これはNHKのラジオで今読みたい本の中で今回の
直木賞に審査員全員の得票で選出された作品で
とにかく審査員が皆楽しい読書時間であっという
まに読んでしまったというお墨付きを得た作品だと
いうので、先月のオール読物を買ったわけです。
ところが、なんとオール読物ではほんのさわり程度の
掲載で後はその後のストーリーがかいつまんで紹介
されるというお座成りな扱いでした。
でもそのときのこの作品の印象は変わった設定ではあるが
これは井上靖の夏草冬濤だなと思いました。
夏草冬濤は中学の時、教科書で読み少年期の生き方に
影響を受けた本です。
これは夏休みという解放された子供の純な心がたどる冒険の
話とも読めるし、その冒険の指針にもなり、自身の夏の記憶が
甘くほのかに浮かび上がり心の奥底からボウと照らされる
不思議な感覚に浸る青春の書です。
そんな自身の夏草冬濤を皆持っているのです。
その連帯を感じさせる物語群として、この流も同じ臭いを
発していました。
それはオール読物が番長との決闘シーンで途切れていた
せいなのでしょうが、そのあとの続きを読んで視点として
国民党側の中国人がたどった変遷流転の物語と肉親を殺された
犯人を追うサスペンスの色合いもあり、夏草冬濤のイメージは
なくなるのですが、根底にある基調が南米暴力映画の乗りがあり
これは人により好き嫌いが分れるかもしれません。
いま安保法政が国会審議され可決されようとするときに中国と
台湾、日本の立場からみる歴史観をそれぞれ見てみるとこうも
違うものかという思いもします。
台湾の親日的感情をよく日本の植民地支配が必ずしも悪ではないと
いうイメージに使う人がいますが、そんな簡単なはなしでない
のがこの小説でよく解ります。
日本人の知らない欠落した戦後史観というのが歴然としてあり、
今もそれに悩み苦しんでいる人がいるという事を認識することも
重要であると思います。
まず、終戦の日が8月15日であるとする日本の立場も未だ各式典を
行いますが、それが不戦の誓いとなっているのかときに疑問を
感じます。
というのも戦闘はその後も続き多くの日本人が抑留されたり、
強制労働されたりして、祖国に帰れずにいたのです。
アメリカも中国も戦争が終わった日を8月15日とは思っていません。
ポツダム宣言受諾なら北方四島や樺太南部や南方の島嶼群や各地
権益地までも一方的に放棄する必要があったのか納得できない
こともあります。
そして、戦後70年とする間もアメリカは新たな戦いを続けて
日本では戦後といえば第二次世界大戦ですが、世界的には
未だにテロとの戦いのさなかにあり、そんな感覚のずれの
なか国際的に事情が変わったから集団的自衛権を行使する
法律が必要になったというのはどうしても理解できません。
中国の海洋進出だとかホルムズ海峡に機雷だとか必要な事態を
色々出されても先日の抗日勝利の軍事パレードなどのニュースと
この小説の世界を考え併せても日本人にはまだ欠落している
情報があるように感じます。
この作品は作者の先祖の物語という事で自伝的な要素が強いと
いいますが、読後作者のプロフィールを見ると9歳の時に日本に
移住とあり、その後日本名の名乗りをしていることから、あれ
これは自分の物語じゃなかったのかと少しがっかりした感じを
受けました。
今まで触れない中国と日本との間の話だったので今を知るうえ
でも貴重な読書体験になったと思います。