4年連続で箱根駅伝5区を走り、4年連続区間賞、うち3回は区間新を出し、「山の神」の称号をほしいままにした柏原竜二選手が27歳にして引退を表明しました。大学時代の輝きに比べ、富士通入社後は故障続きで平凡な成績しか残せずに、引退の道を選ぶことになりました。
学生時代の輝きが眩しすぎただけに、卒業後の実績は寂しい限りです。その対比が余りにも大きすぎて、箱根の山登りというのは、本当にあれでいいのだろうかと考えさせられます。10区間の長丁場なのに、山登りの5区だけで勝負が決してしまうこともある箱根駅伝は、劇的なドラマを演出しますし、私もそれに感動した一人ですが、本当に選手のためになっているのでしょうか。
柏原選手は多くの人を感動させ、本人にも大いなる可能性を開きましたが、そもそも箱根の山に登るようなロードレースは存在せず、柏原選手のトラックのタイムが図抜けたものではなかったことを考えると、箱根というレースが、一人の選手の陸上人生を狂わせてしまったのではないかという気がしないでもありません。
山登りの5区が箱根駅伝全体を左右するほど長くなく、柏原選手も他の選手と同じ扱いしかされない選手だったら、もっと競技人生は長かったかもしれません。
見る側は感動的なシーンを知らず知らずに求めているのでしょうし、それを伝えるスポーツジャーナリズムも視聴率などにつながる、そうした場面に無関心ではいられません。競技団体も経済とは無関係ではないので、選手のことよりも競技の人気を優先しがちかもしれません。しかし、長い目で見れば、選手生命を長く保つ方が、競技の人気を高めることにつながるはずであり、商業主義とは一線を画し、選手を守れるのは、競技団体だけです。人気の箱根駅伝ですが、改善の機会としてほしいと思います。
野球の世界では、甲子園が箱根駅伝のような存在です。先日大阪桐蔭が大阪決戦を制して幕を閉じた選抜大会でも、延長試合が相次ぎ200球近くを投げる投手が連発しました。観ている私たちは、手に汗握り、感動するわけですが、まだ体格が出来上がっていない高校生が、真剣勝負の中で200球も投げるのは感心できることではありません。
しかし、勝負であれば、監督も選手もそれを優先させるでしょうし、観る側もそれを求めてしまいます。それで選手生命を縮めた選手も数多くいたと思われます。
それを救えるのは、やはり競技団体しかないと思われます。一時的な「感動」ではなく、長い目で見て選手を大切にし、競技そのものの魅力を向上させる合理的な運営に変革してほしいと思います。
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