昨日かな?の夕刊で、東京23区がふるさと納税に積極的になっている、という記事を見ました。
これまで「それってそもそも変な制度では?」というスタンスでふるさと納税に距離を置いていたのが、他の自治体の税金の流出で背に腹は代えられず、と方針を転換したようです。
その例示として「神楽坂料亭でのお座敷遊び」というのがあったので、早速ふるさと納税サイトを見に行きました。
神楽坂料亭で楽しむ料理と芸者の舞(2名様夕食付き、芸者3名、お座敷体験2時間)
70万円!という金額にまずびっくりですが、それとともに説明文(の量)も目を引きました。
これまで「神楽坂、料亭、芸者」といったキーワードで語られていたのが、質量ともに充実した説明になっています。
せっかくなので、引用してみましょう。
神楽坂料亭のお料理を楽しみながら、芸者の舞をご堪能ください。
神楽坂花柳界(かりゅうかい)のはじまりは、肴町の行元寺の境内の東一帯を天明8年に武家住宅の貸地にしたことに始まります。今から230年以上前に遡ります。
江戸時代には多くの武家屋敷が建ち並び、近辺には「毘沙門天」善国寺をはじめとする神社・仏閣が多く、参詣する人々を対象として色街が出来、花街(かがい)として栄えて行きます。
明治期になると、尾崎紅葉、泉鏡花や坪内逍遥など文化人が数多く居を構え、インテリ階級の隠れた遊び場として繁盛し、文学作品にも頻繁に登場しています。
大正12年の関東大震災でも、神楽坂は焼失被害も少なかった為、震災後はさらに賑わいます。「山の手銀座」とも呼ばれ、以後神楽坂は花街を中心として発展し栄えて来ました。
昭和38年に「牛込さつき会」として発足した芸者の舞踊の会は、昭和40年に「神楽坂をどり」と名称を変えて引き継がれており、間もなく第40回を迎えます。
街の姿は時代と共に変わって来ましたが、芸者衆は、花街としての神楽坂の存続を維持する様、日々芸の向上に努めています。
路地や石畳の情緒豊かな雰囲気のある神楽坂の料亭で、芸者衆と共に、楽しいひと時をお過ごしいただけますと幸いです。
ね、充実してますよね。さすが70万円。
ふるさと納税のうたい文句では実質2,000円の自己負担額で利用できるということなのでやってみようかなぁ、と思いつつ、よく考えると新宿区在住なので納税できないのでは?
ちょっと残念。
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