大阪市中央区難波、御堂筋の南端、大阪メトロ各線の難波駅の目の前に正面外観は波を打つような連続した唐破風の庇が独特の感じの建物 「大阪新歌舞伎座」はある。2009年に閉館した大阪市中央区の旧新歌舞伎座跡地に建てられたのが19階建ての「ホテルロイヤルクラシック大阪」で、客席は三階、全1,600席を越える大型劇場である。名称に歌舞伎と付いているが現在は専ら演歌歌手や俳優の興行に使用されている。この建物ホテルの設計は新国立競技場を設計したあの「隈研吾」氏である。何といっても目を惹くのが「新歌舞伎座」の屋根の造形を取り入れたデザインで低層部の外観に採用し館内は格子模様や直線美が生む和モダンな空間に仕上げられいかにも和風の歌舞伎座独特のフォルムをしている。「新歌舞伎座」は2010年9月に大阪・上本町に移転して再開場している。(1911)
港区北青山、地下鉄外苑前という一等地に江戸時代蔦木家の菩提寺の法華宗陣門流寺院「連榮山持法寺」はある。法華宗陣門流は日蓮を宗祖(高祖)とし「日陣」を派祖(門祖)の日蓮門下の一派である。白金立行寺第二世日祐が白金立行寺を隠居した後の明暦元年(1655)創建。本尊は三宝尊である。青山通りから左折したすぐ左手にあり「山門=寺号標」を抜けると正面に「本堂」、右手に「庫裏」がある。石塔には「越後国長久山本成寺末寺武州江戸豊嶋郡」、「持代六世感寿院日応」と刻まれている。江戸時代幕臣たちが眠る格式の高いお寺のようで、境内裏手の墓域には檀越となった大久保彦左衛門の分家平左衛門家督「大久保勝次郎」、江戸末期「蔦木家」三代にわたる菩提寺、「井伏鱒二」らの古墓がある。(1912)
鎌倉市小町に小町大路の中程、滑川沿いに源頼朝、日蓮上人ともゆかりがあり、小町の鎮守でもある「蛭子神社」はある。「ひるこ」と読むが「えびす」とも読むことがある。創建(推定)は1192年頃。主祭神は大国主命、山王大権現。明治の神仏分離により「本覚寺」に源頼朝が鎌倉幕府を開く際に鬼門の鎮守として建てた天台宗系「夷三郎社(夷堂)」を当地に遷され、もともとこの地にあった七面大明神と山王大権現(北条氏の守神)を合祀し「蛭子神社」とした。佐渡配流から戻った日蓮上人が文永11年(1274)頃にこの夷堂に滞在し布教の拠点とした。小町通りの左手にある鳥居を抜けると左手に大正12年(1923)の大震災で倒壊し昭和8年(1933)に再建された「本殿」があり、右手に「神輿庫」がある。本殿の奥そばには滑川が流れている。(1912)