相模原上溝の「七曲下」の信号から蛯川を越えた右手に高尾山薬王院の末寺でもある真言宗の寺院「国分山安楽寺」はある。開山は永亨5年(1433)に寂した源尊法師となっているが、伝承によると応安年間(1368~75)に義清法師により「蓮乗院安楽坊」として開山されたという。本尊は阿弥陀如来である。「山門」の右手前で四体の地蔵がお出迎えしてくれる。山門を潜ると正面に「本堂」があり、その左手には境内を見守るように「弘法大師像」が建てられている。山門前には相模原ではこの一基といわれる三猿と富士山が描かれている「庚申塔」がある。(1505)
ニュルンブルグから約2時間の移動、この旅の2ヶ所目の世界遺産の地、ドナウ河畔の古都「レーゲンスブルク」に立った。果たしてどういう街なのであろうか?ローマ時代からドナウ川沿いの要塞として、交通の要衝として重要な役割を果たしてきた街のようだ。2006年には当時の姿を伝える「レーゲンスブルクの旧市街とシュタットアムホーフ」は世界遺産として登録された。現在中世の面影を残す「石橋」は工事中であったため仮設歩道を渡りへと入っていく。細く曲がりくねった石畳の街にシンボルとして聳え立つのは純粋なドイツゴシック建築の代表と言われている「レーゲンスブルク大聖堂」(その2へ)、その周りに軒を連ねるレンガ色の家並みは古代のままの落ち着いた雰囲気&面影を残している。途中川辺では多くの人が日光浴、川下り、アウトドアを楽しんでいる。特にドナウ川を挟んで見る大聖堂を中心とした町の景色は美しく世界遺産に登録された理由がそこにあった。(1504)
上溝元町に江戸時代には寺子屋を開き近隣の児童の教育の場となっていた曹洞宗の寺院「秀珍山宝光寺」はある。曹洞宗の本山は福井県の「永平寺」、神奈川県の「總持寺」である。寺伝によればここは天文年間(1532~1547)、当時地領であった大石源左衛門定久が出家して真月斉道俊と称し娘の向西尼とともに上溝本郷に向西庵という庵を結び修行、その後慶長年間(1596~1615)に名主佐藤対馬が今の地に移し、名も「宝光寺」としたのが開基のようだ。本尊は「釋迦牟尼佛」である。堂内は文殊菩薩、達磨大師、普賢菩薩、虚空蔵菩薩等の諸仏、境内右手には鐘楼、左手には平和聖観音像、地蔵菩薩がある。そして上溝地区の著名人、日本画家の「片野湘雲」、医者の「井上篤斉」の碑がある。当寺の末寺として本町地区の「常宿寺」、元町地区の「巌寺」の2ヶ寺がある。(1505)
花と緑と文化が薫る新たなパークライフの創出が「県立相模原公園」のコンセプトで、敷地面積は23.8haと東京ドームの約20倍という広大な公園には四季を通じて花が絶えることがない。その相模原公園から道路を挟んだ対岸にあるのが花菖蒲田として知られているのが「水無月園」である。水無月園は2327平方メートルの「しょうぶ田」が三か所あり、その中に伊勢系17、江戸系35、肥後系66と118品種、26,000株が植栽されている。撮影に訪れた日、菖蒲田の除草が行われておりまだ準備段階、全体的には一割も満たない開花状況である。早咲きの紫、ピンク色の「江戸系」が数列、「伊勢系」のエリアで紫色のしょうぶが数列咲いているだけであった。肥後系は遅いのか開花しているのは数輪だけである。来月14日(日)「しょうぶまつり'15」が開催される予定である。色彩といい、艶のある花姿といい、剣状の葉にはやはり雨の季節が良く似合からなのか著名な俳人たちは多く句として詠んでいる。が、「しょうぶ」はあまり水を好まない植物だという。錦絵にも描かれ日本の風情を感じさせる清楚で華麗な「しょうぶ花の世界」が間もなく創り上げられることだろう。(1505)
「相模原北公園」と並んで相模原市のアジサイの名所となっている「相模原麻溝公園」には管理事務所ゾーン、フィールドアスレチックゾーン、樹林広場ゾーン、花の谷ゾーン、芝生広場ゾーンの5ヶ所のゾーンに170種、6000株のアジサイが植栽されている。相模原の市花である「アジサイ」をテーマとした「アジサイフェア’15」が6/7(日)に開催される予定である。一分咲き始めているエリアもあるが全体的には蕾が膨らみかけている状態である。最も開花が進んでいる所は芝生広場ゾーンで白、青、紫、赤色の「ホンアジサイ」が開花し5分咲きとなっている。フィールドアスレチックゾーンではガクアジサイ、ヤエカシワバが可愛らしい花びらを広げ始めている。間もなく訪れるであろう梅雨、再来週の「アジサイフェア’15」に向け主役のアジサイたちも少しずつ開花速度を上げスタンバイしているようである。フェア当日頃は公園全体が色とりどりのアジサイによって彩られ「花の世界」、「アジサイ回廊」が形成されていることだろう!! (1505)