高座郡寒川町宮山、寒川神社の鳥居と太鼓橋前の道路対面に高野山真言宗寺院「霊信山西善院」はある。弘誉法師が寛文11年(1671)に創建、貞誉法印が開山したと伝わる。当院は寒川神社の供僧として、節分の際に神酒を供え、1・6・11月の8日祭、12月の不動仏供を執行する役目がを担っていた。明治維新後の神仏分離令により当院は寒川神社から独立した。本尊は阿弥陀如来坐像。「寺号標」を抜けると正面に入り母屋造りの「本堂」、右に庫裏がある。本堂左に「弘法大師立像」、右側に「握手大師像」があり、握手大師と握手をすれば弘法大師と縁を結ぶとされる。当寺は相模国準四国八十八ヶ所の第62番、73番札所で弘法大師坐像2体、六地蔵が安置されている。(1907)
座間市東原、相鉄線さがみ野駅より徒歩5分のところにある「東原コミュニティセンター」近くの「さがみ野市道14号線」沿いの花壇に「ルビーエクリプス」5000本、「フロリスタン」2200本の「赤いひまわり」、黄色いひまわり5000本が植栽されている。この「赤いひまわり」は「さがみのやすらぎ街づくり委員会」が中心となって座間市の花「ひまわり」で街を盛り上げようと始めたもので現在2~3分咲きである。花丈は50~60cmで、花径も約10cmくらい、淡黄と茶褐色、赤色、中には真っ黒に近いひまわりもある。ここさがみ野の赤ひまわり、そして来月中旬座間会場で開催の「座間ひまわり祭り」とさがみ野、座間市全体がひまわり一色となる。(1907)
平塚市平塚に鎌倉光明寺末、浄土宗寺院「報恩山阿弥陀寺」(来迎院)はある。創建は弘治元年(1555)。親鸞の弟子「了源」が安貞元年(1227)平塚庄に一寺を建立も比叡山の衆徒が大谷祖廟を破却時、阿弥陀寺の住僧空淨が碩学の聞えに寺をも破却すべき風聞が起こり「空淨寺」を捨て東浦賀に移り「阿弥陀寺」を浄土宗に改宗とある。天正19年(1591)寺領10石の御朱印と境内制札を拝領しいる。本尊は阿弥陀如来(運慶作)。平塚駅から徒歩15分の所に位置し「山門」、正面に鉄筋コンクリート造りの「本堂」、「鐘楼」(享保12年=1727作)がある。境内には稲荷社、本堂左下の塔碑群中に「平塚町大震災殉難者霊位供養碑」、開基の「府川出雲守吉種氏墓」、子どもを抱いた「地蔵」がある。(1907)