文化逍遥。

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作草部遺跡

2020年05月25日 | 考古・エッセイ
 我が家から歩いて7~8分のところに「作草部(さくさべ)神社」という古い社がある。境内を歩いていると、時に古い貝を見つけることがあり、その中には「イボキサゴ」という現代では食べない貝もあったりするので、ひょっとしたら貝塚ではないかと思っていた。そこで、インターネットで調べてみたところ、「千葉県文化財地図」というものに「作草部遺跡」として掲載されていることが分かった。この周辺からは縄文から平安時代までの遺跡がかなり確認されている。が、私有地にあるものに関しては、簡単な調査をした後地主に返還されたようで、今では宅地などになってしまっている場所も多い。その中でも「作草部遺跡」は、神社あるいは公園なので、今でも貝塚の一部を観察できる。


 作草部神社。左端に案内板が見え、下の写真はその一部を大きくとったもの。周辺の遺跡については書かれているが、当の「作草部遺跡」に関しては、書かれていないのが残念。



 境内には、こんな感じで貝が落ちているが、これだけだと誰かが捨てたものとしか見えない。


 こちらは、上の写真から少し離れたところだが、かなりな量の貝が確認できる。下の写真は、拡大して撮ったもの。白く見えているのが貝殻で、二枚貝が多いようだ。



 こちらは、作草部神社横にある「都賀公園」。平安時代の焼物である土師器(はじき)などが、ここから出土している。


 作草部神社から坂を下って、数分歩いたところにある葭川の支流。写真奥が下流方向で、現在では千葉市中心部を流れ下り、河口近くで都川と合流して東京湾に至る。しかし、縄文期は気候が温暖で、海が今より内陸に入り込んでいて川の流れも今とはかなり違っていたと考えられる。この辺りも、わたしが子供の頃は、この様な護岸工事はされておらず、周辺も湿地帯のようになっていた。フナ釣りなども出来たものだった。縄文期には、この川を利用して海から丸木舟で貝を運んだと考えられる。


 こちらは、上流方向。この先、水源地近くには、レッサーパンダの「風太」が立ち上がるとかで、一時話題になった「千葉市動物公園」がある。実は、そこも石器時代からの遺跡があり、考古学的には重要な場所。

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