博打と女に明け暮れた学生時代を送り、関西で就職したものの高いレートでの麻雀賭博の借金の形に先物取引業者で働き、前作「病葉流れて」で社長を裏切って刺された梨田雅之が、入院中に知り合った老人砂押に気に入られて東京に戻って砂押の推薦で広告会社に勤務しつつやはり博打と女に明け暮れる無頼小説。
週刊ポスト連載の「病葉流れて」の完結から数年後に「夕刊フジ」に媒体を替えて何食わぬ顔で「病葉流れて」のラストシーンに続けて書き始められています。一般社会の枠にはまらない主人公の博打と女に明け暮れる様子を描いていることは同じですが、前作が暗くやさぐれた情念と裏社会の危なさと猥雑なエネルギーに満ちていたのに比べ、この作品は少し大人びて明るさが見え下手をするとちょい悪恋愛ものとも読めないではないトーンになっています。自伝的ギャンブル小説とされていますが、60代後半になった作者が振り返って懐かしめる/書ける危なさのレベルが変化したということでしょうか。タイトルも2冊で「身を捨ててこそ」と「浮かぶ瀬もあれ」で完結していると思えますし、夕刊フジでの連載も半年以上たっても続きの連載はされていないようですから完結したのでしょうけど、ラストまで読んでも今ひとつ区切りがついた感じがしません。そこからすると前作の評判がいいので続編を書いてみたけど、少し持て余したのかなという気もします。
梨田の勤務先、鉄道会社が親会社で1970年に本社を渋谷から赤坂に移転した業界3位(当時)の広告代理店「Tエージェンシー」という設定では、いくら「本作はフィクションです」と断わられてもねぇ。当時の社内の力関係やリベート、裏金作りの話につい引き込まれます。
前作で売りだった麻雀の場面が減っている上に、「場替えは半荘4回終了毎」(浮かぶ瀬もあれ68ページ)、1回戦は南が桜子、西が私(同70ページ)で、2回戦1局目親が桜子で「対面の私」(同77ページ)ってどういうことでしょう。場替えしてないのに上家が対面に変わるわけないでしょ。さらにとどめを刺すように坂本の上がりで奇手「六対子」まで登場(同243ページ)。「六対子」の牌活字は単純な校正ミスでしょうけど、位置関係に神経を使う高レートの賭け麻雀のシーンでこのミスは麻雀ものとしてはしらけます。
超美人の女子大生水穂との初めてのHの際、「初めての経験だった。これまでの女性経験で、口に含まれたまま果てたことなどなかった」(身を捨ててこそ418ページ)と書かれているんですが、その1月ほど前新宿のクラブのママ姫子との逢瀬で「姫子の唇の奥に、波の飛沫を放つように射精していた」(同93ページ)とあるのはどう考えればいいでしょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_shock2.gif)
白川道 幻冬舎
身を捨ててこそ 2012年5月25日発行
浮かぶ瀬もあれ 2013年1月25日発行
週刊ポスト連載の「病葉流れて」の完結から数年後に「夕刊フジ」に媒体を替えて何食わぬ顔で「病葉流れて」のラストシーンに続けて書き始められています。一般社会の枠にはまらない主人公の博打と女に明け暮れる様子を描いていることは同じですが、前作が暗くやさぐれた情念と裏社会の危なさと猥雑なエネルギーに満ちていたのに比べ、この作品は少し大人びて明るさが見え下手をするとちょい悪恋愛ものとも読めないではないトーンになっています。自伝的ギャンブル小説とされていますが、60代後半になった作者が振り返って懐かしめる/書ける危なさのレベルが変化したということでしょうか。タイトルも2冊で「身を捨ててこそ」と「浮かぶ瀬もあれ」で完結していると思えますし、夕刊フジでの連載も半年以上たっても続きの連載はされていないようですから完結したのでしょうけど、ラストまで読んでも今ひとつ区切りがついた感じがしません。そこからすると前作の評判がいいので続編を書いてみたけど、少し持て余したのかなという気もします。
梨田の勤務先、鉄道会社が親会社で1970年に本社を渋谷から赤坂に移転した業界3位(当時)の広告代理店「Tエージェンシー」という設定では、いくら「本作はフィクションです」と断わられてもねぇ。当時の社内の力関係やリベート、裏金作りの話につい引き込まれます。
前作で売りだった麻雀の場面が減っている上に、「場替えは半荘4回終了毎」(浮かぶ瀬もあれ68ページ)、1回戦は南が桜子、西が私(同70ページ)で、2回戦1局目親が桜子で「対面の私」(同77ページ)ってどういうことでしょう。場替えしてないのに上家が対面に変わるわけないでしょ。さらにとどめを刺すように坂本の上がりで奇手「六対子」まで登場(同243ページ)。「六対子」の牌活字は単純な校正ミスでしょうけど、位置関係に神経を使う高レートの賭け麻雀のシーンでこのミスは麻雀ものとしてはしらけます。
超美人の女子大生水穂との初めてのHの際、「初めての経験だった。これまでの女性経験で、口に含まれたまま果てたことなどなかった」(身を捨ててこそ418ページ)と書かれているんですが、その1月ほど前新宿のクラブのママ姫子との逢瀬で「姫子の唇の奥に、波の飛沫を放つように射精していた」(同93ページ)とあるのはどう考えればいいでしょう。
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白川道 幻冬舎
身を捨ててこそ 2012年5月25日発行
浮かぶ瀬もあれ 2013年1月25日発行