父親が失踪して母親とともに父親の友人の医師に預けられた絶世の美女白草千春が、医師に言い寄られ、街頭で演奏するドラマーや早朝の歌舞伎町で出会ったヤクザに思いを寄せながら、京都の政財界の黒幕に気に入られて世継ぎを産むことになり…といった具合に次々に男に言い寄られ愛人になっては別れ娼婦となっていく半生を描いた小説。
作中で白草千春の半生を「好色一代女トゥデイ」と呼んでいるように、独自のテーマ設定が感じられず絶世の美女で男に翻弄された女の半生を描くことが自己目的化しているような印象でした。設定・展開ともに荒唐無稽で、といって白草千春のキャラがぶっ飛んでたり切れてたりもせず、千春の友人の甲田由里のキャラが少し跳んでいるのが慰めですが、コメディとしておもしろいという感じもしません。
男・人生に翻弄される白草千春の対応が、今ひとつ女としてのリアリティも感じにくい。読んでいて最初に違和感を感じたのが、「我が家の家系は逼迫していて、母のパートで何とかやりくりしていました。豊かではなかったけれど、親子三人暮らしてゆくには充分な収入があるはずでした。それでも家計のやりくりに苦労していたのは、母が浪費家だったからです」(18ページ)という下り。その後母が贅沢品を買っていた等のエピソードは何一つ出て来ません。母親のパートで一体どれだけの収入があるというのか。倹約してもやりくりは苦しいでしょ。この作家には中年女性のパート収入がいくらかわかってないのか。それにそういう家庭で娘がふつうに考えるのは、家計が苦しいのは父親がろくに稼がないからの方でしょう。これは娘の視点じゃなくて中年親父の愚痴と願望でしょう。既にこのあたりで主人公の性格設定なり状況の受け止め方にリアリティがないというか大きなズレを感じました。率直に言うと、このあたりでもう投げ出したくなったのですが、著名作者で私としてはこの作者の小説を初めて読み始めたという事情もあり、読み続けました。文体とか内容には特段の難点はないのですが、リアリティも主人公への共感も感じられず、コミカルなという意味でのおもしろさも考えさせられることもほとんどない400ページ近い作品を延々と読み続けるのは、私には苦痛でした。
島田雅彦 文藝春秋 2013年1月15日発行
作中で白草千春の半生を「好色一代女トゥデイ」と呼んでいるように、独自のテーマ設定が感じられず絶世の美女で男に翻弄された女の半生を描くことが自己目的化しているような印象でした。設定・展開ともに荒唐無稽で、といって白草千春のキャラがぶっ飛んでたり切れてたりもせず、千春の友人の甲田由里のキャラが少し跳んでいるのが慰めですが、コメディとしておもしろいという感じもしません。
男・人生に翻弄される白草千春の対応が、今ひとつ女としてのリアリティも感じにくい。読んでいて最初に違和感を感じたのが、「我が家の家系は逼迫していて、母のパートで何とかやりくりしていました。豊かではなかったけれど、親子三人暮らしてゆくには充分な収入があるはずでした。それでも家計のやりくりに苦労していたのは、母が浪費家だったからです」(18ページ)という下り。その後母が贅沢品を買っていた等のエピソードは何一つ出て来ません。母親のパートで一体どれだけの収入があるというのか。倹約してもやりくりは苦しいでしょ。この作家には中年女性のパート収入がいくらかわかってないのか。それにそういう家庭で娘がふつうに考えるのは、家計が苦しいのは父親がろくに稼がないからの方でしょう。これは娘の視点じゃなくて中年親父の愚痴と願望でしょう。既にこのあたりで主人公の性格設定なり状況の受け止め方にリアリティがないというか大きなズレを感じました。率直に言うと、このあたりでもう投げ出したくなったのですが、著名作者で私としてはこの作者の小説を初めて読み始めたという事情もあり、読み続けました。文体とか内容には特段の難点はないのですが、リアリティも主人公への共感も感じられず、コミカルなという意味でのおもしろさも考えさせられることもほとんどない400ページ近い作品を延々と読み続けるのは、私には苦痛でした。
島田雅彦 文藝春秋 2013年1月15日発行