平塚市平塚に日蓮上人の由縁の残る身延山久遠寺末の日蓮宗寺院「松雲山要法寺」はある。鎌倉幕府の執権北条泰時の次男「平塚左衛門尉泰知」の平塚の居邸に弘安5年(1282)、池上に向かうため身延山を出発した病身の日蓮聖人が平塚の泰知邸に宿泊された由縁・逸話が残る。鎌倉時代、宗祖の霊跡に創建(建立)で寺歴700百年以上に亘る法華経の道場である。江戸期には7石朱印を拝領。本尊は三寶諸尊。平塚駅より20分、旧東海道の宿場町「平塚宿」住宅街の一角に重厚な造りの「山門」が構えられている。広大な寺域を誇る境内の正面に入り母屋造りの「大本堂」、書院がある。当寺は「山門」から「本堂」まで参道両サイドには30種(古代種の大賀ハス、白光蓮、誠蓮など)70個近い蓮鉢が所狭しと並べられており満開時には多くの参拝者、愛好家が訪れ有名となり「蓮寺」と呼ばれるようになった。同寺で蓮を育て始めたのは15年ほど前からで、今日は全てが開花し見頃となっており、白、ピンク、紅のハスが神秘的な美しさを放ち咲いていた。「山門」手前から「本堂」を見るとまるで蓮池に浮かんでいるようである。境内には宗派の鎮守神を祀る「七面社」、稲荷社、天神社、鬼子母神社、日蓮に帰依し要法寺の開基となった「泰知入道松雲院日慈上人の供養塔」などがある。(1907)