Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

本日の横浜美術館

2014年08月09日 21時25分12秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 講座終了後、外に出て見たら地面が濡れていた。すでに止んでいたものの受講中にかなりの雨が降ったようである。それでもみなとみらい地区は若いカップルや家族連れが大勢いて賑わっていた。いつも大道芸が行われている場所も、雨で濡れてはいたがとても賑やかであった。
 横浜美術館にてトリエンナーレ2014を再度駆け足だが見てきた。昨日見ることのできなかった作品もいくつか見ることができた。ここも夏休みの土曜日ということで、家族連れ特に子連れの来館者が目についた。子供にこれらの作品を見せて、自由な感性の飛翔を味あわせるのはとてもいいことのように思う。親がつまらない解釈や一般論など常識にとらわれた感想を子供に押し付けてはいけない。そんなことをするくらいならまだ見せない方がいいとすら思える。
 本日もそんな親子4人連れに遭遇した。関わり合いたくないので通り過ぎたが、母親が「あっちの方が色がきれいだよ」「こっちの方が形がよくわかるよ」などと子どもを引きづりまわしていた。子供はもっと別の作品を眺めていたかったように見えた。子供をダメにする親、子供を自分の意のままに従わせようとする親というのはどこにでも多い。悲しいと思う。そんなことより、会場内では静かに、声高にしゃべらない、走り回らない、作品に手を触れないことをしつけてほしいものである。
 常識を外れたり、人を裏切ったりしたら、小さいうちは優しくさとし、成長した時もそのようなことをしたら本気で厳しく叱ればいいのである。怒るTPOを外してはいけない。
 また思いのほか若いカップルも多かった。大学で美術を教えていた私の亡くなった友人が、「学生が展覧会を見に行こうとしない、展覧会鑑賞のレポートを提出させてもネット検索で得た作品解説をコピペしてくるだけだ」と心底怒っていた。でもあの賑わいを見る限り、「そんなに心配しなくても大丈夫だよ」と心の中で伝えたいと思ったが、カップル以外の若い人を見かけなかったのも事実だ。ひょっとしたらカップルだからこそ見に来るゆとりがあるのかもしれない。
 私どものような還暦過ぎの夫婦はほとんどいなかった。平日の空いた時にくるのであろう。


      

長崎忌

2014年08月09日 11時28分59秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 俳句の世界では、8月6日の広島忌は夏、8月9日の長崎忌は秋という分類になる。立秋を間に挟んでいるからである。
 しかし両者を一緒にして夏の部に「原爆忌」「原爆の日」として一緒にしている歳時記もある。広島忌・原爆忌・長崎忌と三つの季語を載せている歳時記もある。時には原爆忌を夏と秋と両方に載せているものもある。
 また一般的な歳時記では広島忌の方が句数は多い。理由は広島の方が先に投下され、どちらかというと被ばくされた方も多く、平野で被害が広範囲であったと云われたことに関係するかもしれない。長崎の方が山に囲まれ、直接の被害が狭く思われてきた経過もあるのだろう。しかし原爆という惨禍に区別はない。「原爆忌」という言葉で一括りされることが多い。そのこと自体は否定も肯定もするべき事象ではないが‥。
 しかし広島なり長崎なりの詠み方があってしかるべきである。同時に今は「季感としての季語を捉える」ことも多くなっている俳句の流れもあり、それは無視できない。悪く言えば最近は句から「地域性」が排除されることが多い。
 それは広島・長崎に限らず、地名を読み込んだ俳句にも普遍性が求められるようになっているからだ。一物仕立ての句よりも、取り合わせ(ニ物衝撃)という句が多く取り上げられることにも関係しているかもしれない。


 私の持っている歳時記数冊で見ても、長崎忌の句は2句しかない。

★首上げて水光天に長崎忌  五島高資

 五島高資は1968年生れ、長崎市出身の俳人・医師。「俳句スクエア」代表。光天という造語と思われる語がみずみずしい。作者にとっては長崎忌であることが大切なのだと思われる。「首上げて」がどういう動作かは想像するしかない。曲げて、回して、ではないことの理由は何か。長崎という周囲を山に囲まれた地域特性から来る言葉かと思っているが、まだよく理解できない。長崎に行く機会があったらいいのだが。そして作者がこの句に言及することがあったら耳を傾けてみたい。

★原爆忌腕鈴なりの電車過ぐ  隈治人
 上記五島氏の20歳の頃に師事した俳人の句。「腕鈴なり」が当時の回想なのか、現代の都会の一般的風景なのか、両者を交互に見すえたものなのか。私は通勤の混雑に身を置きながらそれを契機に当時の回想に飛翔した句と理解している。取り合わせの句でもあり、当時の回想句でもあろう。

★蝋燭に痛みの月日も長崎忌  菅原誠一
★火をたいて人語短し原爆忌  田中みち代
★鐘楼に飛天舞ひゐる原爆忌  藤島咲子
★ほろ酔ひの繰り言多き原爆忌  松山義雄
★釜に水一杓差して原爆忌  小沼宗心
★老いの身にバリウム重し原爆忌  庄司猛  

本日の講座

2014年08月09日 09時50分10秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 久しぶりの講座は連続講座「日本を読む-未来に向けて-」の第4回目、「『不易流行』再考」という題で講師は文芸評論家の三浦雅士氏。文芸評論家として名前を知っているが、それよりも私などの世代は1970年代の「ユリイカ」「現代思想」の編集長として頭に残っている。ともに時々購入はしたが、読み通すだけの力はなく、ほとんどというかまったく記憶していない。今もし読んだらどんな風に、そしてどのくらい理解できるであろうか。
 今回も「不易流行」と「日本を読む-未来に向けて-」がうまく結びつかない。興味深々と行ったところである。

 午後からの講座である。その前後にもう一度横浜美術館でヨコハマトリエンナーレ2014を見てくる予定。