佐世保市の「佐世保史料館」横に浄土真宗本願寺派の仏教寺院「大智山教法寺」はある。室町時代から戦国時代中期まで佐世保地域を支配した宗家松浦氏の菩提寺として延徳2年(1490)に創建。本尊は阿弥陀如来である。当初は宗家松浦氏の居城である大智庵城の城下に建てられたが、建立後まもない明応7年(1498)に同城が落城した際に兵火により焼失。その後現在地に移転した。江戸時代、寺の周辺に佐世保浦という漁村があり嘉永3年(1850)には「吉田松陰」が平戸遊学の際に立ち寄っている。太平洋戦争末期の昭和20年(1945)佐世保市が空襲に遭い当寺も山門を残して類焼。戦後本堂などが再建された。「山門」を抜けると正面に「本堂」、右に「庫裏」がある。当寺は幼稚園を併設し、境内には可愛らしい遊具置かれているのが印象的である。(1611)
平戸二日目は昨夜の塒である「千里が浜温泉ホテル蘭風」を出発し平戸島と生月島を結ぶ道路橋(トラス橋)「生月大橋」を渡る。生月島ではまず世界の平和と海難者および魚介類の霊を追悼し、漁船の航海の安全を祈念して建立された「大魚籃観音」。生月島西北部に柱状節理といわれる奇岩群が約1kmにわたって断崖が続く。その中で最も美しい景観を見せるのが「塩俵断崖」。見晴らし台に立つと溶岩台地の上に玄武岩が重なり、垂直方向に亀裂が入って五〜七角形の断面が幾重にも連なる。生月島最北端100mほど切り立つ断崖の上に立つ白亜の灯台「大バエ灯台」。断崖、灯台からは海と空が溶け合う雄大な景観が360度のパノラマで望める。西の高野山と言われている弘法大師の霊場として名高い「最教寺」を参拝。平戸に戻り飛魚だしで有名な平戸ちゃんぽんの昼食。昼食後のフリータイムでオランダ橋といわれている「幸橋」、近くに建つ「平戸市役所」、道を隔てて平戸の海に突き出た丘陵地に日本100名城のひとつ「平戸城」(亀岡城)がある。平戸を後にして松浦一番の「松浦一酒造」へ移動。ここには珍しい「河童のミイラ」が祀ってある。その後武雄いで湯の街散策では国の重要文化財に指定の天平式楼門「武雄温泉楼門」、その優美さにうっとり。平戸はなんともエキゾチックなロマンに満ちた街でいつまでも心に残りそうである。(1611)
生月大橋
大魚籃観音
塩俵断崖
大バエ灯台
最教寺
幸橋
平戸城
松浦一酒造
武雄温泉楼門
生月大橋
大魚籃観音
塩俵断崖
大バエ灯台
最教寺
幸橋
平戸城
松浦一酒造
武雄温泉楼門