Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

横浜は花火大会

2014年08月05日 21時49分46秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日横浜は花火大会。正式には「第29回 神奈川新聞花火大会」ということになっている。「首都圏でも有数の規模を誇る。尺玉連打や関東最大級の直径480メートルにおよぶ2尺玉、音楽に合わせて打ち上げられる花火など、今年も横浜の夜空に職人が精魂込めて作った花火を打ち上げます!光と音の芸術をぜひお楽しみください。」と宣伝されていた。
 私の住む団地の南側からも、みなとみらい地区の展望が良く、臨港パーク沖で打ち上げられる花火は高層ビルの上に大きな花を咲かせる。
 花火はいろいろのところからそれぞれの風情で見ることができる。何処もがそれぞれに美しい。どこそこでなければならない、ということがないのが人気の秘密でもある。そして美しい花火は、音を抜きには語れない。近くで炸裂する音もいいが、遠くで微かに轟いてくる音もまたいい。開いた花火と音の関係がわかる距離で見るのもいいが、その関係がわからないほどの遠くから見るのもまた楽しい。
 先月も記載したが、7月末の花火大会も含めて横浜の花火大会はいろいろなところで見る機会があった。今は出来るだけ混雑は避けて、見ることにしている。

 本日は強風注意報なので花火大会そのものが行われるのか心配はした。その上開催しても風で流されてしまうのではないか、という心配もあったようだ。幸いにも花火の描く軌跡は特に乱れもなく十分に鑑賞できた。かえって空気がすんでいて良かったようだ。

 随分昔になるが、雲が低く垂れこめた雨上がりの日に山手本通りから見たことがある。花火の煙が炸裂したところに留まって、雲と煙とで肝心の花火がよく見えなかったことがある。その時は炸裂する音が、今にも降り出しそうな湿った空気を突き抜けてくるためか、くぐもったように感じられて、大きな和太鼓のような音を楽しんだことを思い出した。

ブラームス「弦楽四重奏曲第1番」

2014年08月05日 15時59分56秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 ブラームスの弦楽四重奏曲第1番と第2番は同じ作品番号51の1と、51の2という風に並べられる。ベートーベンの弦楽四重奏曲の大きな遺産を前に慎重居士ともいうべきブラームスは念には念を入れて弦楽四重奏曲に手を付けたと云われる。
 弦楽四重奏曲に音を厚みを付加するように弦楽六重奏曲を試みたり、ピアノ四重奏曲、ピアノ五重奏曲、ホルン三重奏曲などを試みている。作曲年代も1865年32歳の頃から1873年40歳までかけている。
 作曲数が増えるにつれ自信を増していったらしく、2年後に弦楽四重奏曲の第3番を完成させ、さらにその翌年交響曲第1番を世に問うている。上昇期のブラームスを代表するのがブラームスの弦楽四重奏曲の3曲ともいえる。
 ベートーベンの弦楽四重奏曲が9つの交響曲という山脈の広い裾野にあたるならば、ブラームスの弦楽四重奏曲はブラームスの交響曲の前山にあたるのかもしれない。弦楽四重奏曲というのは作曲家にとっては、重要な素材にあたる形式なのであろうと想像できる。
 この第1楽章はシンコペーションの多様のためなのかブラームスらしい暗鬱な気分が全体に充満している。旋律も細切れで気分は解放されることなく終了する。
 第2楽章もバイオリンの旋律が美しいが、それが全体を覆うこともない。旋律は大学症に続いて細切れで推移していく。第1楽章から引き続いて、どの音型も全体を引っ張ったり、まとめ上げたりというふうには展開していかない。
 第3楽章も同様に主題は短い音型が繰り返し現れるがそれが大きく自己主張するようにはならない。ここまで聴いていると少し気分が落ち込んでしまう人も多いかもしれない。しかし後半に至ってピチカートを支えにバイオリンもチェロも、時折ビオラも特徴的な音型を繰り返すようになるとそれが舞曲風の明るさを明るさを垣間見せてくれる。
 第4楽章はこれまでの澱みを吹き払うような明るい情熱的な開始である。しかしそれも途中からは再び厚い雲が全体を覆うようになる。バイオリンの旋律は精力的で細かい動きもあるが、私には何故か報われない下積みの努力を思わせる。

 しかし不思議な曲である。聴いた後に不思議な余韻もある。このような曲は内省的な夜にしみじみ聞くのがいい。何となく仄明るい空に向かって飛ぼうとしても失墜を繰り返すような気分は、忘れかけている青春時代の「もがき」なのかもしれない。「若い頃のこと」と捨てることなどできずに、今の自分に照らし合わせながらその頃のもがきを引きづる者にはいい思索の契機になると思う。

              

この暑さは対処しようがないような‥

2014年08月05日 10時48分18秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 気象庁のデータを覗くと横浜では朝9時の段階で30.3℃にもなっている。風は昨日に続き強い。
 朝クーラーを1時間ほどつけてから停めて、セキセイインコをベランダにあるクーラーの室外機の上に置いた。しかし風に煽られて籠の中でも飛ばされそうになっている。結構緊張して怖がっているようであった。餌・水・菜っ葉の取り換えや籠の掃除をしたのちはかわいそうなので、部屋に取り込んだ。室外機の上に籠を置いたままクーラーをかけると、室外機の振動と低音に驚いてバタバタする上に、室外機の温度が上がるのでかわいそうである。
 室内に移すとおとなしくなった。落ち着いたようである。実は夜間に籠を覆っている風呂敷を妻が朝起きてすぐに取ってやる。その時はひと声だけ妻に向かって啼く。次に私が寝ぼけ眼で姿を現すと盛んに大きな声で啼く。どうもベランダに出せと訴えているようである。夫婦の分担を飲み込んでいるのは間違いがなさそうである。
 ベランダに籠ごと出すといったんはおとなしくなるが、すぐに外に向かって、あるいは芝生でついばむスズメやムクドリに向かって盛んに啼くようになる。威嚇しているのか、縄張りを主張しているのか、わからないが。カラスが近くを飛ぶと怯えたように静かになる。
 最近は猫は来ないが、以前猫が来て室外機の飛び乗って籠を室外機から落としたことがある。慌てて猫を追い払い、籠を元に戻して落ち着かせたが、あの時のショックは記憶に残っているのだろうか。今度猫が傍に来た時どのような反応を示すであろうか。

 先ほど再度クーラーをつけた。

 ここしばらくあまりの暑さにウォーキングに出かけていない。夜に歩いてもいいのだが、酔っぱらっていて元気が湧かない。暑さですっかり怠惰になりつつある。

 最近は自分からは利用していない携帯のグリーティングカードをいただいた。とてもうれしかった。感謝!