Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

山の端の月

2014年08月16日 21時23分01秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 本日は神奈川大学の後期の講座の案内が昨日届いたので、受講料と日程を考慮しながらどれを選択するか悩み続けた。うまく組合せがいかない。受講したい講座の日程が重なってしまうのがつらい。まだ結論が出ない。明日も検討を続けなければならないようだ。

 昨夜のウォーキングの途中、更待月が美しかった。本日は宵月。まだ半分以上の明るさだが、明日には下弦の月でちょうど半分の大きさになる。これからまたウォーキングに出かけようかと思う。


 今朝に続き式子内親王の恋の歌を2首。

 待つ恋といへる心を
『君待つと閨へも入らぬ槙の戸にいたくな更けそ山の端の月』
             (新古今和歌集 1204)
【通釈】あなたを待つというので、寝間にも入らずに槙の戸のそばで過ごしている――その槙の戸にひどく更けた光を投げないでおくれ。山の端の月よ。

『忘れてはうちなげかるる夕べかな我のみ知りて過ぐる月日を』
             (新古今和歌集 1035)
【通釈】そのことをふと忘れては、思わず歎息してしまう夕べであるよ。この思いは私だけが知っていて、あの人に知らせず過ごしてきた長い月日であるのに。


 通釈を読んでしまうと余韻も無くなってしまうが、読まないと誤解していることもある。なかなか難しい。


 先ほどウォーキングから戻ったが、残念ながら月は暑い雲のためにまったく見ることが出来なかった。月の在り処もわからないほど雲は厚かった。

台北國立故宮博物院展

2014年08月16日 15時17分23秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 台北國立故宮博物院展を鑑賞してきた。今回の展示では宋・元・明・清代の工芸品、美術品が中心である。一部殷・周代の考古学上の出土品(玉器、青銅器)も展示さされていたが、中心はこの時代のものであった。
 北宋・南宋・元の時代の日本への影響はとても大きい。日本の現代に繋がる芸術・工芸・建築・仏教などの直接的な源流が南北朝・室町時代と言われるようで、広範囲に及ぶ影響を受けている。
 展示物全体の感想や評価を書けるだけの能力は無いので、ふたつに絞って感想を述べてみる。

 今回の展示で私が是非見たかったのが、宋代の山水図(特に武元直(金)の赤壁図巻)と宋の時代の青磁。

   

 まずは、武元直(金)の赤壁図巻
 実に雄大な景観に仕立て上げたものだと思う。蘇軾が赤壁賦を詠んでいる光景というよりも蘇軾の心理描写に近いと思える。
 壬戌之秋、七月既望、
 蘇子與客泛舟、
 遊於赤壁之下。
 清風徐来、水波不興。
 挙酒属客、
 誦明月之詩、歌窈窕之章。
 壬戌(じんじゅつ)の秋、七月既望(きぼう)、
 蘇子 客と舟を泛(うか)べて、
 赤壁の下に遊ぶ。
 清風 徐(おもむろ)に来りて、水波興らず。
 酒を挙げて客に属(すす)め、
 明月の詩を誦し、窈窕の章を歌う。
 高校生の頃漢文の時間に暗記させられた一部を覚えているが、確かこの絵が教科書だったか解説書だったかに載っていたように思う。現実の赤壁の地の描写ではないことは聞いていたが、実際よりは賦のイメージにぴったりである。船が小さく赤壁が異様に高くかつ前面にせり出していて迫力満点の景である。
 宋・金の時代の山水画はこのように大きな自然を描くことが主眼であったと聞く。日本の山水画の源流であるが、日本では雄大な景から身近な景へと変わっていく経過を追うと面白いよ、と言われたことがある。

      

 陶器というものに昔はまったく興味が無かった。いくつの時だったかまったく覚えていないが、何かで高麗青磁を見てその肌の感触を触ってみたい衝動にかられた。博物館が美術館で見たので触ることなどできないのだが、その衝動は大きかった。触ってみようとつい手が前に伸びたが、展示用のガラスに触れそうになって我に返った。そんな経験がある。
 そして吸い込まれそうな薄い緑色でもなく、青白色でもなく、言い表せない色に目を奪われた。これは何とも表現のしようがない感情である。
 組合の退職者会の世界遺産を巡る旅の一環で韓国北部を訪ねたとき、博物館でやはり高麗青磁の花瓶を見て、美しいと思った。
 私が見た高麗青磁はもっと青というか緑が濃い。翡色という言葉がぴったりである。そして高麗青磁の方が形は複雑である。そして象嵌青磁という技法も開発されている。



この高麗青磁の源流である北宋の青磁は形がとてもシンプルである。ある人に言わせると形はシンプルでも緊張感のある形だという。確かに幾何学模様、複雑な数式で描いた曲線図のようにすんぶの狂いも許さないような線で作られている。高麗青磁よりも繊細であることと優美であること、そして壊れやすい危うさを感じる。そして貫入(ヒビ割れ)がいのちなのであるという。これは高麗青磁とは違うところらしい。
あくまでも好みであるが、私は武骨な面があり、色もくすんでいる高麗青磁に大いに惹かれる。それでも今回源流に相当するものを見る機会が出来て良かったと思う。
色合い・形、宋のものの方が美しいという人が多いというのもうなづける気はしている。
 書や刺繍なども多数あるが、これはどうも私は興味が湧かない。興味を惹くほどの知識がないのだと思う。
 また翠玉白菜(前期展示でもともと見ることはできなかった)などの工芸品、透かし彫りの技能の頂点のような陶器などが人気を博していたが、私にはあまりに精緻な工芸品は、これ見よがしの押し出しに負けてしまい、曳いてしまう。見ることは見たが、足早に次に移らさせてもらった。
 玉器、青銅器などの考古学上の出土品にはとても興味がある。玉器の美しさにはいつものことながら惹かれた。まだ白川静の解説をすでに読んでいたが、実際に見る周代の青銅器(散氏盤)と彫られた金文は実際に見るのは感動ものであった。再度白川静の解説文をひっぱり出したくなった。
 本当は宋・元の時代の山水画がわかればいいのだが、知識が不足していて残念ながら素通りをしたものも多かった。実は後期の講座で日本の中世の山水画の講座がある。これを聞いてから見ると良かったのだが‥。

               

見ず知らざりしいにしへの‥

2014年08月16日 10時40分08秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 昨晩は強風注意報が出てしまったのでウォーキングに出かけるつもりが失せていたが、23時直前になって風の音が小さくなった。1時間ばかりならおさまっているかもしれないと思い、出かけた。団地は50メートルほどの標高の丘の上に建っているが、谷に降りると風はほとんど感じられなかった。神奈川大学のキャンパスの周囲をまわる約6キロのコースを約70分ほどで歩いてきた。久しぶりに大股でかなりの速度で歩いたら、お尻の筋肉が少しだけだが痛くなった。
 お盆休みということで、車はほとんど走っていない。たまにタクシーが通る程度で、歩きやすかった。人間もほとんど歩いていなかった。

 この夏、関東地方南部はほとんど雨が降らなかった。私の感じでは気温もそれほど高くなかったのではないだろうか。特徴出来だったのは、風が強かったこと、これは印象に残っている。例年のうだるような蒸し暑さを感じなかった。風が澱んだ湿気、光化学スモッグ注意報が発令されるようなモアッとした暑さは少なかったと思う。
 そして横浜は気象庁のデータではいつも東京よりも気温が低い。私は横浜気象台の観測地点が海沿いで風を受けているところだから、東京よりも幾分低めなのたろう。
 さらにヒートアイランド現象は都の区部の上で発生して海風に乗って北上するようだから、横浜の熱気が埼玉県や群馬県南部の高温に貢献しているようで、気がひける。

 しかし暑い夜には、若い頃を思い出して‥。こんな艶めかしい歌は似つかわしくないが。

『玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの 弱りもぞする』
               (式子内親王 新古今和歌集 恋1 1034)
『君をまだ 見ず知らざりし いにしへの 恋しきをさへ 嘆きつる哉』
               (式子内親王 続古今和歌集 恋5 1316)