ライトニン・スリム(Lightnin' Slim)は本名オーティス・ヒックス(Otis Hicks)、1913年セントルイスで生まれ、1974年にデトロイトで亡くなっている。しかし、活動したのは主にルイジアナで、同州の州都バトンルージュの「エクセロ」というレーベルに録音を多く残している。
若い頃、10代には農場労働者としてルイジアナに移り、ギターは父親に教わったという。1946年頃に、バトンルージュに移り、小さなクラブなどで演奏活動を始めたらしい。そして、1954年には最初の録音の機会に恵まれている。1955年から1966年までエクセロに録音を続け、1960年代中頃にデトロイトに移ったという。その後、成功には恵まれない期間もあったが、1970年には再びエクセロと契約、ヨーロッパなどへのツアーにも参加した。
下のLPは、Flyrightというイギリスのレーベルから出たものだが、録音はルイジアナでのものだ。ルイジアナは、ミシシッピーよりも南に位置するのだが、むしろ都会的なセンスを感じさせるミュージシャンも多い。あるいは、歴史的にフランス領だったりしたことや、海に面していることから海運による独自の文化が発展していたのかもしれない。ブルースマン達も、シカゴのブルースマンとは一味違った味わいがある。ルイジアナ州は湿地帯(Swamp)が多いので、スワンプ・ブルースなどとも呼ばれるが、後のロックに与えた影響も大きい。
ライトニン・スリムのギター・スタイルは、タメのきいたシャッフルもあるが、8ビートよりの独特のノリを生み出している曲もあり、クラブなどで観客が体を動かして喜ぶのが想像される。
それにしても、ルイジアナのブルースマン達は、芸名が面白いものが多い。ライトニン・スリムのレーベルメイトでもあり親友でもあったというスリム・ハーポはまだいいにしても、ロンサム・サンダウンになると「孤独な夕暮れ」あるいは「淋しい夕暮れ」というほどの意味なので、そんなんありか?と言いたくなる。他にも、エクセロには奇抜な芸名があったらしい。あるいは、レーベルのプロデューサーが個人的な好みで付けていたのかもしれない。それでも、まあそれぞれに実力があり人気もあったのだから音楽活動を続けられたわけだ。
わたしも若い頃、某ライブハウスのマスターから「カントリー・ブルース齋藤」で行こう、と言われた事があったなあ。むろん、丁重にお断りした。
若い頃、10代には農場労働者としてルイジアナに移り、ギターは父親に教わったという。1946年頃に、バトンルージュに移り、小さなクラブなどで演奏活動を始めたらしい。そして、1954年には最初の録音の機会に恵まれている。1955年から1966年までエクセロに録音を続け、1960年代中頃にデトロイトに移ったという。その後、成功には恵まれない期間もあったが、1970年には再びエクセロと契約、ヨーロッパなどへのツアーにも参加した。
下のLPは、Flyrightというイギリスのレーベルから出たものだが、録音はルイジアナでのものだ。ルイジアナは、ミシシッピーよりも南に位置するのだが、むしろ都会的なセンスを感じさせるミュージシャンも多い。あるいは、歴史的にフランス領だったりしたことや、海に面していることから海運による独自の文化が発展していたのかもしれない。ブルースマン達も、シカゴのブルースマンとは一味違った味わいがある。ルイジアナ州は湿地帯(Swamp)が多いので、スワンプ・ブルースなどとも呼ばれるが、後のロックに与えた影響も大きい。
ライトニン・スリムのギター・スタイルは、タメのきいたシャッフルもあるが、8ビートよりの独特のノリを生み出している曲もあり、クラブなどで観客が体を動かして喜ぶのが想像される。
それにしても、ルイジアナのブルースマン達は、芸名が面白いものが多い。ライトニン・スリムのレーベルメイトでもあり親友でもあったというスリム・ハーポはまだいいにしても、ロンサム・サンダウンになると「孤独な夕暮れ」あるいは「淋しい夕暮れ」というほどの意味なので、そんなんありか?と言いたくなる。他にも、エクセロには奇抜な芸名があったらしい。あるいは、レーベルのプロデューサーが個人的な好みで付けていたのかもしれない。それでも、まあそれぞれに実力があり人気もあったのだから音楽活動を続けられたわけだ。
わたしも若い頃、某ライブハウスのマスターから「カントリー・ブルース齋藤」で行こう、と言われた事があったなあ。むろん、丁重にお断りした。