パラオとは
10数年ぶりに海外旅行に行ったため、更新が出来ませんでした。パラオに行ったのですが、そもそもパラオというところを知らない人の方が多いのではないかと思います。パラオとは、正式にはパラオ共和国(Repubulic of Palau)と言い小さいながらも独立国です。ミクロネシアのマリアナ諸島のグアムやサイパンの少し先(西南西)にあり、グアムとフィリピンのミンダナオ島の間にあるような位置関係です。200くらいの島々からなる国ですが、火山の噴火で出来た火山島は4島だけで、その殆どは無人島のサンゴ島だそうです。ドイツの植民地でしたが、第一次世界大戦後、日本が委任統治するようになり、第二次世界大戦後はアメリカの信託統治下に置かれ、1994年に独立をしたとのことです。同じミクロネシアの中でもグアム、サイパンと比べると観光地としてはマイナーであり、スキューバダイビングの人気ポイントになっているそうです(もちろん管理人はダイビングはしません)。
で、なんでパラオなのか?
若い世代にはピンとこないかもしれませんが、観光地のサイパンやグアムは太平洋戦争の激戦地として知られています。日本の制海権、制空権を遮断するとともに、日本本土を攻撃する拠点としても重要だったからです。両島ほど一般に知られてはいませんが、パラオもそうした拠点の一つとして重視されていて、パラオ諸島南端のペリリュー島でも大激戦が交わされました。
実は管理人の母の一家は戦前パラオに移住していて、その父(管理人の祖父)は戦地召集というのか現地で入隊しペリリュー島へ向かう途中で船が撃沈されて戦死したとのことです(らしいというだけで詳しいことは分からないそうです…)。一方、母の母(管理人の祖母)も爆撃だか機銃掃射かは分かりませんが、米軍の攻撃で亡くなったそうです(ペリリュー島の戦闘では民間人の死者はいないと言われていますが、それ以外では民間人も結構亡くなっているようです)。母は4歳で両親を亡くして、一緒にパラオに移住していた伯母に兄と一緒に引き取られ、日本に引き揚げてきました。伯母も夫を亡くし、自分の子ども5人と甥姪を合わせて7人を女手一つで育て、一家の苦労は多かったと聞きますが、それでもその伯母がいなかったら、母の運命もどうなっていたかと思います。
母も子育てや生活で忙しくパラオを訪問したいと思いながらあっという間に月日が経っていましたが、昨年兄(管理人の伯父)ら親族と初めてパラオを訪問することが出来ました。そして、今度は自分の子どもたちを連れて行きたいということで、今年管理人のパラオ行きとなった次第です。幼いころから戦争の話は聞かされてきましたが、まさか自分がかの地を訪れることがあるとは思っていませんでした。
8月4日(火)
旅程は8月4日からですが、夜の出発なので実質的に4日は移動日のようなものです。午後から家を出て、成田で母と合流。チケット受取、チェックイン手続き、出国手続きと待ち時間を経て、21時過ぎに離陸。
翌5日の深夜1時45分にパラオのコロール空港に着陸。入国手続きを終え、バスに乗り込み、ホテルにチェックインしたのが3時。荷解きもせずにすぐに寝たものの、寝ついたのは4時くらいでしょうか…。
8月5日(水) 曇り
事前に調べた天気予報ではずっと雨マークが着いていましたが、雨季のため雨が降りやすいので天気予報はとりあえず雨マークがついているようで、滞在中本格的な雨には降られませんでした。実際、狭い地域で予報の意味もあまりなく、あっちでスコールが降ったかと思うと、こっちは晴れていたりと、あまり意味はないようです。ということで、この日は曇りです。パラオは日本の6~7倍も紫外線があるそうですから、曇りくらいの方が丁度いい感じです。
6時すぎには目が覚め、睡眠時間は2時間程度です。8時前にバイキングの朝食をとって、9時に集合し、高速ボートで移動し、ペリリュー島へのツアーへ参加。子どもにはつまらないかもしれませんが、今回の旅行の最大の目的なので、外せません。水戸連隊の洞窟塹壕後、資料館、日本軍司令室後、日本軍戦車、ゼロ戦、慰霊碑、空港跡などの戦争の跡を見て回りました。
8月6日(木) 曇りのち晴れ
この日はカヤックとシュノーケリングのツアーに参加。この日は結構波が荒く、波が穏やかな内海のコース(人によってはつまらない)をとると申し訳なさそうにガイドさんから案内がありましたが、年寄り、子どもがいる我が家としては願ったり叶ったりでした。
本当に簡単な説明のあと海に出ましたが、穏やかな海ならカヤックもまったく簡単に漕ぐことが出来ました。わざわざ選んだだけあって、湖だってもっと波があるだろうというくらい穏やかで、鳥の鳴き声以外何の音もない静寂と木々の緑と美しい水面に囲まれ、まさに「癒し」でした。何時間でもボ~っとしていたいくらいでした。
ただ、ネイチャーツアーと題するだけあって、自然たっぷりなのでトイレなどの施設などはなく、用をたすのは海の中というワイルドさでした。
シュノーケリングは、おまけみたいな感じでしたが、パラオがダイバーの憧れの地であることは理解できる美しい海でした。
8月7日(金) 晴れ
この日は、前日おまけだったシュノーケリングが中心のロックアイランドツアーでした。午前中はガルメアウス島という無人島を中心に、シュノーケリングや海での水遊びをしました。シュノーケリングはお向いのイノキアイランド(だいぶ以前からパラオを訪問していたアントニオ猪木を名誉オーナーとする島)近くの大シャコ貝を見ました(ほんとにでかいです)。そして、昼食のバーベキューを楽しみ、午後は別のシュノーケリングポイントに移動し、ナポレオンフッシュ、クマノミ、エンゼルフィッシュなどさまざまな魚とサンゴを楽しみました。簡易水中カメラを買って、撮影してみましたが、自分の目で見た通りには撮れませんね、さすがに…。本当にきれいでした。
8月8日(土) 晴れ
実質的な最終日となるこの日は遠くに出かけず、初めて終日ホテルで過ごしました。ホテルにもプールと小さいながらもプライベートビーチがあり、最終日をゆっくり過ごすには申し分ありません。午前中はプールで過ごし、昼食はホテルのレストランでとりました。子どもがハンバーガーを頼んだのですが、これがまた巨大で写真に撮っておかなかったのが悔やまれますが、ハンドボールとソフトボールの中間くらいの巨大さでした。午後はプレイルームで卓球やビリヤードをやったあと、部屋でのんびり、仮眠などして過ごしました。
女性陣はホテルのアフタヌーンティーを楽しんだあと、買い物へ(アフタヌーンティーでもパンや、クッキーなどが出て夕食は要らないほどだったそうです)。男二人は、ホテル近くの食堂に夕食に行きましたが、こちらも昼飯が腹に残り、枝豆や冷奴など軽めの夕食(ここはどこだ?)。
8月9日(日) 晴れ(日本は曇り)
そして、深夜の1時にチェックアウトし、2時くらいにバスに乗り込み空港へ。手続き後、出発は4時の予定でしたが、準備が順調とかで3時30分頃に前倒しになりました。遅れることはあっても、前倒しになるなんて初めてで驚きました。ローカル線で空いている時間ならではでしょうね。ということで、8時頃に成田に着き、カミさんと娘は母と一緒にクロを引き取るために実家へ。管理人と倅はスーツケースを預かり、京成の特快、山手線、中央線特快と乗り継ぎ、12時前には八王子に戻ってきました。
旅行というのも、帰ってきてしまえば、あっという間ですね。
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