最近言われるようになったシルバーウィーク
ですが、この五連休中はなんとも気持ちよい天気が
つづきました。
色々の予定も恙なく過ぎ、連休を乗り切ったという感じです。
そして見事に天気は反転し、昨日からはまた雨続きです。
先週は雨の中でも走りましたが、今週は素直にジムに行きました。
なかなか運動をできる時間もとれなくなっていますが、それでも
いつものジムのメニューをこなすといつも約束されたように
快感と達成感のようなものが去来します。
誰かに肯定さたかのような後ろでうんうんと言われているような
そんな感じもするのです。
とにかく人にはいちいち言わないけれどという努力は誰でも
しているし、飲食会やサーピース業では当たり前という私が
思う努力も実は意外と身の回りでなされている例は見ません。
それをいちいちあげつらうごとく指摘はしませんが、最低の基本と
いうものも時にないがしろにされている例にはいつも心寒い思いを
します。
ひとつだけ言わせてもらうと飲食業で味にこだわりを持つという
店の店主がうんちくを語るときにタバコを吸いながらいやあ俺の
店はこういうことをしているから他とはいや味が違うんだよと
自慢げに語るシーンがよく秩父にもあるのです。
まずは禁煙してからにしてくれと思うのですが、秩父今はやっている
店というのがホルモンとかわらじカツとかミソ豚丼などですから、
繊細な味がどうこう言うほどのこともないのかもしれません。
呑兵衛でだらしなくて賭博打ちで小汚くてぶさいくなのになぜか
憎めない魅力あふれた人なんてのも中にはいます。
どんなことをするにもまず清廉潔白で心も体も健やかで酒もタバコも
吸わずという健全性を求めることも必然といいませんが、いつも
タバコを吸う飲食関係者を見ると美味しんぼのあるシーンが浮かぶ
のです。
悠山とシロ―が天ぷら対決をするときにまず天ぷら職人をオーディション
するシーンで手の先をみて清潔感とたばこを吸う職人がまず先に
落とされるのです。
肉体労働者や料理人、タクシードライバーなど長時間労働者で待ち時間
が多かったり、接客業でストレスの多い職種にも喫煙者は多いようです。
びっくりしたのは医者のように医療関係者にも若い医師でもまだ喫煙者
という人もいることです。
という喫煙率が国内で20%となったという現代でも秩父はなぜか
喫煙率が高く、レストランや寿司屋などでもたばこ臭い店が
多いのです。
ひと時はテレビや映画で主人公が喫煙するシーンがまったくなくなった
時期がありましたが、ここのところの作品では逆に喫煙シーンが
増えているのが気になります。
私は他人の趣味にとやかく言うつもりもありませんが、その喫煙で
他の人の健康に被害を与えるばかりか街の景観やはたまた火災の原因
となっている現状を憂えるのです。
驚くのはそんななんでも合理化とか大量生産で効率とかが重視される
世の中で、いまだに昔ながらの作り方でそれが普通に人々の手に届く
社会が続いてる地があるのです。
これはいろいろな面で注目される京都の文化です。
京都では普通に昔のように店先やリヤカーの挽き売りでとうふが売られて
います。
別段こだわりのとうふとか天然にがりとかも謳わずにつくられています。
しかし、そのつくられ方は恐ろしいほどに昔ながらのままなのです。
確かに京都のとうふはうまい。
秩父にもうまいとかこだわりのという豆腐屋がいます。
京都のとうふはわざわざ食べに行きますが、他のとうふにその力があるか
といえばスーパーで買える豆腐より勝るのかというとそれほどのこともない
といわざるを得ません。
珈琲の場合も最近はナチュラルとかウオッシュドと製法まで選べる時代に
なったのですが、ナチュラルというと本当に手作りで自然な感じがしますが、
機械で身を脱穀して甘皮ひとつにして乾燥は半分天日で半分機械で乾燥と
いうのが多く、まるきり昔ながらの野ざらしの乾燥から手生産なのは
エチオピアぐらいなのかもしれません。
その製法もそもそも貧しくて水洗設備や乾燥ドラムも何もないからに過ぎない
のです。
珈琲には様々や認証があり、有機栽培から減農薬とか自然環境をアピール
するものからフェアトレードまで、あるのですがどれも味に結びついている
とも思われません。
特に大農園の大量生産の豆は品種もカツーラ、カツアイ、ブルボンまで
混ざるのが普通で、機械選別でとてもきれいに仕上がっています。
様々なコンテストに輝いてきた農園はやはりそれだけの品を出します。
それに引き替えエチオピアやイエメンなど農園名などないものが多く、
値段と味が伴わいなものも多いのです。
仕方ないので今回は手に入る物を少量を片っ端から仕入れて高いのから
安いのまで届いた中から売り物になる物だけを売るという方法になり
ました。
ですから今度のエチオピアは是非試飲してみてください。
今手に入る豆でこれならと思うものですから。
ですが、この五連休中はなんとも気持ちよい天気が
つづきました。
色々の予定も恙なく過ぎ、連休を乗り切ったという感じです。
そして見事に天気は反転し、昨日からはまた雨続きです。
先週は雨の中でも走りましたが、今週は素直にジムに行きました。
なかなか運動をできる時間もとれなくなっていますが、それでも
いつものジムのメニューをこなすといつも約束されたように
快感と達成感のようなものが去来します。
誰かに肯定さたかのような後ろでうんうんと言われているような
そんな感じもするのです。
とにかく人にはいちいち言わないけれどという努力は誰でも
しているし、飲食会やサーピース業では当たり前という私が
思う努力も実は意外と身の回りでなされている例は見ません。
それをいちいちあげつらうごとく指摘はしませんが、最低の基本と
いうものも時にないがしろにされている例にはいつも心寒い思いを
します。
ひとつだけ言わせてもらうと飲食業で味にこだわりを持つという
店の店主がうんちくを語るときにタバコを吸いながらいやあ俺の
店はこういうことをしているから他とはいや味が違うんだよと
自慢げに語るシーンがよく秩父にもあるのです。
まずは禁煙してからにしてくれと思うのですが、秩父今はやっている
店というのがホルモンとかわらじカツとかミソ豚丼などですから、
繊細な味がどうこう言うほどのこともないのかもしれません。
呑兵衛でだらしなくて賭博打ちで小汚くてぶさいくなのになぜか
憎めない魅力あふれた人なんてのも中にはいます。
どんなことをするにもまず清廉潔白で心も体も健やかで酒もタバコも
吸わずという健全性を求めることも必然といいませんが、いつも
タバコを吸う飲食関係者を見ると美味しんぼのあるシーンが浮かぶ
のです。
悠山とシロ―が天ぷら対決をするときにまず天ぷら職人をオーディション
するシーンで手の先をみて清潔感とたばこを吸う職人がまず先に
落とされるのです。
肉体労働者や料理人、タクシードライバーなど長時間労働者で待ち時間
が多かったり、接客業でストレスの多い職種にも喫煙者は多いようです。
びっくりしたのは医者のように医療関係者にも若い医師でもまだ喫煙者
という人もいることです。
という喫煙率が国内で20%となったという現代でも秩父はなぜか
喫煙率が高く、レストランや寿司屋などでもたばこ臭い店が
多いのです。
ひと時はテレビや映画で主人公が喫煙するシーンがまったくなくなった
時期がありましたが、ここのところの作品では逆に喫煙シーンが
増えているのが気になります。
私は他人の趣味にとやかく言うつもりもありませんが、その喫煙で
他の人の健康に被害を与えるばかりか街の景観やはたまた火災の原因
となっている現状を憂えるのです。
驚くのはそんななんでも合理化とか大量生産で効率とかが重視される
世の中で、いまだに昔ながらの作り方でそれが普通に人々の手に届く
社会が続いてる地があるのです。
これはいろいろな面で注目される京都の文化です。
京都では普通に昔のように店先やリヤカーの挽き売りでとうふが売られて
います。
別段こだわりのとうふとか天然にがりとかも謳わずにつくられています。
しかし、そのつくられ方は恐ろしいほどに昔ながらのままなのです。
確かに京都のとうふはうまい。
秩父にもうまいとかこだわりのという豆腐屋がいます。
京都のとうふはわざわざ食べに行きますが、他のとうふにその力があるか
といえばスーパーで買える豆腐より勝るのかというとそれほどのこともない
といわざるを得ません。
珈琲の場合も最近はナチュラルとかウオッシュドと製法まで選べる時代に
なったのですが、ナチュラルというと本当に手作りで自然な感じがしますが、
機械で身を脱穀して甘皮ひとつにして乾燥は半分天日で半分機械で乾燥と
いうのが多く、まるきり昔ながらの野ざらしの乾燥から手生産なのは
エチオピアぐらいなのかもしれません。
その製法もそもそも貧しくて水洗設備や乾燥ドラムも何もないからに過ぎない
のです。
珈琲には様々や認証があり、有機栽培から減農薬とか自然環境をアピール
するものからフェアトレードまで、あるのですがどれも味に結びついている
とも思われません。
特に大農園の大量生産の豆は品種もカツーラ、カツアイ、ブルボンまで
混ざるのが普通で、機械選別でとてもきれいに仕上がっています。
様々なコンテストに輝いてきた農園はやはりそれだけの品を出します。
それに引き替えエチオピアやイエメンなど農園名などないものが多く、
値段と味が伴わいなものも多いのです。
仕方ないので今回は手に入る物を少量を片っ端から仕入れて高いのから
安いのまで届いた中から売り物になる物だけを売るという方法になり
ました。
ですから今度のエチオピアは是非試飲してみてください。
今手に入る豆でこれならと思うものですから。