先週5/15(金)自転車で墓参に行ったので、途中にある「縄文時代の水場」と考えられている場所の写真を携帯で撮ってきた。撮影場所まで、自転車で20分くらい。
千葉市内にある貝塚は、ほぼ例外なく川の近くの丘のようになっている台地上にある。川を利用して海から丸木舟で貝を運び、土器で煮たりして加工したと考えられている。上の写真は、千葉市若葉区貝塚町にあり、現在は調整池となっている場所。谷底のような地形で、写真左端には水が枯れない場所もある。つまりは、自然の井戸とも言える所で、川の源となり「葭川(よしがわ)」という川に縄文期は合流していた。しかし、今は流れが変わっていて、従って水系も変化している。
ここから特別史跡の「加曾利貝塚」までは直線で2キロメートル弱だが、加曾利貝塚は「坂月川(さかづきがわ)」という川を利用しており、都川水系になる。4/17のこのブログに書いた、国指定の史跡「荒屋敷貝塚」は、写真右上の方向にある。その他にも、大小20近くの貝塚がこの周辺に確認されていて、縄文期には、ここまで舟で貝を運び、あるいは、水を汲んだりしたと考えられている。
この辺りは、貝塚町という地名のとおりで、何処を掘っても昔の貝が出てくるようなところだ。おそらく、上の写真に写り込んでいる高圧電線や鉄塔を除けば、この辺りの光景は縄文の昔からあまり変わっていないのではないかと思われる。
ここも、本格的に発掘調査すれば、ほぼ確実に縄文期の遺物が出土すると言われている。が、現在は周辺に住宅等が多く建っており、時に粗大ごみがここに不法投棄されていたりする。地元の人に、特に子供たちには、この場所の歴史的な重要性をよく知ってもらい、自分たちの住んでいるところが太古の昔から多くの人々が生活を営んでいたのだと想像してもらえたら、と思っている。
千葉市内にある貝塚は、ほぼ例外なく川の近くの丘のようになっている台地上にある。川を利用して海から丸木舟で貝を運び、土器で煮たりして加工したと考えられている。上の写真は、千葉市若葉区貝塚町にあり、現在は調整池となっている場所。谷底のような地形で、写真左端には水が枯れない場所もある。つまりは、自然の井戸とも言える所で、川の源となり「葭川(よしがわ)」という川に縄文期は合流していた。しかし、今は流れが変わっていて、従って水系も変化している。
ここから特別史跡の「加曾利貝塚」までは直線で2キロメートル弱だが、加曾利貝塚は「坂月川(さかづきがわ)」という川を利用しており、都川水系になる。4/17のこのブログに書いた、国指定の史跡「荒屋敷貝塚」は、写真右上の方向にある。その他にも、大小20近くの貝塚がこの周辺に確認されていて、縄文期には、ここまで舟で貝を運び、あるいは、水を汲んだりしたと考えられている。
この辺りは、貝塚町という地名のとおりで、何処を掘っても昔の貝が出てくるようなところだ。おそらく、上の写真に写り込んでいる高圧電線や鉄塔を除けば、この辺りの光景は縄文の昔からあまり変わっていないのではないかと思われる。
ここも、本格的に発掘調査すれば、ほぼ確実に縄文期の遺物が出土すると言われている。が、現在は周辺に住宅等が多く建っており、時に粗大ごみがここに不法投棄されていたりする。地元の人に、特に子供たちには、この場所の歴史的な重要性をよく知ってもらい、自分たちの住んでいるところが太古の昔から多くの人々が生活を営んでいたのだと想像してもらえたら、と思っている。