蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

明治神宮  (bon)

2020-12-03 | 日々雑感、散策、旅行

 今年、明治神宮が創建されて100年になります。

 100年前の11月3日に第1回の明治神宮大祭が行われました。今年の初詣に孫た
ちが明治神宮にお参りしました時の写真も、今年百年祭の幟が見えました。

 手元に来た会報に、第1回明治神宮大祭直後の大正9年(1920年)11月12日に行
われた茶話会での「明治神宮の建築に就いて」と題する、建築家 伊藤忠太氏(東
京帝国大学教授、工学博士)の講演録が再掲されていたのです。(百年前の記事)

 講演録は『日本曠古の明君にまします明治大帝並昭憲皇太后の英霊を奉祀する
明治神宮社殿の建築に就いて余の所存を述べることは余の無常の光栄とするとこ
ろである。』で始まる12ページにわたる膨大な内容です。場所、敷地、建築様式
などなど詳細な議論を踏まえた当時の建築経過が述べられていて、当時の考え方
や議論の内容などが伺えて面白く意義深いものですが、ここの記事では、その内
容の一部にとどまりますが、サワリをご紹介してその雰囲気を味わっていただけ
ればと記事アップしました。

 平素は、あまり神社などに関する建築事情は知る由もありませんので、ある意
味貴重なものと思いました。

       今年初詣の明治神宮
        

 

 明治神宮創建に当たって、大正2年に調査会が設置されました。組織は、伏見宮
殿下を総裁とし、内務大臣を委員長、委員には二人の元帥、貴衆両議院長、渋沢
栄一らの財界、さらには学術界から多くの委員で構成されたそうです。 調査条
項としては、・第一祭神を明治天皇とする ・社の名号を明治神宮とする ・社
格を官幣大社 ・敷地を東京とする ・社殿は流れ造 ・素木、檜皮葺とするこ
とが決められたのです。

 そして、大正4年4月には明治神宮造営局が設置され、調査会以上の大所帯の組
織となり、別に評議員会も組織され、船頭が多くて船が山に登るようなこともあ
ったようでした。


 講演録は、敷地、一般配置、建築様式、材料構造について詳細に検討経緯が述
べられています。

 先ず、敷地です。当初、民間から多くの候補が寄せられたそうです。いずれも
突飛で、富士山の頂上、箱根山の上、筑波山嶺などがその最たるものだったそう
ですが、その中に、飯能という地があり、ここは、後ろに山岳、水流にも樹林に
も富んだ好地だったようです。 しかし、東京市民にとっては甚だ不便である。
神社の風致体裁からは絶好の地といえるが、そもそも市民の絶大なる要望がある
ことから、敷地については東京市に求めることとなったのです。

 東京のどこが良いか? これも難題だったようで、第1候補は戸山学校(注:
陸軍戸山学校、新宿区)で、広さは十分であったが土地の状態が面白くない、樹
木に乏しい、渓谷によって分断されているなどから脚下され、次に白金の火薬庫
の跡地が候補となった。 老樹巨木が鬱蒼として良いが狭い。 第3として現在の
代々木御料地が上がった。ここは地盤が堅牢で、広さも十分であるが土地の高低
の変化の趣は今一つである。それに、樹木が若い。さらに、将来、渋谷、千駄ヶ
谷、淀橋等が東京市内に編入され人家が密集してくれば煤煙が神苑を襲い、火災
の危険がある。汽車電車等の騒音があるなどの幾多の欠点が挙げられたが、前2者
に比較して結局は、この地に決定されたのです。総面積は22万7千坪。

 すなわち、この地が理想的絶好の地というべきものではなく、東京市内に之に
優る適地がなかったからにすぎないとあり、土地に高低を作り、樹林、池を作る
など手を入れたようです。

 次に、社殿、参道の配置についても多くの議論に苦労された結果、社殿は南向
き、参道は南から通じるものを表参道、北よりするものを裏参道と決められました。  
 社殿の大きさについては種々の意見があり、出雲大社の本殿は43坪半、京都八
坂神社は128坪、備中の吉備津神社は81坪、その他男山八幡宮、靖国神社、厳島神
社などが比較検討され、また拝殿についても、靖国神社が109坪、厳島神社108坪、
出雲大社104坪、樫原神宮の80坪、伊勢神宮はわずか18坪。しかし、神社の尊さは
必ずしも大きさにあらずということに行き着くのですが、さりとて何か根拠となる
ものがいるとのことで、結局は、内部に設置すべき設備や通路から割り出された
大きさとし約30坪とされた。 また、鳥居についても広く検討されていました。
 (以下の写真は、伝統日本紀行HPより転写しました。)

         南参道一の鳥居
       

 建築様式は神宮建築の死活問題であるとして熟議されています。 ・大社造 
・神明造 ・斬新な大正造 ・流れ造 の4つの案が議論されていて、出雲大社の
様式は日本最古の神代の宮造りではあるが、いわば大国主命の住宅であって出雲
地方の色彩が強い、神明造りは、尊厳な伊勢神宮社殿の様式で適当といえるけれ
ども、これは伊勢の両宮のみに限られ、熱田神宮さえもこれを避けている。
 新様式論は、種々の意見が噴出したようで、中には、巨大な建物を作ってその
内を区画して拝殿、本殿・・などとする案などがあったが、そもそも神社建築の
意義を誤解していると却下されている。結論は,『神社様式は多く大社造りとか、
春日造りとか、神社の名に由って称せられる。其の様式は其の神社に特殊であり、
単独的ないし地方的なもので普遍的ではない。 然るに流れ造りは形状によって
命名されたる普遍的のもので如何なる神社にも適用さるるのである。』

外拝殿                 内拝殿

 

次に材料構造について。 主要なものは檜木材である。 回廊以内の諸建築は
全部木曽産の檜で、回廊以外の建物には台湾阿里山の扁柏を用いた。石材は主と
して備中北木の花崗岩などなどで、特筆すべきは屋根は玉垣を除いて全部檜皮葺
とした。 結論はこの通りですが、ここに至るまで大激論があった。屋根は耐久
耐火の銅葺が多勢を占めたとありますが、平安時代の趣味を発揮しようとする正
格な神社の屋根が銅葺では調和しない。耐火といっても、飛び火の場合は屋根が
問題であるが、他の設備で補えばよく、自火の場合はむしろ足元の方が危険であ
る。また,木材を防腐剤をもって処理する案が出たが、美しい檜材の肌に薬液を
注射することは到底忍びない。本殿の柱ごときは数百年は安全であり、注射によ
ってさらに幾年の寿命を延ばしても疑問が残る。 要するに最良の檜材を鉄道の
枕木や、電信柱などと同一に扱うことは情において忍びない。

 まだまだ述べたいことはたくさんあるが、際限がないのでここまでにするが、
施工はいたって鄭重に行われたのだそうです。

       菖蒲田
       

 

 講演録に述べられている中身をごく僅かしか述べることができませんでしたが、
当時の神宮建築にあたっての関係者皆さんの思い入れと深い考察が錯綜する中で、
困難を押して無事に立派な明治神宮が建設され、今日荘厳な神社として多くの人
をひきつけているのです。

 すぐ目の前は、竹下通り、表参道と都内有数のスポットですが、敷地選定当時
はまだ人影少ない荒れ野のようなところだったようです。

 なお、2020年10月16日に、明治神宮の36棟を新しく重要文化財に指定するよう
答申されました。正式な指定はその数カ月後となるそうです。新指定の重文は本
殿、内拝殿及び祝詞殿、内院渡廊(2棟)、外拝殿、宝庫、神庫、内透塀及び北
門などなどです。

  注)神社の建築様式は、切り妻造りと呼ばれるいわゆる本を伏せたような一般的な屋根の形で、
   その入り口が、屋根の面側にある「平入り」と横の壁に入り口を持つ「妻入り」の2系統があ
   ります。 平入りは、神明造り系で伊勢神宮など、妻入りは大社系で出雲大社などがあります。
    
   そして、神明系の中に、両側の屋根の長さが異なる(前面が長い)形式を流造と呼ばれています。

 

 

久石譲 作曲 明治神宮鎮座百年祭 記念曲 「Prayers」

 

 

 

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映画の日  (bon)

2020-12-01 | 日々雑感、散策、旅行

       今年も、最後の1枚のカレンダーになってしまいました。 穏やかに明けた
         年頭には、オリンピックの年 などと期待を込めていたようでしたが、春を
         待つ暇もなく新型コロナに席巻されたまま まるで違った生活パターンに
         なってしまいました。 一日も早く安定した明るい日になってほしいです。

 

    今日12月1日は、“映画の日”だそうです。    
  日本で初めて映画が上映された日については、いろいろの説があるそうです
が、1896年(明治29年)11月25日~30日まで神戸の港クラブで “キネトスコー
プ” が公開されたのが最初という説が一般的だそです。“映画の日”は、その
60年後の1956年(昭和31年)に映画界の総意によって制定されたとありました。

   しかし、厳密にいえば、「映画」は、スクリーンに映像が投影される形式の
ものをいうとありますから、神戸で公開されたキネトスコープは、一人ずつ覗き
込ん観るタイプのものだったので、本当はもう1年後(明治30年)に 大阪難波
の“南地演舞場”にスクリーンを張り、入場料を取って映画興行が行われたのが
日本では最初だということになるのですね。
 この頃の映画は、もちろん映像だけで、列車が駅に到着するシーンだけの作品
だったそうですが、迫ってくる機関車に当時の観客は驚いて総立ちだったそうです。

 2013.12.1の当ブログ記事にアップしていますが、映画は、1895年12月にフラ
ンス人 リュミエール兄弟がパリのオペラ座そばの建物の地下サロンで、スクリ
ーンを張り、約100席の椅子を並べて映写機を設置し、1分弱の“シネマトグラフ”
と呼ばれる映画を数本、有料で初めて観客に見せた。 これが映画の誕生なん
ですね。 キーワードは、“映写機” と “有料” だそうです。 

 冒頭の、キネトスコープは、エジソンの開発で、コインを入れて箱型ののぞき
穴から動く写真が見られるというもので、映画の誕生とはみなされていないのだ
そうです。

 日本上陸は、1897年ですから、フランスの最初からわずか2年足らずで導入さ
れたということになります。

        キネトスコープ
         (ネット画像より)

 映画の歴史をウイキペディアよりかいつまんで以下に引用しました。
『19世紀後半に写真技術が発展すると、それを利用して動く写真の開発が始まり、
1893年にエジソンがのぞき込んで楽しむキネトスコープを発明するなどいくつか
の映画の原型が考案されていた折、1895年にフランスのリュミエール兄弟がスク
リーンに動く写真を投影して公開し、これが現代にまでつながる映画の起源とさ
れている。 世界中で反響を呼び、開発の翌年には各国で上映されるようになり、
映画館が相次いで各地に設立された。20世紀に入るとストーリーを持つ映画作品
が盛んに作られるようになった。1920年の「トーキー」の登場、それに続いて
「総天然色」映画の登場があります。 さらに、戦後になって「特殊撮影」「ア
ニメーション」「コンピュータ・グラフィックス(CG)」など次々と新しい技術
が導入され発展を続けてきた。』

 私が現役時代に、出張でアメリカの関連会社を訪問した折、「アポロ11号」の
撮影に使用した、模型や特撮の仕掛けなどたくさん見せてくれましたが、当時は、
実写のほうがCGに勝るとの評価でした。サンフランシスコにある “ピクサー
(Pixar)”という映画(アニメ)制作会社では、ちょうどその時“トイ・スト
ーリー”の発表直前でしたが、こちらはすべて、デジタル(CG)で、当時の先端
を行っていたのでした。

       ピクサーでのCG
         (ネット画像より)

 今から6年前の会報(2014年)記事に、山田洋次監督の『フイルムよさらば』
という寄稿文があり、当ブログにも引用させていただいていますが、監督によれ
ば、今日的には、映画撮影にはフィルムの代わりにデジタルカメが使われており、
映画館の9割はフイルムで上映していない・・との一抹の寂しさを感じる中に、
映画は 人の心に感動を呼び覚ましうる芸術であることが立証されたなどの歴史
を懐かしく振り返られる思いが語られています。 往時のハリウッドの映画産業
は鉄鋼や自動車と並んでアメリカの基幹産業となっていたのですね。

 その後、技術革新によって、映画表現技術も飛躍的に進歩し、デジタル化によ
って、それまでは描けなかった、過去の動物や空想的な物体などもデジタル化で
可能となって来たが、果たしてこのことが観客にどれほどの感動を与えうること
ができるのだろうか と。

 しかし、日本での映画興行収益のベスト10には、8つがデジタル作品なんですね。 
 <参考>歴代映画興行収入ランキング(興行通信社調べ) 1.『千と千尋の神隠し』(308
億円) 2.『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』(275.1億円) 3.『タイタニック』(262億円)
4.『アナと雪の女王』(255億円) 5.『君の名は。』(250.3億円) 6.『ハリーポッター
と賢者の石』(203億円) 7.『ハウルの動く城』(196億円) 8.『もののけ姫』(193億円)
9.『踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』(173.5億円) 10.
『ハリーポッターと秘密の部屋』(173億円) 
 *『鬼滅の刃』は、公開45日のデータ。

             バジルです。(マグカップに植えてみました、)
               

 

 

私は、こちらの「君の名は」の方が馴染めます・・

君の名は ♪織井茂子

 

 

 

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