平塚の中心市街地に相模五社の一社で相模国の五宮格の一社「平塚八幡宮」はある。創建は仁徳天皇68年(360)、主祭神は応神天王、神功皇后、武内宿禰命。1600余年の長く輝かしい歴史を持つ神社である。市街地の中心ながら樹木も多く閑静で、静寂でどこか厳かな雰囲気漂う神域を創り出している。大きな鳥居を抜けると境内には「源平の池」と「東御池」があり池の主の「鯉」、そして「カモ」や「アヒル」、「鳩」が参拝者を出迎え、餌をねだっている。参拝者が餌を池に投げ入れられると鯉とアヒルのなんとも可愛らしいしくも壮絶な「争奪戦」が始まりシャツターを押した。鯉の優勢勝ちであった。(1907)
平塚市平塚4丁目、日蓮宗寺院「要法寺」の西隣に平塚発祥の地、当地地名の由来となったとされる史跡「平塚の塚緑地」はある。平安時代の中期、天安元(857)年、桓武天皇の孫・高見王の娘である政子が、京都から東国に下る途中にこの地で没し、その柩を埋めて塚を作ったところ、塚の上が平らだったことから「平塚」という地名が起こったといわれています。現在は石造りの囲いに囲まれた高さ1mほどの塚が築かれ中央が元平塚市長戸川貞雄揮毫の「由来碑」(眞砂子と表記)、左側が「平塚碑」(政子と表記)が建てられている。傍らに真砂子が葬られて以来三代目とされる「松の巨木」が植えられている。平塚の歴史の古さが伝わってくる場所である。(1907)