King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

oris constantin キアヌよ

2005年04月26日 02時09分23秒 | 日々のこと
今年のゴールデンウィークの映画ってあまりぱっとしない感じです。
今日『コンスタンティン』を観てきました。
大作は、五月以降次々に公開されるようです。オスカーがらみの
話題作も。

よく誤解されている方がいますが、アメリカ映画でも神やキリストが
題材になる事がありますが、宗教とか信仰とかは題材や主題の映画は
少ないのです。聖書の物語とか聖書にまつわる話とかが出ると即宗教
映画ととる人がいますが、それ違います。

今回は悪魔祓いの話であり、ジョン・コンスタンティンの話で荒唐無稽の
娯楽映画です。まじめに宗教や信仰やキリスト教についての話ではありません。
中には、そういう超常現象がキリスト教の中にも頻繁に起こりキリスト教の
一部にエクソシストがいると思っている人がいます。確かに最初にエクソシストを
観たときにはショックでした。こんな映画作っていいのかと本気で思いました。

世の中は悪と善がせめぎあっていて拮抗しているから平衡が保たれている。
そんなわけはありません。神はわがままなガキと同じだ。何も考えていない。
主人公のジョン・コンスタンティンは二度死に掛けて神は全て計算されていると
知るのです。私は禁煙映画かと思いました。

宗教主題でないから、こうまで色々できるのです。『パッション』も聖書の
物語を語ったからああまで残酷にできるのです。人の信仰や宗教をどうこう
するものだとそれはできないでしょう。神や悪魔や天使が出てくる映画は実に
多いです。この映画を観てすぐ『ドグマ』を思い出しました。あれを観たときには
こんなことやっていいのかと思いました。しかし、今思えばこれは娯楽映画で
あり、信仰をとく映画ではないという事がわかります。宗教の映画でもありません。

日本人は宗教に疎いから、これがアメリカ的に宗教を描いた映画だと思っちゃうん
ですね。ただ疑問に思ったのは、一番初めにでてくるロンギヌスの槍のことで
すぐこれは形状で解りました。ナレーションのナチが見つけてその後見つかっていないと
いうことでしたが、映画の中ではロンギヌスの槍という言葉は使っていません。
原語も訳語も違いました。裁きの槍とかそんな簡単な単語でした。その槍でキリストは
死んだと言っていましたが、聖書上は磔で窒息死したのではないでしょうか。
その後、その死を確かめるべく槍を挿すのですが、その時に体からは水がでたと
なっていて、それを浴びた隊長の白内障が治るという奇跡が起きています。

考えてみるとせいぜい2000年前のキリストゆかりの品々は皆なくなっていて、それが
あれば奇跡を起こすという言い伝えばかりが残っています。しかし、エジプトには
それ以上前の王家の遺品や神にまつわる品々が残っています。そのエジプトから脱出
したユダヤ人を導きやがて救世主が出てきて救われたはずの人達が実際はナチに
迫害されあわや滅亡の危機にまでさらされてしまうという現実とそんな人達が信仰する
宗教がイスラム、キリスト、仏教と三大宗教として残る一角になっている現実。
世界で一番リッチな国で一番多い信仰の宗教です。

で地獄と天国が出てくるのですが、キリスト教では自己犠牲が最大の信仰でもないし、
それが一番いいことでもありません。自殺は大罪でカソリックでは葬儀されないというのは
事実だと思います。だからと言ってアメリカ人はみんなそんな考えなんだと思わないことです。
これは悪魔退治の話であり宗教は別なんです。地獄や悪魔が怖いから宗教に入ると
いうのは大きな間違いです。日本人には宗教的教育がないからこんな子供だましに
簡単に引っかかります。だからオームのようなカルト教団にすぐころっと騙されて
しまうのです。

人を大量に殺してみたいなんて変なやつが多くなるのです。人なんて一人のミスで
簡単に死んでしまうのです。兵庫県尼崎市のJR福知山線の脱線事故のように人は
あっけなく死んでしまうのです。大惨事は突然やってくるのです。平和も簡単に
ばかな政治家や指導者のせいで壊れてしまうのです。だから皆さん。これは映画だと
映画として楽しめる大人になりましょう。スリムでクールなキアヌは格好いいです。
彼がさりげなくはずす時計がオリスでした。このコンスタンティンと言う名もなぜか
そうすると意味があるような。
コメント
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