今年の “暦” の睦月(1月)をみていると、14日が、14日年越しで、15日が小正月、そして今日16日は、
藪入り・閻魔詣りとあります。 また、14日は、大阪四天王寺の“どやどや”の奇祭があったことをテレビで報じていました。
藪入りについては、ご存知の方も多いことと思いますが、私は、7月16日の藪入りは何となく聞いて知っていましたが、
1月のはあまり聞いたことがありませんでした。 しかし、ウイキペディアなどには、“薮入りとは、かつて商家などに
住み込み奉公していた丁稚や女中など奉公人が実家へと帰ることのできた休日で、1月16日と7月16日が
その日に当たっていた。7月のものは「後(のち)の藪入り」とも言う。” とあり、1月の方が、先にあったのですね。
つまり、盆と正月のお休み・・ってとこですね。
更に続けて、見て行きますと、
“藪入りの習慣が都市の商家を中心に広まったのは江戸時代である。本来は奉公人ではなく、嫁取り婚において
嫁が実家へと帰る日だったとされるが、都市化の進展に伴い商家の習慣へと転じた。六のつく日に行われることから、
関西では六入りとの呼び名もある。”
商家(町屋)例
(ウイキペディアより)
“藪入りの日がこの二日となったのは、1月15日(小正月)と7月15日(盆)がそれぞれ重要な祭日であり、
嫁入り先・奉公先での行事を済ませた上で実家でも行事に参加できるようにという意図だったとされる。そのうちに、
地獄で閻魔大王が亡者を責めさいなむことをやめる賽日であるとされるようになり、各地の閻魔堂や十王堂で
開帳が行われ、縁日がたつようになった。”
子供の頃に、おふくろが お盆の16日は、“地獄の釜も休む”(今日こそは、あくせく働くことをしなくてもいい~)
などといっていたのを覚えています。
これらの日は、単にお休みとして、実家などに帰るだけではなく、商家の主人は奉公人たちにお仕着せの着物や
履物を与えたり、お小遣い、さらには手土産を持たせて実家へと送り出したそうです。実家の方では両親がこの日を
楽しみに待っていて、親子水入らずで休日を楽しんだのだそです。
また、遠方から出てきたものなど実家へ帰ることができないものには、芝居見物や買い物などをして休日を楽しんだ
そうです。 何だか微笑ましい光景が浮かびます。
明治維新後は、産業化の進展に伴って労働者の数が増大したため、藪入りはさらに大きな行事となったそうで、
この頃、藪入りの日は浅草などの繁華街は奉公人たちでにぎわい、なかでも活動写真(映画)などはこれによって
大きく発展したとあります。
なぜ “藪入り” というか?については、諸説あり、藪の深い田舎に帰るからという説や、“宿入り”(実家へ帰る)からの
転訛などの説がありました。
以上ウイキペディアより、つまみ食いしました。
落語“藪入り”から~
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます