ひげ爺のお産・子育てご意見番

子どもは育つ力を持って生まれてきますが
親に子育てする力が減っています。
親育て支援の中で感じたことを書いています。

産後鬱・虐待から脱却のヒント

2010年08月03日 | 子育ての悩み
今朝早く、爺が関わっているお母さんからうれしいメールが来ましたので
ご紹介います。
心に元気が無く、爺のブログにコメントをしてくれたご縁でつながっています。
長文ですが、読んでください。
Up
ウリカワの花
 ***************

おはようございます。
きょうも暑くなりそうですが
お変わりなくお元気でお過ごしのことと存じます。

ご連絡しなくては と思いつつ、遅くなりまして、失礼いたしております。

かなりの長文になってしまいました。お時間許していただけます折にでもお読みいただければ幸いです。


息子の眠りは随分と深くなったのに、私はいまだにちょこちょこ目が覚め、
寝付けずブログを拝見しました。

ニュースを見ました。
取り扱いに 何かしっくりこないものがありました。
未熟な親を酷く責めるコラムもありました。
私自身が 一時期 子を虐待する可能性があると思い、子を授かることを拒否していたので、またコメントを入れていた方にもありましたが、誰でもその危険は秘めていると、思います。
自らが育つ中で赤ちゃんに触れる機会の少なくなったというのも、親となるのに未熟な原因のひとつである気もします。 
ひげ爺のおっしゃるように、社会全体で支えていかないといけないと感じます。
過去、生んで育てることが、当たり前だったことでも、今、全てを親本人任せにしていくことが、社会が子をほうっておくことになってしまうかもしれません。

実は日曜日に、息子を夫にみていてもらい
カウンセリングのようなものを受けてきました。
いつまでも、自分の未熟さを親のせいばかりにしておりまして
これではいけない、自分を「親育て」しなくちゃと思ったのがきっかけです。
1時間でしたが、大きな収穫がありました。

そこで、自分は、両親が大好きだったのだと、初めて認識させられました。
衝撃は大きくて、おどろいたし、うれしくも思いました。
そしてからっぽだったところが埋まったような、感覚もありました。

気持ちの持ち方にも大きな変化がありました。

帰り道、通り過ぎる家族が、子どもが、 かわいくて、ほほえましくみえてきました。
いつもなら、批判の目だったり、自分を振り返り責める思いだったり、まっすぐに感じられないのに。

その後、サンシャインなどという人ごみに揉まれる場所に行かなくてはならなかったのですが、
それさえも、全然イラつかず、おだやかで、 
人に対しても、やさしい気持ちでいる自分に、また驚きました。

周りの様子から感じたのは
子どもは愛情のかたまりだということ。
それは、愛情がそそがれて、そのかたまりになるのではなく
もともと親への愛情をい~~~~っぱい体中につめこんで生まれてくるのな。。。そんなふうに見えて。
まさに「神の子」です。
そして、子どもたちの中には愛情がいっぱい詰まっているから「親を信じて」思い切り生きているのだと、感じました。

不幸なことは「親への愛情」を、蓋させてしまうようなこと。
子どもの「素直な気持ち」を、ゆがめるのは、そこにあるのかもとさえ思いました。

私は、ず~っと、自分は、親から愛情を注がれなかったから、そそぐ愛情の無い人だと思っていました。
だから、笑顔でいることを心がけつつも、やはり、なかなか持てない自身にビクビクとし、子育てを楽しむことが難しいことがありました。
息子に申し訳なくて、涙することも。ひげ爺に何度も「笑顔で!」と言われましたね。

今回のカウンセリングで、私も、生まれてから、親を信じて一生懸命だった十数年間、自分の中にちゃんと愛情をもっていたのだと、気付かされました。
そう思ったら、自分は大丈夫だと思えたのです。
「『愛情』を思い出せばいい。私の中にちゃんとあったのだ。
私は、あの人たちを、理由なく愛せていた。
蓋してしまったのであれば、それをあければいい、それだけなのだ」・・・と思いました。

それで周りにも優しい気持ちに慣れたのだと思います。

自分を、夫を、子どもを、家族を、信じられず、未来を、不安に思っていたのも
根っこから、理解することができたような気がします。

なにしろ私「ひとつ自信」がつきました。
あの状況であっても親に対して、愛を注ぎ続けていたのだと思うと、どんな人にも、優しくなれる気がします(笑)。

「子どもは愛情いっぱい詰めて生まれているから、子どもから愛をいっぱいもらって愛情を返していけばいい。その愛は、自分も持って生まれている。」そういう自分の答えを見つけました。
これも「子に学べ」ですね。

一人として「愛」のない人はいないと感じます。

いっぱいの愛に蓋をするのが、恐ろしいことなのだと思ったのです。

それは、自分も他人も、そして家族を信じる力を、失うことだと思いました。

まだ二日ですが家族3人ですごす時間をありがたく幸せに思え、息子の表情が素直にうれしくて、夫への思いやりの気持ちを持てて、穏やかな心で過ごしています。

子どもを守るには、金銭や箱物ではない支援体制が必要で、親を子を救える方法があると、強く思います。
私の場合、子育て支援センターや児童館に出かけても、支えてもらえることはありませんでした。
ひげ爺のような活動で、親が子を育み、命を育むことを教えてくださる活動。
そして人によっては子育てカウンセリングのようなものを受けたりすることで、危険を回避できることがある。自らの数少ない体験で子育てにはそういった支援が必要と感じます。


母親の産後ウツ、虐待、いずれも 他人事ではなく、
ともにその不安と戦ったものとして、
つい力が入ってしまいました。
現在も、その過程ですので、えらそうなことはいえないのですが。

また、誤った方向へ行ってしまわぬよう、今後ともお見守りくださいますよう
よろしくお願いいたします。
  **************
ご縁をつないでいきましょう。
今日もいい日になります。




コメント (20)
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