海老名中新田に諏訪神社と深い関わりを持つ別当寺であった曹洞宗の「諏訪山東興寺」がある。開山は弘治3年(1557)、中興は天正9年(1581)、開基は応永6年(1339)とある。本尊は釈迦牟尼(お釈迦様)である。寺伝では元は真言宗の寺院であったようだが室町末期に宗珪寺より中興眞叟雲達和尚が入山され現在の曹洞宗に改宗した。当時は寺子屋もしていたようである。市道(46号)沿いに「山門」が構えられその左側に6体の仏像(地蔵か?)が並び建つ。「山門」を抜け境内に入ると、手入れの行き届いた綺麗な参道の両脇に「水子供養地蔵」、「鐘楼」(梵鐘)、箒を持った「洗心童子像」、正面に「本堂」、その前に礼拝の対象物あるいは経塚としてと思われる「十三重石塔」が建てられている。(1605)
藤沢市西富にある時宗総本山「遊行寺」(清浄光寺)の「惣門」より「いろは坂」には遊行寺の塔頭の筆頭「眞浄院」があるが、もう一寺いろは坂の中程の右側に遊行寺(清浄光寺)の塔頭で脇寺で大変格式の高い寺、山内末寺で別称を「赤門」と呼ばれている「眞徳寺」はある。創建由緒は不詳であるが、大正7年に本堂一宇を建立させて「栖徳院」として再興。本尊は阿弥陀三尊。藤沢上人が法燈をつぎ本山に入山する際あるいは講中の宿泊所であった。当寺は昭和19年(1944)に真光院、栖徳院、善徳院、貞徳院が合併し「眞徳寺」と改称した。この特徴ある「赤門」は鎌倉北条氏邸より寄付によるもののようだ。また黒門を入ってすぐ左手に真徳寺の墓域がり、あの国定忠治の一の子分として知られている板割浅太郎のお墓がある。(1605)