寝坊してようやく8時半過ぎに起床。昨晩というか今朝は、ブログの記事をアップしたのち、パソコン前で寝間着も着ないでうつらうつらしてしまった。布団に入ったのは3時過ぎ。風邪をひくような危険を冒してしまった。
本日の飲み会は盛り上がったが、私はその場の後片付けが終わった段階でお暇した。幾人かは二次会に向けて組合の会館を後にしたが、私は本日も深酒をするわけにはいかないので、帰ってきた。
霧雨のような天気のなか、石川町から高島町まで歩いたところで本降りになり、地下鉄に乗って最寄り駅まで。できればそのまま歩いて帰宅したかったが、雨のなか傘を差して歩く気力は失せていた。
夜になって雨は本降りが続いているが、それほど強い雨ではない。雨の降る秋の夜長はこのような曲がいい。
ヘンデルのバイオリンソナタ全6曲。演奏はバイオリンがヨゼフ・スーク、ハープシコードがズザナ・ルージチコヴァー。1975年の録音。
いかにもヨゼフ・スークらしい艶やかで混じりけのない伸びのある響きが秋のしとしと降る雨にふさわしい。ひとつひとつの音をじっくり味わうことができる。テンポはこれもスークらしくゆったりなのが、さらにこのような天気にふさわしい。
音の豊かな響きに合わせて実際よりもさらにゆっくりと聞こえるような気もする。私がもう一枚持っているグリュミオーとヴェイロン・ラクロワよりも演奏時間はどの楽章もかなり長い。
何回も聴いている曲であるが、飽きることがないのは、ヘンデルだからなのか、ヨゼフ・スークだからなのか。私がもっとも気に入っている第4番など、えてして少し重々しく演奏してしまいがちな曲想の部分もあるが、スークの演奏はあくまでも艶やかに明るい演奏に徹している。テンポの大きな揺れを使った情緒的な演奏ではない。かえってそれがこの6曲の統一したイメージを感じさせる。
しかし6曲の作曲時期は不明で、まとまった時期の作曲ではないようだ。その上、第2、3、5、6番は現在ではヘンデルの作曲という確証がないという。これは長年この6曲に慣れ親しんできた私には、それが真実であったとしてもとても受け入れがたい研究成果ではある。
本日の飲み会は盛り上がったが、私はその場の後片付けが終わった段階でお暇した。幾人かは二次会に向けて組合の会館を後にしたが、私は本日も深酒をするわけにはいかないので、帰ってきた。
霧雨のような天気のなか、石川町から高島町まで歩いたところで本降りになり、地下鉄に乗って最寄り駅まで。できればそのまま歩いて帰宅したかったが、雨のなか傘を差して歩く気力は失せていた。
夜になって雨は本降りが続いているが、それほど強い雨ではない。雨の降る秋の夜長はこのような曲がいい。
ヘンデルのバイオリンソナタ全6曲。演奏はバイオリンがヨゼフ・スーク、ハープシコードがズザナ・ルージチコヴァー。1975年の録音。
いかにもヨゼフ・スークらしい艶やかで混じりけのない伸びのある響きが秋のしとしと降る雨にふさわしい。ひとつひとつの音をじっくり味わうことができる。テンポはこれもスークらしくゆったりなのが、さらにこのような天気にふさわしい。
音の豊かな響きに合わせて実際よりもさらにゆっくりと聞こえるような気もする。私がもう一枚持っているグリュミオーとヴェイロン・ラクロワよりも演奏時間はどの楽章もかなり長い。
何回も聴いている曲であるが、飽きることがないのは、ヘンデルだからなのか、ヨゼフ・スークだからなのか。私がもっとも気に入っている第4番など、えてして少し重々しく演奏してしまいがちな曲想の部分もあるが、スークの演奏はあくまでも艶やかに明るい演奏に徹している。テンポの大きな揺れを使った情緒的な演奏ではない。かえってそれがこの6曲の統一したイメージを感じさせる。
しかし6曲の作曲時期は不明で、まとまった時期の作曲ではないようだ。その上、第2、3、5、6番は現在ではヘンデルの作曲という確証がないという。これは長年この6曲に慣れ親しんできた私には、それが真実であったとしてもとても受け入れがたい研究成果ではある。