ロバート・ウィルキンス(Robert Wilkins)は、1896年1月16日ミシシッピー州ハーナンド(Hernando)に生まれ、1987年5月26日にメンフィスで亡くなっている。晩年まで演奏を続け、91歳まで生きた長寿の人だった。
彼は、1915年頃にメンフィスに移り、街角で演奏してチップを稼いでいたらしい。その後、第一次世界大戦に従軍。除隊後は、再びメンフィスに戻りダウンホームなブルースをストリートで演奏して、1928年9月にはヴィクター・レーベルに最初の録音をしている。最も早い時期に録音できたブルースマンの一人だった、と言える。1935年頃に、「The Church Of God In Christ」というプロテスタント系の宗派の牧師になった。それ以降は、聖職者を意味するレヴァレンド(Reverend)・ロバート・ウィルキンスとも呼ばれる。
その後は目立った音楽活動はしていなかったようだが、1960年代のフォーク・リヴァイバルで「再発見」され、再び表舞台に登場することになる。その再発見後は伝道者(evangelist)として、晩年までブルース調のゴスペル(聖書や信仰に基づく曲)などを中心に演奏・録音している。その頃、すでに70歳位だったはずだが、下のLPなどを聴いても、衰えは感じない。すばらしい持続力。
余談だが、ブルース系のミュージシャンの中には、ゴスペルナンバーを中心に歌う人もいれば、レパートリーに宗教的な意味を持つ歌を多く入れている人も少なくない。その中で、どういった人が「レヴァレンド」と呼ばれるのか、厳密にはわたしにも分からない。おそらく、キリスト教の宗派の中で正式に牧師あるいは説教師として認められた人たちなのではないだろうか。他にレヴァレンドと呼ばれる人には、思いつくままに書いてみると、レヴァレンド・ゲーリー・デイビス、レヴァレンド・パーリー・ブラウン、レヴァレンド・J・M・ゲイツ、などがいる。
OJLのLP、8052。1964年2月、ワシントンでの録音8曲を収録。
ジャケット裏。
彼は、1915年頃にメンフィスに移り、街角で演奏してチップを稼いでいたらしい。その後、第一次世界大戦に従軍。除隊後は、再びメンフィスに戻りダウンホームなブルースをストリートで演奏して、1928年9月にはヴィクター・レーベルに最初の録音をしている。最も早い時期に録音できたブルースマンの一人だった、と言える。1935年頃に、「The Church Of God In Christ」というプロテスタント系の宗派の牧師になった。それ以降は、聖職者を意味するレヴァレンド(Reverend)・ロバート・ウィルキンスとも呼ばれる。
その後は目立った音楽活動はしていなかったようだが、1960年代のフォーク・リヴァイバルで「再発見」され、再び表舞台に登場することになる。その再発見後は伝道者(evangelist)として、晩年までブルース調のゴスペル(聖書や信仰に基づく曲)などを中心に演奏・録音している。その頃、すでに70歳位だったはずだが、下のLPなどを聴いても、衰えは感じない。すばらしい持続力。
余談だが、ブルース系のミュージシャンの中には、ゴスペルナンバーを中心に歌う人もいれば、レパートリーに宗教的な意味を持つ歌を多く入れている人も少なくない。その中で、どういった人が「レヴァレンド」と呼ばれるのか、厳密にはわたしにも分からない。おそらく、キリスト教の宗派の中で正式に牧師あるいは説教師として認められた人たちなのではないだろうか。他にレヴァレンドと呼ばれる人には、思いつくままに書いてみると、レヴァレンド・ゲーリー・デイビス、レヴァレンド・パーリー・ブラウン、レヴァレンド・J・M・ゲイツ、などがいる。
OJLのLP、8052。1964年2月、ワシントンでの録音8曲を収録。
ジャケット裏。