世良先生の視線から展開する物語群が前回読んだブレイズメスとこの
スリジェとさらにその原初の『ブラックペアン1988』と三部作を構成
します。
私はブレイズ、スリジェ、ペアンという順番で読みそれはれでおもしろい
効果があったと思いました。
まず訂正しないといけないのは私は天皇陛下の受けた天野教授の手術が
静脈を使ったものだと思いましたが、これはあやまりで静脈同様動脈も
とっても大丈夫なところが何箇所かあるようで、1990年代は静脈を使っての
手術しかなかったらしく、この小説ではそんな過去を語ることにより
医療の行き先を考えさせる構造をとったのです。
改めて思うのは博打がモチーフとなっていることです。
手術とはもともと確率として成功がはっきりと残る医療行為で
これは命を博打にかけることと同様だとがん告知の際に患者が訴える
のですが、まさにそれが現実であり、人生そのものがいつもそんな
博打に似た決定の連続でもあるのです。
またその医療行為が経済力に左右されてはならないという当たり前の
ことが実はそうでもないという現実も垣間見られ我々に医療とはと
改めて考えさせるのです。
そんな意味もあり、自分の命を丁半博打のようなルーレットに掛けさせる
天城教授の病院はいくらバブルの絶頂でも作られてはならないのであり、
それが小説の中でも姿を現したくなかったのでこの小説の結末になった
のだろうと思わせます。
これはこれで予測もでき結末としても納得でさらに現代に通じる
世良が現代でどんな医者になったかも興味が持てる内容となって
います。
私はこの小説の後先祖返りのようにブラックペアンを読み、それは
それでまた楽しめ、なぜ過去を舞台にしたのかも理解したつもりです。
前作で感じた物語が何の盛り上がりも展開もなく、著者だけが見えている
ような書き方に違和感があったのもなぜなのか解りました。
これはまさしく読む順番が違ったからなのです。
そして世良先生が物語の主人公のシリーズといいましたが、
主人公は三作品ともスター的な登場人物がいて、世良は試験に
受かったばかりの新米であり、ラスボスと対決する主人公は
別にいるのです。これは三国志の書き方と同じで時代の英雄は
曹操であり、圧倒的勝者も覇者でもあるのですが、世はなぜか
蜀の劉備玄徳を正義の人のように正当な世の代表者としてみる
のです。
そして、後を継いだ孔明ができの悪い二代目を先代の意思を
つぎ苦労する物語が好まれるのです。
時代の成功者は孔明ではなく勝者でも司馬 懿であり、それでも
一般には孔明が三顧の礼で迎えられた最高の軍師となっています。
歴史などというのは斯くも見方や解釈により都合よく書き換え
られ信じ込まれるものなのです。
見る目を養い見極める力をつけることは肝心です。
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