King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

『マネーモンスター』鑑賞

2016年06月15日 23時17分25秒 | 映画
NHK朝のニュースでエンタメコーナーで紹介されて
いました。

それを見てジョディフォースターのインタビューなどを聞いて
それじゃあ見てみるかと出かけてみました。

期待としてはお金を失った犯人の人生とかもっと浮かび上がって
きたり、ジョージクルーニーの口だけの人生がもっと際立って
きたりして盛り上がってくるのを期待しましたが、ダメな人生の
犯人は奥さんの呼びかけですべてであり、それ以上深めようと
せず、なぜか真実を明かす方に手を貸した広報の女の人の決断と
裏切りがなぜそうさせたかという説明が少なく、これはともすると
今まであった映画とか手法に重なってしまうのをどうにか避けて
今の問題を浮かび上がらせて人々が持っている社会の怒りをどう
したらいいかという提案なのでしょう。

犯人と司会者が徒歩で移動するシーンはブルースウィルスの『16ブロック』
を想起させますし、マスメディアが生中継で犯罪を暴くのもなにもこれが
最初ではなく、暴いたからといってこれは銃で脅されたからだとなれば正式な
証言や自白ではなく、まして公開の裁判ということで債務名義ができる
わけでもありません。

この映画で示された公開されてしまったスキャンダルというのは社会的制裁に
必ずしも結びつかないばかりか起こり得ない仕組みが多々あります。

しかし、実際ニュース映像でかつて犯罪の実況中継になってしまった豊田商事
に犯人がさされる現場やオーム真理教の村井さんがさされるシーンなど現実の
ショッキングな映像を見てきた我々にはその暴かれるものとか手段とか現実に
即して人々の怒りが何に起因し、どう社会として消化していくのかがもっと
描かれてほしかったと思います。

ボーリングフォーコロンパインのマイケルムーアのように映像を使って真実を
あぶりだすというスタイルは実は映像でごまかしていることにつながり、
真実とは映像でねつ造するより実に簡単に闇にまみれてしまい、それをいかに
表に出すかはこの映画のように簡単ではないでしょう。

でも、希望としては定番な終わり方のようなジョージクルーニーが一発
お見舞いして気を晴らすしかなく、巨悪はそのまま生き残るのではなく、
次の巨悪にとって代わるだけという複層的な視点も必要かと思うのでした。

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