平戸市岩の上町の鏡川に架かるアーチ橋(石橋)で国の重要文化財に指定されている「幸橋」(さいわいばし)はある。平戸がオランダとの貿易港として栄えた頃の石造り技術を継承したものとして重要な遺構であり、別名「オランダ橋」と言わている。この橋の形式は石造単アーチ橋で橋長は19.8m 、幅員は5.2mの橋で平戸藩主雄香公が平戸の石工達に造らせたもので元禄15年(1702)に完成した。平戸の中心街を流れる鏡川には橋が架けられておらず両岸を船で連絡していたが、寛文9年(1669)に平戸藩主松浦鎮信により初めて木造の橋が架けられ、長年の不便が解消したことを祝って「幸橋」の名がついた。とにかく城下町平戸を象徴する橋であり、アーチが美しく異国の橋のようなエキゾチックさがある。(1611)
平戸は江戸時代松浦氏の城下町として栄えた異国情緒漂う港町、その平戸の海に突き出た山の上に建ちほぼどの角度からもその雄姿を拝むことができる平戸のシンボル「平戸城」はある。別名「亀岡城」と呼ばれる平戸城は元禄17年(1704)松浦家の城として築城が始まり、享保3年(1718)に完成した。天守閣からの眺望は素晴らしく、平戸瀬戸や市街地を見守る様に佇んでいる。城の構成は昭和37年(1962)復元された三層五階建の「天守閣(本丸)」、その周りには「乾櫓」、「狸櫓」、「地蔵坂櫓」、「懐柔櫓」、「見奏櫓」が囲んでおり、本丸のすぐそばには「亀岡神社」も鎮座している。内部には平戸藩ゆかりの鎧や刀、かくれキリシタンの品々も展示されている。山鹿流の軍学に沿って設計された珍しい平戸城は日本100名城にも選定されている。(1611)