相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!
☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

平塚に相模国五之宮「平塚八幡宮」

2019-07-12 21:53:09 | 神社

平塚市浅間町に相模五社の一社で相模国の五宮格の「平塚八幡宮」は鎮座する。創建は仁徳天皇68年(360)。1600余年の長く輝かしい歴史を誇り、相模の鎮めとして朝廷の信頼も厚くまた霊場として重要視され鎌倉時代以降武人の信仰を集めた社である。源頼朝公夫人の安産祈願の「神馬奉納」、徳川家康公の「社領寄進」はよく知られている。主祭神は応神天王、神功皇后、武内宿禰命。通りに面した朱色の「一の鳥居」を抜けると左右に鯉、カモ、アヒルが泳ぐ「東御池」、鶴峯山稲荷社、更に「二の鳥居」の正面に「御殿」、奥に流造りの「本殿」が建つ。「拝殿」前に「茅の輪くぐり」設置されていた。拝殿の右には「諏訪社」、中央に「若宮社」、左に「神明社」の境内末社、「平塚弁財天」が建ち並ぶ。また「拝殿」左側には来月の例大祭では担がれる「神輿殿」がある。かつて平塚は宿場町であり門前大通りは東海道、須賀港、厚木往還、大山道の重なる交通の要衝で道中安全の祈り社頭として栄え発展した名残り感を今も残している。(1907)

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相模国一之宮、八方除けの守護神「寒川神社」

2019-07-12 14:49:04 | 神社
高座郡寒川町に「相模国一之宮」と称されで正月三が日で40万人が参拝する人気のある神社、全国唯一の八方除守護神を祀る「寒川神社」はある。創建(伝)は1600年の歴史を有する。御祭神は寒川比古命と寒川比女命の二柱である。古くは鎌倉幕府朝廷をはじめ、後北条氏、源頼朝、武田信玄、徳川家代々さらには民間と幅広い信仰を受け続けている。現在は八方除の限りない御神徳をと全国各地から崇敬者が集まる。相模線宮山駅よりあること数分左手に架けられた「神池橋」「太鼓橋」を渡ると石畳の長い参道が続く。両側には皇室関係の植樹記念板が目を惹く。手水舎で清めると右手に重層造りの「神門」(平成5年竣工)がある。その右奥に「社務所」、納札殿、客殿がある。「神門」を抜けると正面には大社としての重厚感、風格漂う総檜造りの「本殿」(平成9年大改築)がある。本殿には「東西翼殿」が繋がる構造となっている。また両側には神門と本殿を「東西回廊」で繋げている。古代より鎮座する古社、相模国唯一の延喜式内社=明神大社に相応しい格式高さが窺える神域である。(1907)








 

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島津公一行が宿泊した縁ある「松風山晴雲寺」

2019-07-12 09:30:27 | 寺院

平塚市立野に浄土宗寺院「松風山晴雲寺」(光照院)はある。創建は天正18年(1590)。本尊は阿弥陀如来。当寺は昭和20年までは平塚駅前にあったが戦災で全焼に遭った後、戦後の都市計画で現在地に移転した。鹿児島の島津公が馬入川で川止めにあい一行が晴雲寺に宿泊した縁により島津公の紋章を頂いたとの謂れがある。平塚駅より東海道崇善小前信号を渡った住宅街の一角にあり大きな「山門」が構えられている。山門を抜けると石畳の参道、手入れされた庭の正面に昭和34年(1959)に再建の「大本堂」、その左手に庫裏、本堂右手には「勢至丸様坐像」や「阿弥陀像」、「名号塔」、「百万遍念仏供養塔」が建ち並んでいる。境内には大きい蓮鉢が十個近く置かれ紅白の「ハス」の花が華やかに彩っている。当寺の墓地内には平塚八幡宮の青銅大鳥居を寄進した「本誉還真上人の墓」、「番町皿屋敷のお菊の墓」がある。寺内に相模新西国三十三観音霊場15番札所として「船越観音」を安置している。(1907)

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