King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

ケニアとマンデリン追従

2017年12月05日 15時00分34秒 | 珈琲


ケニアとマンデリンどちらも深煎りにて提供されている豆です。

ところが、ケニアにおいて昨今の出来の豆で深煎りが効く豆が
少なく、ケニアを深煎りで出している豆屋の真意を問いたいという
現状において消費者はぜひ店頭ではなぜこの豆はフルシティで焼きましたかと
聞いてみてください。

私自身、プロを標榜する人たちから豆を求められ、焼き方は何ですかと
聞かれますが、それは何のために聞いてるのかと私には響きます。

というのも試飲でもともと手元にカップがあるのに飲んでどう感じたのか
ということを語る前になぜ焼き方が必要なのかと。

豆屋の店頭で焼き豆を見てみると大概の店が同じ豆色でわざわざ焼き方を
示しているスペシャルティ専門店がほとんどです。

これは実に妙なことでさらに、フレンチとかヨーロビアンとかイタリアン
なる豆がある店は黒光りした豆が別にあるというなんとも謎めいた品揃え
となっていたりします。

豆の説明には聞いたことのないような何とかステーションとか農園とか
ウオシュドとか製法まで書かれていますが、味の説明や特徴はなく何点
とかいうスペシャルティ度が書かれていたりします。

それらは何も消費者には選択の材料や心に響くものがないばかりか
おしゃれな装飾でしかないのです。

気の利いた豆屋だと一言インプレッションがあったりしますが、決して
それ以上深入りして聞くなという御断りにも見えるから不思議です。

マンデリンという豆は独特の製法ゆえに色がオリーブ色でしっとりとして
いて重いことが多く、回転のいい店なら大体その重くかたい豆を深く焼いて
深い味わいと苦みが特徴とか言いつつ売ります。

このマンデリンも新豆から半年もするとそのかたさが取れ、それを
そのまま今まで通り深入りで焼くと枯れ臭のあるものになったりします。

もともとインドネシアに渡った豆もティビカであり、インドネシアで
生き残った豆のアラビカはほとんどティビカです。

ブルーマウンテンとかゲイシャは深煎りにしないくせにマンデリンは
深煎りにする理由とは何でしょうか。

また、浅煎りのマンデリンを売りにしてはやった店がありましたが、
その店に並んだ人たちはなぜ浅煎りにしてるんですかと聞かないので
しょうか。

当店にブラジルのアマレロが好きな人がいて、なぜその豆がよいかと
聞いたところ、ブラジルというとチョコ味のような濃い味が良いけれど
普段何杯も飲む私にとってはこの軽い感じがとても良いとおっしゃって
いました。

今年の春売り出したチェリーブロッサムはとても気に入り、春だけでなく
ずっと売ってくれとのことでした。


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惑星ソラリスの登場

2017年12月05日 14時30分45秒 | 珈琲
なんと今週の百分で名著は『ソラリス』です。


なんとまあ思い切ったものをと思いつつ、見てみると
あれこういうことだったんだという発見が相次ぎ、
あの宇宙空母ギャラクティカもソラリスにインスパイアされ
て作られたのではないかと思いました。

さて、この文学的主題とか芸術について人生において人は
その問いにさらされます。

私としてはそのたびごとにことごとく答えを用意し、粉砕し、
ひとつ芸術、特に文学とは破綻した魂であるという答えに
達していたわけです。

今現在珈琲の魅力を語り、おもてなしとか味とか真実の解る
力とか解る人には解るものをつらつらと語ってきたらふと
その破綻についても先のワクワク感を持つことであり、ワクワク感を
感じている人がそれに通じるのだということに思い至りました。

人の絆とか地域復興とかやたらと語られていますが、モリとかカケ
とかそば屋のお品書きのような国会質問しかできない議員など
地域復興や原発事故の解決など到底無理でしょう。

ソラリスを伴にスキーに出かけるという一つの野心的希望が
つらつらと沸いてくる午後でした。

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反転

2017年12月05日 09時40分07秒 | 珈琲
お祭りの喧騒から一転昨日は静かな夜となり、
寒さが一段と際立ち奥秩父の山には雲がおり
立つような雪の降りかかるさまが見られました。

秩父盆地では雨になりましたが、冬の足音は
確実に高まり、深まっていくようです。

珈琲の需要もこの季節に高まるわけですが、
意外とその核となり中心をなす味のイメージを
持つ人が少ないのが気になります。

珈琲好きは自身の好きな香りにも敏感です。

本物の珈琲の香りがすると珈琲があるんだと
期待が高まります。

そういう香りのお出迎えがある事業所というのは
たとえ仕事で訪れた地でも望外の喜びを持って
訪問と仕事の成功が約束されたような期待を持ちます。

ところが、実際出かけた先で珈琲が飲める機会は
減っていて、中にはインスタントコーヒーを出して
金をとるところもあり、まがい物ばかりが幅を
効かしているのです。

長野の小さいホテルやペンションなど普通に及第点の
ものが出てきてさもそれが普通のことのようになされている
ものがいかにどれだけの人と接して鍛えられ練られたもので
あるか普通に珈琲が香り本物の珈琲で出迎えられるという
当たり前のことがなされることが実に貴重に思えてくる
経験が小規模の宿が存続される理由なのだと知る瞬間です。

ファミリーレストランのドリンクバーのようなものを作り
サービス向上をなしたかのような事業所が多くなる中、
解る人には解るというものを理解し当たり前にできると
いう実力は確実に存在し、人に認めさせる力があるのです。

またあそこに行きあの場所で珈琲を飲むことを想像しただけで
幸福な気分になり、またあそこに行けるんだぞと思うと
わくわくするそんな気にさせる珈琲を準備してもらいたい
ものです。
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