相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!

☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

中本寺格寺院で寺子屋が置かれていた「東国山福泉寺」

2019-07-14 14:45:46 | 寺院
高座郡寒川町小谷に清源院(厚木)の末寺で曹洞宗寺院「東谷山福泉寺」はある。創建は天正14年(1586)。三田清源院第五世英顔麟哲開山。総寧寺(千葉県市川市)の系列である天巽派下にありその「中本寺格」で規式の遵守・堂宇山林の管理・門役の勤仕に当たっていた。本尊は地蔵菩薩坐像(室町時代作)。当寺には「寺子屋」が置かれ、慶応年聞は住職代理桑山良禅が手習師匠を務めていた。明治6年(1873)に学制発布時は当寺の堂宇に雍和学舎が設立され明治9年まで小学校教育が行われた。産業道路の健康センター前信号を直進し根岸交差点を左折すると十数分の住宅街の一角に「寺号標」が構えられている。境内正面に入り母屋造りの「本堂」、右に庫裏がある。本堂前には徳川秀忠に仕えた旗本土屋権十郎の墓や江戸時代初期の石造阿弥陀三尊像がある。(1907)





 

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平塚宿本陣菩提寺であった「福生山宝善院」

2019-07-14 09:33:51 | 寺院

平塚市平塚に江戸時代300年を通じて平塚宿菩提寺として平塚の中心的存在であった東寺真言宗寺院「福生山能満寺」(宝善院)はある。創建は建久年間(1190年〜1199年)。本尊は不動明王。徳川家康公が江戸城入府直後の慶長6年、東海道五十三次の宿駅制度制定の際、平塚宿の目印として三河以来の譜代の家来「加藤・成瀬」の両家を平塚宿の本陣家とし、当寺を「本陣菩提寺」、平塚宿の寺院方差配寺と定め、広大な寺領を拝領したことで江戸時代に最も隆盛を極めた。平塚駅より西方へ15分ほどの通りに「なまこ塀」で囲われた寺域の正面に構えられた空海筆山号額の「山門」を抜けると境内正面にコンクリート造りの天井画が美しい「本堂」、その右に「庫裏」がある。当寺の目玉は本堂地下入り口から墓地南通路下を通って歴代住職墓地に至る「四国八十八ヶ所地下霊場」である。その他境内には天王社、稲荷社、天神社の境内社、さらに虚空蔵堂、永代供養墓、万霊塔、ふたたび大使像、ぼた餅地蔵 宮本武蔵ゆかりの瓦、日本最初の鉄道レールが保存されている。墓地周りは築地塀に似た塀で囲われている。(1907)

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