12/2(金)、晴れて気温16度。穏やかな陽気の中を、船橋市にある「飛ノ台(とびのだい)史跡公園博物館」に行ってきた。
最寄りの駅は東武野田線の新船橋で、歩いて7~8分といったところ。帰りはJRの船橋駅まで歩いてみたが、20分位だった。
手前が遺構で、左下白く雪のように積もって見えるのが貝塚の一部を展示してあるもの。奥の建物が博物館。携帯で撮影。
今月いっぱい、船橋の遺跡から出土した土器や石器などで、他の研究機関や個人が所蔵している資料を集めて「里帰りした資料(モノ)たち」というコンセプトで展示している。入館料100円を払うとこのパンフレット(10ページ)をくれる。
土器の豊富さもさることながら、黒曜石の石器がとても美しかった。石の産地は信州や栃木、伊豆七島の神津島などであるという。原始的なイメージのある縄文期だが、当時の交流および流通は我々の想像をはるかに超えて進んでいたのだ、と改めて感じた。当時は、やはり物々交換だろうから、黒曜石の原石を得るために何かと交換したのだろう。想像するに、やはり貝などの海産物を干して日持ちするようにした物などではなかったろうか・・・他に何かあるかなあ。
貝塚から出る貝の種類について、千葉市にある加曾利貝塚ではキサゴという小さな巻貝が圧倒的に多いが、こちら飛ノ台貝塚ではアサリなどが多数であるという。地域によりかなり違いがあるのは興味深い。ちなみに、貝塚の数は千葉県がダントツに多い。現在、確認されている貝塚は1500ほどらしいが、その3分1以上が千葉県に集中しているという。もっとも、あくまで現在確認されている貝塚数であって、特に都市部では現実的に発掘は不可能なので埋もれてしまっている可能性は大きい。
印象深かったのは、男女の遺体が抱き合うように埋葬された墳墓で、二人の関係は不明だが兄妹か夫婦ではないかという。当時のことなので、流行り病か事故で二人が時を違わずして亡くなったのだろう。哀れだが、昔日の人達の情を感じさせてくれる遺跡だった。
最寄りの駅は東武野田線の新船橋で、歩いて7~8分といったところ。帰りはJRの船橋駅まで歩いてみたが、20分位だった。
手前が遺構で、左下白く雪のように積もって見えるのが貝塚の一部を展示してあるもの。奥の建物が博物館。携帯で撮影。
今月いっぱい、船橋の遺跡から出土した土器や石器などで、他の研究機関や個人が所蔵している資料を集めて「里帰りした資料(モノ)たち」というコンセプトで展示している。入館料100円を払うとこのパンフレット(10ページ)をくれる。
土器の豊富さもさることながら、黒曜石の石器がとても美しかった。石の産地は信州や栃木、伊豆七島の神津島などであるという。原始的なイメージのある縄文期だが、当時の交流および流通は我々の想像をはるかに超えて進んでいたのだ、と改めて感じた。当時は、やはり物々交換だろうから、黒曜石の原石を得るために何かと交換したのだろう。想像するに、やはり貝などの海産物を干して日持ちするようにした物などではなかったろうか・・・他に何かあるかなあ。
貝塚から出る貝の種類について、千葉市にある加曾利貝塚ではキサゴという小さな巻貝が圧倒的に多いが、こちら飛ノ台貝塚ではアサリなどが多数であるという。地域によりかなり違いがあるのは興味深い。ちなみに、貝塚の数は千葉県がダントツに多い。現在、確認されている貝塚は1500ほどらしいが、その3分1以上が千葉県に集中しているという。もっとも、あくまで現在確認されている貝塚数であって、特に都市部では現実的に発掘は不可能なので埋もれてしまっている可能性は大きい。
印象深かったのは、男女の遺体が抱き合うように埋葬された墳墓で、二人の関係は不明だが兄妹か夫婦ではないかという。当時のことなので、流行り病か事故で二人が時を違わずして亡くなったのだろう。哀れだが、昔日の人達の情を感じさせてくれる遺跡だった。