このピアニストのピアノを聞くのももう五回目になります。
はじめ街中に貼られたバッハ平均律のコンサートというものを
みて、こんな田舎で平均律だけの全曲コンサートなんてどうした
ことかと思い出かけてそれ以来、高橋望のリサイタルや出演が
あると聞きにいくようになったのです。
こんな田舎で本格的ピアノの生演奏を聞けるなんて大変幸せな
ことといつも感じます。
それに伴う少しの不満もいつも必ず感じるのですが、結局満足感
の方が強く、多少の不満は目を瞑ることになります。
昨日の夜は、バッハ、モーツァルト、シューマンの幻想曲ばかりの
リサイタルです。
いつも思うのは、前半は全般的な展開と、後半で佳境に至る
曲の醍醐味を堪能する感じの構成が多く、今回もそれぞれの
音の仕組みを考えていたら最後まで幻想曲は結局こうだよと
言うものを畳み込まれて終わった感じになりました。
いつもの体中に曲が流れるような感動と衝撃より、今回は
あっという間に終わってしまった、いつもより物足りない
そんな感じもしました。
夕食に向かった外はあまりに星がきれいで、とても寒い
日でした。
はじめ街中に貼られたバッハ平均律のコンサートというものを
みて、こんな田舎で平均律だけの全曲コンサートなんてどうした
ことかと思い出かけてそれ以来、高橋望のリサイタルや出演が
あると聞きにいくようになったのです。
こんな田舎で本格的ピアノの生演奏を聞けるなんて大変幸せな
ことといつも感じます。
それに伴う少しの不満もいつも必ず感じるのですが、結局満足感
の方が強く、多少の不満は目を瞑ることになります。
昨日の夜は、バッハ、モーツァルト、シューマンの幻想曲ばかりの
リサイタルです。
いつも思うのは、前半は全般的な展開と、後半で佳境に至る
曲の醍醐味を堪能する感じの構成が多く、今回もそれぞれの
音の仕組みを考えていたら最後まで幻想曲は結局こうだよと
言うものを畳み込まれて終わった感じになりました。
いつもの体中に曲が流れるような感動と衝撃より、今回は
あっという間に終わってしまった、いつもより物足りない
そんな感じもしました。
夕食に向かった外はあまりに星がきれいで、とても寒い
日でした。
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