浦和レッズのサポーターが、「JAPANESE ONLY」という横断幕を入場口に掲げたことが問題となっています。人種差別的な言動を放置したとして、浦和レッズが無観客試合を課されることになったのです。
サッカーでは、ファンのことをサポーターと言います。ファンは、「狂信者」を意味するfanatistの略だそうです。それに対して、サポーターは、支援者・応援者という意味合いです。
しかし、今回の「サポーター」(仮にそう呼ぶとして)の行動は、まったくその意味にふさわしくなく、サポーターと名乗る資格は全くありません。報道された内容によると、熱狂的なサポーターが陣取るゴール裏で、「部外者」が入ると統制が取れなくなるので問題の横断幕を掲げたとのことです。
人種差別ともとられる表現はもちろんのこと、一体、どういう資格をもって、熱狂的なサポーターの応援に従わずに普通にチームを応援したい人に対して「部外者」という烙印を押せるのでしょうか。なぜ、強制された一律な応援が正しくて、個々の思いで応援することがダメなのでしょうか。ここには、まったく独善的で、幼稚な思考回路しかありません。
これではチームのサポーター(支援者)ではなく、己の独善的な論理ですべてを解釈し、理解するストーカーとまったく同じ思考回路です。結果的に、自分が愛していると思っているチームに無観客試合という大損害を与えているわけであり、この人たちが排除しようとした普通のファンたちよりもよほど質が悪いのですが、それに気づいていないところが、まさにストーカーと同じです。ストーカーは、相手に執着しているようでいて、実は一番執着しているのは自分自身なのです。だからこそ、どちらも結果的に相手にひどい傷を負わせることになるのです。
ストーカーを防ぐのは警察などの役目ですが、こうしたバカなサポーターを防ぐのはチームの役目です。今回のやりとりを報道で見ると、チームも及び腰だったことが見てとれます。その意味では、Jリーグの無観客試合という厳しい措置も良いことだと思います。こうした狂信的で、自分自身のことしか考えていない幼稚なサポーターを排除することが、結果的には、もっと健全なサポーターをはぐくむことになります。
「誰かのために」何かをする時には、「本当は誰のために」なのかを自問することが必要です。誰かのためにのつもりが、往々にして自分自身のためにということがあるからです。それは熱狂的なサポーターだけではなく、「親」だって、「少年野球の指導者」だって起こる得ることです。自戒としたいものです(しかし、さすがに今回の件はおろかすぎると思いますが)。