしれない。それでも、なかなかの活気を感じた。すぐれたプレーヤーは少ないのに、高価な楽器をどんな人たちが買っているのだろう。もっとも、人のことが言えるほどの力量は自分には無い。
 それはそうと、最近の音楽についてのあくまで個人的な感想だが、底が浅いように感じられる。スマホなどのIT機器が発達したことにより人間同士の関係がかえって希薄になった、と指摘する専門家もいる。同様に音楽も表面的で、きちんと正面から向き合えるレベルにないものが多いように感じる。年寄りの冷や水、と言われそうだが、正直な感想なので仕方ない。
 そのような音楽の衰退には、同様に再生機器に遠因があるような気がする。すなわち、テレビやネットで聞くための音作りをしているために効果音を使い過ぎているのだ。それに引きずられて、ライブでもエフェクターを使った音作りが主流になってしまい、結果浅薄なものしか出来なくなってしまう。だいぶ以前だが、テレビで流れていたギターソロ曲が気になってCDを買い求めたことがある。それを家にあるコンポでじっくり聴いてみると「こんなもんか」とがっかりしたことがあった。プロのミュージシャンは、どうしても聞き手の求めるものを供給せざるを得ないので、その意味では仕方が無い面もあるだろう。が、このままでは先細りになる懸念を払拭しえない。

 書店街も歩いてみたが、こちらは行くたびに活気が無くなるように感じる。これも時代の流れだが、寂しい限りだ。

 岩波ホールで観た映画については、ページを改めて書くことにしよう。

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お茶の水2015/12/12

2015年12月14日 | まち歩き
 オープンバック・バンジョーの調整を頼みに神田のカワセ楽器に行ってきたので、ついでに街歩き。

 例によって工事中のお茶の水駅の写真から。

12/12午前、聖橋の上から水道橋方向を携帯で撮影。写真中央に見えているのは御茶ノ水橋、右奥が本郷になる。工事の車両や重機の下は神田川。いつ見ても、すごい工事だ。新しい御茶ノ水駅が完成すれば随分とモダンな街になるだろう。さみしい気もするが、これも時代の流れだ。変わった、といえば、神保町交差点横に古くからあった書店「書泉ブックマート」が無くなり、靴店の「ABCマート」になっていた。売上減少のためか、近くにある「書泉グランデ」に集約したらしい。学生時代から40年近く親しんできた書店だったので少しくショック。わたしが大学の頃は、書泉の労働組合が強く、店舗のあちこちにアジびらが貼られていた。置かれている本も売れ筋だけでなく人文関係の専門的な本が多かった。組合の腕章をつけた店員は緊張した表情だったが、本に関する知識はしっかりしていて、訊いたことに関しては責任ある答えが返ってきた。これも、今は昔の話。


こちらは、やはり聖橋から湯島方向を撮影。小さな森のように見えるのは孔子を祀っている湯島聖堂。江戸期は昌平坂学問所として幕府の教育機関の中心となったところ。ちなみに、「昌平坂」とはこのあたりの地名ではなく、孔子の生地からきているという。
 さらに、その奥には神田明神がある。複数の祭神を祀っているので「明神」と言うらしいが、その中には平将門も含まれている。今でも、神田明神周辺の会社や事務所などは社に背を向けていると将門に祟られるという迷信が残り、机の配置には気を配るらしい。
 そこから、さらに行くと湯島天神がある。受験シーズンを迎え、境内には絵馬の奉納が溢れるようになる。以前、そんな合格祈願の絵馬を何とはなしに見ていたら、けっこう誤字があった。頼まれた天神様もさぞ困るだろう。神頼みしている暇があったら勉強しなさい、と道真公の声が聞こえるような気もする。


 この後、神田から神保町に回り、岩波ホールで映画を観た。次回はそのレビューを書くつもり。

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加曾利貝塚、2015/11/16

2015年11月17日 | まち歩き
 例によって、墓参がてら加曾利貝塚に行ってきた。





 最近、日本の縄文期について、その文明がほとんど変化なく1万年続いたことに世界的に注目され始めているらしい。
進歩が無かったとも言えるが、安定した生活を営んでいたことは間違いない。それにつけ、思い起こすのは認知症だった亡き母のことだ。記憶が退行し、自宅にいるにもかかわらず「帰る」と言って外に出ようとする。母の帰ろうとする家も町も、すでにどこにも無い。遠い記憶の中にある古い家を求めて、さ迷う老人たち。外に出ても、まるで外国のような街並みが広がり、若い人達は外来語の多い意味不明な言葉を話している。

 言葉も通じない外国で一人ぼっちになれば、誰でもパニックになる。

 さかのぼって、縄文時代。20年で一世代替わるとして、ざっと500世代に渡り同じような風景を見、同じ生活様式を保ってきたのだ。不便で不自由なことも多かったろうが、年寄りだけでなく全ての人々は精神的には遥かに安定していただろう。

 現代の企業は会社維持のため設備投資が不可欠で、利益が出ても働く者に還元できないという悪循環に陥っている。稼いでも稼いでも、不安が後からついてくる。便利な生活と引き換えに、現代人は「こころの安定」を失ってしまったように思えてならない。

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お茶の水

2015年04月28日 | まち歩き
 4/26日の日曜に久しぶりにお茶の水へ行ってきた。一日中晴天で、乾燥した風が心地よく、歩くのに最適な一日だった。


 お茶の水橋から秋葉原方向を携帯で撮影。奥に見えるアーチ状の橋は聖橋。駅は、神田川の護岸工事を含めて改良工事中。2020年頃までには完成する予定だという。この辺りは神田川に沿って中央線・総武線が走っているので工事は大変そうだなあ。逆にその工事の難しさが昔と変わらぬ駅の風情を残してもいるのだが、バリアーフリー化するのも大切だ。特にお茶の水は周辺に大学病院が多いので、今のままでは通院する人が不自由しているだろう。

 江戸の昔、ここから本郷方面に行くには今の万世橋か水道橋の方から回らなければならなかったろう。今のような橋が出来てしまえば、このあたりが人の通行を拒む渓谷であったことなど、多くの人は気付かずに通り過ぎてしまう。
 新しい駅舎は今のホームの上に重ねるように出来るという。景観もまた、大きく変わる。

 この後、楽器店をまわり岩波ホールで映画を観た。その話題は、ページを別にして書くことにする。

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下総国分寺

2014年07月26日 | まち歩き
千葉県北西部、旧下総の国府があったあたり、今の市川市北西部を少し歩いてきた。
撮影は7/19(土)。


Edogawa1
京成電車の「国府台」という駅で降りて、江戸川へ。ここまで、歩いて5~6分。
こちらは下流方向。京成の鉄橋が見えている。

Edogawa2
上流方向。対岸は東京都江戸川区。
さらに2.5Kmほど上流(北側)には、葛飾区の柴又帝釈天や「矢切の渡し」がある。
江戸期以前は今の隅田川までが「下総」で、今でも「両国」という地名にその名残がある。
その昔、治水に手がつけられていない頃は、今の江戸川と隅田川に挟まれた地域は湿地帯で人の通行が困難だったという。そのため昔は、京都などから東北地方に行くには三浦海岸から船で房総半島に渡るルートが一般的だったらしい。鎌倉期には、千葉氏をはじめ有力な御家人が房総地方に多かったが、鎌倉に出向くにはほとんどが船を使っていたと考えられる。

Guhouzi1
江戸川河川敷から歩いて15分ほどの所にある弘法寺に上がる石段。
この左手に、真間の手児奈の伝説で有名な『手児奈霊堂』がある。この日は、ほおずき市が開かれていて屋台が出て人も多く撮影は遠慮した。

Guhouzi2
弘法寺山門。行基による創建ともいわれている古刹。

Kaku1
市川市の真間5丁目公園にある郭沫若記念館 。市川市須和田にあった旧宅を移築・復元したもの。郭沫若は戦前、10年ほど市川に住んでいたという。

Kaku2


Kaku3


Simousakokubu1
下総国分寺。創建時は法隆寺伽藍を模していたと言うが、何度かの火災の後現在の姿になったらしい。
すこし高台にあるこのあたりが、奈良・平安の頃は下総における政治文化の中心地ということになる。

Simousakokubu2
同寺の境内。


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芝山古墳・はにわ博物館

2014年07月05日 | まち歩き
7/1(火)、千葉県芝山町にある町立のはにわ博物館に行ってきた。


P7010090
JR総武本線の松尾という駅。ここから、「ふれあいバス」という運賃の安いバスに約15分ほど乗り「芝山仁王尊」へ。

P7010096
芝山公園の前の田園風景。古墳時代は、このような光景こそが「豊かさ」の象徴だったに違いない。

P7010106
博物館入口。

P7010108
展示室。撮影可ということだったので撮ってみたが、ガラス越しなので反射が写りこんでしまった。
ここ旧下総台地は古墳が多いので、埴輪も多く出土する。

P7010145
博物館の上空を通過する飛行機。
成田空港まで7Km程の所に位置するので、飛行機はすでに着陸態勢に入っていて脚を下している。下から見上げていると、通過してゆくと言うより落ちていく感じだ。

P7010149
芝山仁王尊。ここにも「芝山ミューゼアム」という埴輪を中心とした博物館がある。
飛行機が写りこんでしまったが、何しろ頻繁に通る。
私の住む千葉市でも羽田空港に向かう飛行機による騒音が問題になっているが、このあたりの飛行機の音は段違いに大きく頭に響く感じがした。以前、羽田をハブ空港とする方針が出て千葉県知事が怒ったことがあった。が、私は成田を貨物や悪天候などの緊急時に使う空港にして、離着陸を減らす方が地域住民のためには良いのではないかと思っている。

P7010148
同寺の三重塔(千葉県文化財)。

P7010153
帰りは、やはり「ふれあいバス」に25分ほど乗って、京成電車に乗リ入れているの芝山鉄道の「芝山千代田」という駅から帰途についた。この駅の向こう側は、道一本置いて成田空港の滑走路。





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千葉公園の蓮、つづき

2014年06月21日 | まち歩き
新しいデジカメでの撮影、前回の続き。
撮影は6/20午後。

Lotus
だいぶハスの花の蕾が増えてきた。

Lotus2
朝早く咲き、午後には萎んでしまう。なので、午前中に撮れば良いのだが、あまりに人が多くて落ち着いて撮影できない。

Azisai
アジサイ。

Gakuazisai
ガクアジサイ。

Butterfly
夕陽を浴びる蝶。




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千葉公園の蓮

2014年06月14日 | まち歩き
千葉公園にある蓮田に今年も大きな花が咲いたので、6/8少し写真を撮ってきた。

実は、所有している本などを近々移動しなければならないので、本やCD・LPなどを少し売ることにした。
近所にある個性的な古本店『ムーンライト・ブックストア』さんに持ち込んだところ予想よりも高く買ってくれたので、小型のデジタルカメラを新調することにした。
今まで使っていたデジカメは、記憶媒体が今では入手困難なスマートメディアだし、調子もあまり良くなかった。
新たに購入したのはオリンパスの「XZ-2」というタイプで、型が古いので2万3千円ほどだった。が、その性能の良さにびっくり。
別に持っている安いデジタル一眼に比べても基本性能は遜色ないほどだ。
うれしくなって撮ったのが下の写真というわけだ。

Lotus5
千葉市では、古代の蓮の実が発見されていてそれを再生したのがこの蓮田。発見者にちなみ、「大賀ハス」と云われている。

Lotus1


Lotus2
梅雨時の雨滴をのせた蓮の葉もなかなか美しい。

Lotus3


Lotus4



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浅草

2014年05月24日 | まち歩き
5月23日、浅草を歩いてきた。
JR浅草橋で降り、ぶらぶらと北へ、目的もなく歩いて行く。

Torigoe2
鳥越神社。浅草橋から北へ7~8分歩いたところにある。
江戸期には浅草寺に劣らぬ参拝者を数えていたというが、今は御覧のとうり静かな時が流れている。
実は、この神社は歴史的にとても重要なところなのだが、それについては今は書かない。

この後、浅草寺に回ったが、修学旅行の子供や外国人旅行者で汗が掛かりそうな賑わい。
なので、写真は撮らずに隅田川へ。

P5230008
水上バスと東武線の鉄橋。


P5230009
言問橋。

P5230015
隅田川の遊歩道。
この左側奥が、昔、吉原(正確には新吉原)があったところ。

P5230017
歩行者専用の桜橋。上から見るとアルファベットのX形をしている。

P5230020
桜橋から見たスカイツリー。人気の観光スポットだが、どう見ても美しい姿には見えない。




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坂―本郷(その4)

2013年03月17日 | まち歩き
またまた坂の話。
本郷にある鐙(あぶみ)坂。
わたしの東京で一番好きな場所がこの辺り。が、マナーの悪い見学者もいるらしく、住んでいる方々が迷惑しているということも聞いている。そこで、あまり具体的に位置情報を書かないことにする。考えてみれば、自分の家の写真が知らない間に他人のブログに掲載されていることもあまり良い気はしないかもしれないので、路を中心に撮影したものだけ選んで載せておくことにしよう。
撮影は3/15午前。天気がよかったので、携帯でもけっこうきれいに撮れた。

Kc3n0033
右側に見える建物の白い土台中ほどに文京区が設置した掲示板があり、金田一京助の旧居跡とある。ということは、『アイヌ神謡集』をものした知里幸恵の終焉の地もこの辺りだったことになる。個人的には、知里幸恵は現代表記による詩人としては明治以降現代までで極めて重要な人物だと思っている。と言うか、現代詩と言いながら結局は七五調に頼ってしか書けなかった明治以降の詩人に比して、自由な形式ですぐれた作品にまで昇華させることができたのは知里幸恵ただ一人と言っても過言ではない、とさえ考えている。1922年(大正11年)9月18日に19歳という若さで亡くなったことに無念さを感じる。長生きしていれば、日本の詩の形態が変わっていた可能性すらある。

Kc3n0034
坂の曲がっている形が鐙に似ているため鐙坂という名がついた、とも掲示板にある。


Kc3n0038
路地を入って・・・

Kc3n0040
さらに進み・・・

Kc3n0041
石段を下りてゆく・・・

Kc3n0042
樋口一葉の旧居跡。一葉が使ったという古い井戸が今も残る。
東京ドームまで歩いて15分ほどの所にこんな町並みが残っていることは奇跡的だ。特別保存地区にでも指定して、固定資産税を減免し、耐震補強等には補助を出してはどうだろう。

Kc3n0053
一葉も通ったという古い質店の蔵。すでに経営はしていないが、菊坂に蔵は残っている。火災に耐えられるようにしっかりと漆喰が塗られ扉も頑丈そうだ。左奥に木戸口がある。

Kc3n0056
おそらく、ここが客の出入り口だったのだろう。目立たぬよう、表道りからはすこし奥まったところにある。
江戸期には火事が多かったので、庶民は季節の着物や礼服などは質に置いていたといわれている。時期が来ると流されないように利息を支払った。これを「利上げ」と言う。つまりは保管料というわけで、質店は江戸期には今で言う貸金庫あるいはトランクルームの役割を果たしていたのだった。




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お茶の水

2013年02月24日 | まち歩き
乾燥した冬晴れが続く中昨日は久々にお茶の水まで行って、買い物がてら楽器店や書店を少し廻ってきた。気温は低めだったが日差しはすでに春の気配を感じさせ、歩いていると体が温まるようだった。

だだ、欲しかった弦が手に入らなかったこともあって、楽器店はどこも似たり寄ったりで新鮮味に欠けているような気がした。今は、ネット通販でパーツや弦などの消耗品が買えるのでそれも仕方ない気もするが、すこしがっかり。
売れ筋の物しか置かない店が、ネット通販が普及して増えたような気がする。そうなると、ますます足を運んで出かける気がしなくなってくる。
それも時代の流れか。

某楽器店で、ギターもすこし試奏させてもらった。
最近のギターは、ネックの形状が全体的に変わって来ているようだ。フィンガーピッキング向きに薄めで平たい、クラッシックギターに近いものが主流になっているように感じる。我が家にあるような、太くて指盤のRが小さい(丸みの強い)丸太のようなネックのギターは、今はあまり好まれなくなっているようだ。
なくなると困るので、せいぜい大切にしよっと。


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坂―湯島天神

2012年11月24日 | まち歩き
湯島天神から上野、下谷方面に急な階段の坂道が二本ある。撮影は2011年3/11午前。

Kc3n0071
古典落語の名作中の名作『柳田角之進(演者によっては格之進)』の最終場面に、雪の降る湯島天神の坂を下ってゆく柳田が自分を盗人扱いにした番頭と出合うところがあるが、この坂を想定した描写だと思われる。
10代目金原亭馬生の『柳田』は絶品。53分に及ぶ長演のCDは、落語を「笑い話」程度に思っている人にはおすすめ出来ないが、個人的には歴史的録音と思っている。

Kc3n0070
こちらは、上の写真の横手にある少し緩い坂。


坂の話は、とりあずここまでで一時終了。




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坂―本郷(その3)

2012年11月18日 | まち歩き
本郷、菊坂。白山方面に向かっての緩やかな下り坂。明治の頃を感じさせる風が吹いている。
撮影は、2011年3月11日。震災の4時間ほど前。
Kc3n0068

江戸川柳に、「本郷もカネヤスまでは江戸のうち」とある。
「カネヤス」といのは、本郷3丁目の交差点かどに今もある雑貨店のことで、この菊坂の上の方にある。
つまり、江戸時代はこの辺りまでが「江戸」という都市部で、ここから先は「在」という農村部であった、ということらしい。

江戸期最大の火事と言われる1657年正月の「明暦の大火(振袖火事)」はこの辺りが出火場所と言われる。北は千住から南は目黒まで三日三晩焼けつづけ、死者は10万人とも言われている。厳寒期のことで、火を避けるために水をかぶったりあるいは川に飛び込んだりして凍死した人も多かったらしい。両国にある回向院は、その時の犠牲者を弔うために建てられたという。


Tadonzaka
炭団(たどん)坂。菊坂から神田川方向に歩いてすぐの所。

Tadonsaka1
炭団坂の上から、菊坂方面。


坂の話まだ続く(予定)。


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坂―本郷(その2)

2012年11月11日 | まち歩き
ずいぶんと秋らしくなってきた。銀杏並木も少し色づきはじめている。
なかなかいい季節だ。
さて、本郷界隈の坂、前回の続き。

Kc3n0014
壱岐坂。坂を下って正面奥に見えている丸い建物は東京ドーム。
この坂の中腹から右手奥に7~8分歩いてゆくと鏑(かぶら)坂という急な階段があり、その下に樋口一葉の旧居跡が残っている。一葉は、この壱岐坂から車(人力)をひろったという記録もある。
 11/24訂正―この坂は正確には「新壱岐坂」という名だった。昭和になってから旧壱岐坂の脇に切り開くようにつくられたらしい。昔からの壱岐坂は、この写真右手にある白いビルが東洋学園大学でその奥にある細い坂道に名残を残しているだけ、と案内板にあった。

Kc3n0023
鏑坂に向かう道すがらにある古い旅館。
東京大学まで歩いて10分程の所なので、入試のシーズンにはこのような食事の世話もしてくれる旅館を選んで泊まる受験生も多いらしい。

Kc3n0019
さらにその奥にある路地裏。
後楽園の観覧車が背後にそびえている。が、この辺りは生活しいている人の空間で、静寂が支配している。

この項、さらに続く(予定)。


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