相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!
☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

源頼朝ゆかりの平塚宿の鎮守「春日神社」

2019-07-11 17:44:37 | 神社

旧平塚市平塚に平塚宿の鎮守「春日神社」はある。かつては「平塚山黒部宮」といい源頼朝が建久2年(1191)、相模川橋供養の御祈願所としたと伝わる。また建久3年(1192)、将軍家御台所御産気のため神馬を奉り安産を祈願したとある。源頼朝より御朱印のご寄付あるも、元和年中(1615~1616)に消失し、その後江戸時代には慶安2年(1649)に徳川家光より社領6石の御朱印を賜っている。祭神は天児屋根命、武甕槌命、経津主命、比売神。JR平塚駅より1.2kmほど、旧東海道と国道1号線の間に周りは住宅街に鎮座している。しかし境内は緑の樹木に覆われ静寂さ漂う雰囲気の神域である。「一の鳥居」「二の鳥居」を抜けると正面に「拝殿」があり、左に「社務所」がある。境内には春日龍神社、春日稲荷神社、春日天満宮の境内社、石祠や庚申塔等が祀られている。庚申塔右側には「右大山道」と書かれおり大山詣での一基点だったようである。旅立つことを「鹿島立ち」といわれ、これは「春日の神」が鹿島を立たれて無事春日大社にお鎮まりになった故事によるもので「旅行・交通安全の守護神」と信仰され崇められている。(1907)


 

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「寒川取水堰」と「カワウ」と「シロサギ」

2019-07-11 15:27:07 | 川・堰
神奈川県高座郡寒川町宮山に相模川から取水し寒川浄水場から県内市町村の水道へ水を供給する心臓部「寒川取水堰」はある。相模川最下流の堰である。寒川神社側から進むと目久尻川、相模線、圏央道、相模川の順となり河川には「川とふれあい公園」、「寒川河川敷グランド」、「野球場」がある。この「寒川取水堰」の周辺には「神奈川県企業庁寒川浄水場」、「寒川取水ポンプ場」、「横浜市水道局」、「神奈川県企業庁水道記念館」、「寒川浄水場排水処理施設」などが集中している。「寒川取水堰」は1960年着手、1971年竣工。型式は重力式可動扉付フローティングコンクリート堰で、堰高が6m、堰長は270m、標高が5m、堤体積は27千m3、有効貯水容量は1,605.60K㎡の規模で神奈川県が管理する上水道用水・工業用水を目的としている。堰の特徴は右側に「土砂吐水門」、その左に3連「洪水吐水門」、その左に「階段式魚道」、更に左「呼び水水路」となっている。堰の左側には「カワウ」「サギ」が数十羽たむろし小魚を狙っている。取水堰の全貌を確認のため寒川町と平塚市を結ぶ「神川橋」の中央まで行ってみた。(1907)







 

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寒川神社歴代神主の菩提寺「龍寶山興全寺」

2019-07-11 11:18:18 | 寺院
座郡寒川町宮山、寒川神社の東側に位置し、寒川大明神を守護神とする神仏混淆の寺院であり寒川神社歴代神主の菩提寺で徳川家康公とも縁深き曹洞禅宗寺院「龍寶山興全寺」はある。創建は天正年間(1573-1592)。三田清源院第五世「英顔麟哲」(1597年寂)が開山。堂内には本尊の釈迦如来像、相模地蔵菩薩、半僧坊、龍寶山弁財天を奉安。寒川神社の社務所側からすぐのところに構えられた「山門」を抜けると正面に入り母屋づくりの「本堂」(平成5年再建)、右に「庫裏」(寺務所)がある。本堂前には数株の古代ハスが開花、たくさんの蕾をつけている。本堂左の境内には南北朝時代の「宝筐印塔」二基、「相模子安地蔵尊」「とんがらし地蔵尊」を安置している。また人々の食生活に貢献した家畜に感謝して建立された「畜霊碑」も建てられている。(1907)







 

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