King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

根元的な味の今の季節のブレンド

2019年06月07日 12時40分22秒 | 珈琲

久しぶりの雨となりました。

 

暑く蒸し暑いというのが今の季節の相場ですが、今年はずっと晴天が続き、

カラッとした日が続いていました。朝のニュースでは大雨で避難指示が出ている地域も

あるようです。

 

最近はただ雨が降るだけで300人もの人がなくなる被害が出る日本では他人事で聞いて

いるわけにはいきません。とはいえ何ができるわけでもなく、なんでこうなってしまったのという

問いを発するくらいしかできないのです。

 

梅雨時のブレンドとして雨を楽しむとか雨の後の光芒をテーマとしてきましたが、果たして

それがどれだけの人の理解を得たかということと、五月に記録的な暑さと高温で湿気もない日々に

これまでの物ではいけないという気がしていました。

 

さらに、そんな暑い日も一旦雨が降り出せばすぐに涼しい日も出てくるのは例年の例で知れて

います。そんな激しい季節の変化と気象のブレにしっかりと気持ちに寄り添う強いブレンドこそが

今望まれるものだと確信して今月のブレンドを作りました。

 

雨の降り方も熱帯的に急に降ったり、大粒の雹と雷だったり、荒々しいもので、しとしと静かに

降り続くというものから変化を感じます。梅雨の時期ならアジサイにカタツムリという絵も

ふさわしくなく、当家のアジサイもまだ咲いていません。このアジサイ、咲きだすと八月くらいまで

花を付けたままで各地のアジサイの有名地は増えています。

 

先日、三峰神社に行った時にまだツツジが咲きそろってなくて、アカシアなども咲いているという

遅い春の様相で、そのツツジの花も小さく沢山咲いていてまた違う味わいなのを見た時、随分地域で

花の見え方も違うものだと感じました。同じ高地の草津などではシャクナゲはもう散り始めていると

いうことですが、奥秩父のシャクナゲはまだ咲いてもいません。

 

雨や梅雨時に似合う花とか景色とかがあり、しっとりとした雨を楽しむことも風情を感じることも

できるのですが、要はそれら自然を受け入れ楽しむ心のありようであるというのを朝からの雨で

感じています。

 

その心のありようを演出してくれるものを持っているというのも、友があり人生が華やぐのと同様

重要なこととなります。その友のひとつに珈琲があるという日々もお勧めです。それも季節ごとに

演出してくれるという贅沢も必要です。

 

ある時期の月を心待ちにしたり、朝日の上がるのを期待したり、ある花を待ったり、はたまたその香りだったリ

季節の行くさまを楽しめるというのはまさに贅沢なことなのです。

 

今の私でいえば、伝承館のテイカカズラが昨年のように香るのか心待ちにしていたり、もうすぐ咲くであろう

半夏生の姿や今月末の茅の輪くぐりを楽しみにしています。過去と未来と現在を知り自身の生を知るという

哲学的な思考も生まれてきます。まさにハイデガーの根源的時間の実感ではないでしょうか。

 

きっとそれには季節のブレンドが良き御伴となります。

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今焼けてる豆と今月の季節のブレンド

2019年06月06日 10時42分59秒 | 珈琲

先日の異様な疲れからどうにか普段の生活を取り戻した昨日今日。

 

在庫補充のために豆を焼き続けます。

 

梅雨のじめじめがやってくる前に本格的な夏になってしまったかのような

そんな日が続きます。昨日は夜、派手な雷が鳴り土砂降りになるのかと

身構えるていると全くの肩透かしで一ミリも降りませんでした。

 

ホタルの看板に誘われて見物に訪れる人も週末ともなると増えているようで、

私としては昨年との違いを感じてどうしてだろうと思う日々なのでした。

その一つとして最大の物に昨年感じたジャスミンシャワーが今年は感じられない

というのがあります。

 

四月からバスケットの試合に呼ばれてなくてそれもどうしたのかなあという

ひとつですし、今月末には昨年やったおお祓いの茅の輪くぐりをしようと

思っていますが、昨年から比べると秩父の田んぼの作付けが少なく感じたり

昨年と違う現象に戸惑うばかりです。

 

そんな中、しっかりと自己を見つめ人生の今を感じる珈琲タイムは貴重です。

今の季節のブレンドはそんな根元的な味になっています。

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異様な疲れと今の位置と

2019年06月04日 23時41分32秒 | 珈琲

今年は一年で唯一国民の休日がない月という汚名や疎外感も天皇の

代替わりという国家行事により、12月もまた国民の休日の無い日に

戻ったのでそういう表現も使えなくなったわけですが、12月はクリスマスや

大晦日というのはもはや休日も同じ扱いですからやはり特別さはそのまま

な感じもします。

 

この時季というのはこの時季にしか現れない現象とか味わえない空気とかが

あり、特にこれから夏にかけての夕景は特筆すべき美しさです。まるでターナーの

絵のようないつまでも眺めていたいような美しい色の空を眺めながらのランニングは

最高です。

 

そして、ホタルも飛ぶ季節であり、夏野菜のでまわる時期でもあり、いよいよ佳境に

踏み入るかという感じの時です。そんな時に大掃除をしたり、おお祓いをするという

古来の考え方はこの時季は特に気おつけなさいよという教訓なのでしょう。私は昨日

用事で市内を駆けずり回り移動を続けたのですが、帰って豆の発送やら金融機関やらに

出かけて用事を済ませて帰り、リビングに腰を下ろすとどっと疲れがへばりつくように

体にのしかかってきたのでした。こんな疲れ方をしたのはかつてないほどの疲労感で

夜のランニングにも出かけられませんでした。

 

体の変調を抱えたまま次の朝もすっきりと目覚めて回復というわけにいかず、さっさと

体を動かして次に進むという感じではありませんでした。どうしてこうなってしまったかという

問いを漏らすも何も思い当たる節も原因すらも思いつがず、あれをしようこれをしようという気力も

全く起きないというありさまでした。

 

それでも『早夏』を飲んでこの味がやはり今の季節に合うという思いを強くするとそれにつれ

沸々と気力が戻り次に進もうという意欲も頭をもたげてくるのでした。

 

先日朝のニュースで見た秩父の守り石巡礼の現場を見てみるとニュースで言われていたような

お寺や神社の扱いはそこにいわれのある石というより、巡礼とはかけ離れた扱いで、八犬伝の

様に石を求めて各地を巡る意味も意義もそもそもあるのかという感じでした。というのもパンフレットに

ある神社に行っても売ってなくて近くの旅館や観光案内所にあったり、神社の社殿やお守り売り場で

売っている方が少数で、秩父三社である三峰神社ではそもそも入ってないという随分肩透かし的な感じ

を受けたのです。

 

各地で神社、寺、教会という宗教の境なく御朱印という記帳をしてくれるということで、最近は

観光の記録のようにご朱印帳片手に旅をする人が増えているといいます。もともと秩父では

札所の納経は行われていて、納経帳と袈裟と杖というのが必須アイテムでした。札所を周る人は

坂東西国秩父という100箇所のお寺を巡りそれを果たすと満願という達成に預かるというミッション

であり、そもそもそれが願いが叶うとか100という数字のせいか課題として提示されればやらねば

ならないのが人の性なのかという感じです。今のスタンプカードよろしく納経帳にスタンプを押してもらい

人によっては白装束に直接押印をもらい、成果を目にしながら歩くことができたのです。とかく日本人は

この様なことが好きで、山だと100名山などと一人の山岳愛好家が名付けてその思い出を書き残すと

それが聖書のようになり、同じく100の山を登る人が後を絶たないという状況になっています。

スキーでは100ゲレンデというのがなくてよかったと思います。いや今ではつぶれるスキー場が後を絶たない

という状況だから誰かがそういうのを作っていたらまた状況が違ったのかという感じもします。

 

とはいえ似たように各地のスキー場を巡る人はいて200snow reportsなる有名なサイトもあります。

そのホームページの更新も止んで久しいこの頃ではゲレンデは外国人ばかりという状況が進むのでしょう。

 

肝心のご朱印帳は秩父の神社では500円で札所の納経所では300円と日付も入り出来栄えを見ると

旅の記録としては立派で見ごたえたっぷりです。私も豆を売るよりご朱印ありますと看板をだそうかと

思うのでした。

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今月の季節のブレンドは『早夏』です

2019年06月01日 23時54分55秒 | 珈琲

昨年まで唯一国民の休日がない月の六月が始まりました。

この月はそんな行事的にも人気もない月のようですが、私には

最も重要月です。例年この梅雨の季節に各町内会では衛生という

行事を行い、町中で畳を上げて大掃除をしたものです。

 

わが町内でも床下消毒や庭木の消毒という業務がありました。

 

もっと郊外の町では今でも町内一斉清掃は行われていて、道普請とか

川攫いや側溝の清掃などを行っています。なにかと行政に頼り、人任せで

町内の助け合いとか、人つきあいの希薄な世の中になり、町内で道を直すとか

除草や清掃をするという事もなくなりました。側溝の蓋をかつてのどぶさらいを

するため上げらるという事もなくなりました。

 

昨年生まれて初めて秩父にも茅の輪くぐりがあることを知り敢行しましたが、

この梅雨の季節だからこそ汚れを払い清潔を保つという事が生活の安全に

繋がると昔の人はこの季節に町中できれいにしたことを思うと厳かにこの月を

迎えその気持ちに沿いたいという感じになります。

 

そして、例年なら雨模様のぐずつき湿度の高い日になるはずが、今年は結構

晴れる日が多く、五月は記録的な高温になるという流れがあり、梅雨の晴れ間に見られる

例年の光芒をテーマにした光のイディアを作る気になれませんでした。

 

実は、ここ数カ月はしばらく使っていなかった豆を使用してきた流れがあり、

この流れを保ちたいというのもあり、するとこれはその流れの終着点的なものが

ぼんやりと浮かんできました。

 

それは珈琲の根源的な味のものになるという事やかつてこの味を愛した人が

いたことや諸々のイメージと思いを込めて収束させた味に仕上げました。

深くしっとりと落ち着くこの一年の中間点にふさわしいものとなりました。

名前は光のイディアを使うにはイメージが違うため『早夏』としました。

 

五月に記録的な暑さを示し、そしてまだ梅雨の走りもないという今年には

似合いのブレンドかなと思います。

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