相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!
☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

本町田の鎮守「菅原神社」紅葉と黄葉!! 

2019-12-16 14:59:44 | 神社
町田市本町田に「町田三天神」の一社として地域内外の多くの人々から崇敬されている「菅原神社」はある。江戸期初頭の寛永7年(1630)近郷の大沢氏が天神像を奉安し、この地を寄進して本町田の鎮守とした。主祭神は学芸の神として広く知られる「菅原道真公」である。「赤い鳥居」を潜ると急こう配の石段(参道)が続く。正面にまだ木の香がする真新しい「社殿」がある。社殿の前に「神楽殿」、更に最近完成した「参集殿」、境内左の小丘に「愛宕社」が祀られている。また東京都旧跡である「井手の沢古戦場」が建っている。悠久の歴史深かさを今も残す神域、特に参道の「カエデ」の紅葉、石段両側の「イチョウ」は鬱金色に輝き晩秋の美しい彩りに包まれている。(1912)
 
 
 
 
 
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「雨乞い祈願のお寺」として知られている「迎錫山福田寺」

2019-12-16 14:32:50 | 寺院
京都市南区久世(東寺の山門前)に「雨乞い祈願のお寺」としても知られている西山浄土宗寺院「迎錫山福田寺」はある。創建は奈良時代初期(養老年間)、開祖は行基である。この土地に建立され有に1300年に渡る寺歴を誇っている。縁起書によると養老2年(718)、行基菩薩が夢のお告げにより此の地で「釈迦如来、地蔵菩薩」の二尊を刻み精舎を建立し「迎錫山福田寺」と号した。創建当時は八町四方に七堂伽藍を有していた中核寺院であったようだ。平安時代には「百人一首」の歌人としても知られる俊恵法師がここの住職であった。彼の歌仲間に鴨長明がいた。「山門」を潜ると正面に「本堂」、その前には「龍神堂」があり、「龍神像」(京都市指定登録文化財)と言う雨乞い祈願の像が祀られている。(1911)




 

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鎌倉教化を顕彰する「道元禅師碑」

2019-12-16 10:32:41 | 石碑・顕彰碑
鶴岡八幡宮の西の鳥居を出て小袋坂方面へ向かった左側にひと際大く美しい「道元禅師顕彰碑」が建てられている。鎌倉仏教曹洞宗の開祖「道元」は北条時頼に招かれ鎌倉において約半年の教化を行っている。この史跡は道元禅師と鎌倉教化を顕彰するもので道元禅師の750回大遠忌を記念して平成14年(2002年)に建立された。この碑には「只管打坐(しかんたざ)」と刻まれている。道元の禅はただひたすら「坐禅」することである。「坐禅」に打ち込むことが「修行」であると主張されている。「正法眼蔵」の著書には87巻にも及び日本における曹洞宗の真髄が記されている。(1912)

 

 

 

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源氏の氏神「鎌倉鶴岡八幡宮」の煌びやか神域!!

2019-12-16 10:15:23 | 神社
古より京都、奈良に並ぶ政治の中心地であった「鎌倉」の紅葉は今、一年で最も美しい華やいだクライマックスから終焉の時を迎えてようとしている。鎌倉には200近い寺社が点在している。中でも鎌倉市雪ノ下の大臣山の麓に鎮座する源氏の氏神、鎌倉武士の守護神で鎌倉八幡宮とも呼ばれ、相模国一宮の「鶴岡八幡宮」は鎌倉幕府祭祀の中心的な存在で鎌倉のシンボルである。創建は康平6年(1063)。鶴岡は明治3年(1870)の神仏分離までは「鶴岡八幡宮寺」という寺院であり薬師堂、護摩堂、仁王門などの伽藍を擁していた。主祭神は応神天皇、比売神、神功皇后である。国の史跡となっている境内には「若宮」(下宮)、本宮へと続く大石段の下にある朱色の鮮やかな社殿で静御前が舞ったと言われる「舞殿」(下拝殿)、「直会殿」、61段の勾配ある「大石段」を上り切ると朱色の鮮やかな「楼門」があり「八幡宮」の額が掲げられている。その奥に「拝殿」と繋がった「本宮」がある。流権現造りの本宮をはじめ全体が朱色で統一された建物群は煌びやかであり、近年は宇佐神宮、石清水八幡宮、鶴岡八幡宮が三大八幡宮となっている。御神木のイチョウも大分育って大きくなった。柳原神地、国宝館前の紅葉は美しく心に残った。(1912)









 



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