紫式部の若き日、結婚、夫の死、源氏物語の執筆、中宮彰子の女房としての出仕、宮廷と彰子の実家(藤原道長邸:土御門殿)での日々等を、「紫式部日記」「紫式部集」等の文献を元に、紫式部自身の独白という形式で綴った本。
紫式部が源氏物語を書きその文才を評価されて中宮彰子の女房に取り立てられて宮仕えを始めたが、周囲に馴染めず、自身も馴染もうとせずに同僚たちが冷たいと敵視して数日のうちに(正月だったこともあり)自宅に戻って数か月にわたって引きこもった(122~126ページ)後、職場復帰に際して惚け知れを演じておっとりしているという評価を得て周囲に馴染んでいく(126~132ページ)様子、初期にはまわりに煽られてかつて弘徽殿の女御の女房だった左京馬の落ちぶれた姿をからかういじめを実行した様子(238~255ページ)が描かれ、その後紫式部が彰子の女房としての自覚を持ち後宮の体面を保つべく心得る姿(成長する紫式部…)、死してなお高いイメージを保つ定子の後宮へのライバル意識とそれに大きく貢献した枕草子と清少納言への思いなどが興味深く読めました。
紫式部自身のことだけではなく周囲のことや当時の様子も書かれています。疫病の脅威におののく様子、それに伴う人心の乱れなど、たまたまですが今の世相とも重なる思いがします。
百人一首で「名にしおわば逢坂山のさねかずら人に知られで来るよしもがな」が取られている曾祖父の三条右大臣藤原定方が、「昨日見し花の顔とて今朝見れば寝てこそさらに色まさりけれ」と詠んでいる(32ページ:この人はエッチの歌ばかり詠んでいるのか?)なども味わい深いところです。
紫式部日記等からの古文の引用がそれなりにあり(当然ですね)、古文ってなまじ日本語なだけに今の言葉との類似を見て意味を推し量ってしまいますが、全然違う意味のことが多く、あぁやっぱり古文は難しいと再認識してしまいました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_yodare1.gif)
山本淳子 角川ソフィア文庫 2020年2月25日発行(単行本は2011年10月)
紫式部が源氏物語を書きその文才を評価されて中宮彰子の女房に取り立てられて宮仕えを始めたが、周囲に馴染めず、自身も馴染もうとせずに同僚たちが冷たいと敵視して数日のうちに(正月だったこともあり)自宅に戻って数か月にわたって引きこもった(122~126ページ)後、職場復帰に際して惚け知れを演じておっとりしているという評価を得て周囲に馴染んでいく(126~132ページ)様子、初期にはまわりに煽られてかつて弘徽殿の女御の女房だった左京馬の落ちぶれた姿をからかういじめを実行した様子(238~255ページ)が描かれ、その後紫式部が彰子の女房としての自覚を持ち後宮の体面を保つべく心得る姿(成長する紫式部…)、死してなお高いイメージを保つ定子の後宮へのライバル意識とそれに大きく貢献した枕草子と清少納言への思いなどが興味深く読めました。
紫式部自身のことだけではなく周囲のことや当時の様子も書かれています。疫病の脅威におののく様子、それに伴う人心の乱れなど、たまたまですが今の世相とも重なる思いがします。
百人一首で「名にしおわば逢坂山のさねかずら人に知られで来るよしもがな」が取られている曾祖父の三条右大臣藤原定方が、「昨日見し花の顔とて今朝見れば寝てこそさらに色まさりけれ」と詠んでいる(32ページ:この人はエッチの歌ばかり詠んでいるのか?)なども味わい深いところです。
紫式部日記等からの古文の引用がそれなりにあり(当然ですね)、古文ってなまじ日本語なだけに今の言葉との類似を見て意味を推し量ってしまいますが、全然違う意味のことが多く、あぁやっぱり古文は難しいと再認識してしまいました。
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山本淳子 角川ソフィア文庫 2020年2月25日発行(単行本は2011年10月)