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わたしのレコード棚ーブルース103 R.L.Burnside

2020年09月14日 | わたしのレコード棚
 1996年3月21日木曜日夜、わたしは、東京タワー近くにあった「Volga(ヴォルガ)」という店に向かった。すでに、4半世紀近くも前のことになるが、今でも記憶は結構鮮明だ。その月の18日から30日まで、R.L.バーンサイド(R.L.Burnside)のライブが行われていたのだった。

 店の入り口にはドアボーイが立っているような店で、ちょっと入りにくさがあったが、中は普通のレストランにステージがしつらえてあるような、けっこう親しみやすいところだった。客はまばらで、食事をしに来ていると思しきグループが一組、端の方にブルース・インターアクションズの編集者らしき人が数人いただけだった。あまり宣伝してなかったようで、この日ブルースを聴くために来店した客は、私一人だけだったようだ。

 バンドの編成はシンプルで、ヴォーカルとギターのR.L.バーンサイド、ドラムス、セカンド・ギター、という3人編成。バーンサイドが一人で3曲ほど演奏した後に、バンドでの演奏に入っていった。ちなみに、バーンサイドの使っていたのはギブソンのレスポール・ジュニアという、かなり使い込んだエレキギターだったように記憶している。他のメンバーは、白人プレーヤーだった。けっこうダウンホームなブルースを聴かせてくれたが、何しろ慣れない土地で客とのコミュニケーションも取れない状況の中での演奏は「手探り」状態で、必要以上に慎重になっていたようだった。まあ、それはしょうがないか。わたしの記憶では、その翌年にバーンサイドは、新宿でのブルースフェスティヴァルに出演するため再来日している。その時は、残念ながら、わたしは聴いていないが、結構盛り上がったらしい。

当時のヴォルガのスケジュール葉書。この店について、少し調べてみたが、今は無くなったようだ。

 さて、バーンサイドは、1926年11/23ミシシッピー州オックスフォード(Oxford)生まれ、亡くなったのは2005年9/1メンフィスだった。年代としては、マディ・ウォータースよりも一回り若い、ということになる。が、その演奏スタイルは、かなり古いタイプのカントリー・ブルースで、ミシシッピー・フレッド・マクドウェルなどに影響を受けているらしい。


 ARHOOLIEレーベルのCD402。1967年と翌1968年ブルース研究家でありプロデューサーでもあるジョージ・ミッチェル(George Michell)がミシシッピーに出向いて録音した3人のブルースマンの演奏を収録。バーンサイドのアコースティックギターによるヴォーカル10曲のほかに、ジョー・キャリコット(Joe Callicott)の同じくアコースティックギターによるヴォーカル11曲。さらには、ヒューストン・スタックハウス(Houston Stackhouse)のエレキギターとヴォーカルによるバンドでの演奏4曲を収録。バーンサイドは40歳を過ぎていたはずだが、この時が最初のレコーディングだったようだ。


 CDジャケット内の写真。


 こちらは、カセットテープで発売されたもので、Burnside Records#101となっているので、おそらくは自主製作されたもの。テープなどには録音データは記されておらず、いつ頃どこで買い求めたのかも記憶に残っていないが、1980年代に御茶ノ水のレコード店だったような気もする。やはり、アコースティックギター一本での弾き語りで、かなりプリミティブなブルースになっている。若い頃の写真は、かなり痩せているように見えるが、わたしがライブで見た時には、かなりふっくらした感じだった。

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