本日電車の中で「腕一本 巴里の横顔-藤田嗣治エッセイ選」を読んでいた。まだ半分も読んでいないが、藤田嗣治という方は自分のスタイルをとても大事にする方と思われた。ある意味では自分をことさら押し出そうとする傾向も感じられる。自分を飾ろうとする意識が過剰なようにも感じた。
あるいは自分をさらけ出さない、出せない人だと思った。そういった意味では不幸な方だったかもしれない。自分を洗いざらいさらけ出すような環境には子供の頃からなかったような気がする。そんなことを想いながらページを括っていた。
さて、歩いて帰る途中に複数の女性と行きあった。どの女性もスマホ歩きで周囲をまったく見ようとしていない。これでは怪しい人間にであったとしても対処しようがないのは明らかである。事件がいろいろあるのに自衛という心構えがまったくない。この歳のオジサンとしては考えられない。
スマホ歩きをしている人というのは、無防備の自分を際限なく人に晒しているに等しい。同時に、人にぶつかっても自分が悪くないと思っている人でもある。夜道で無防備なことは当然にも自己責任も問われるはずだし、人にぶつかって傷つけたら責任を問われるということを知らないわけではないと思うのだが。
あるいは自分をさらけ出さない、出せない人だと思った。そういった意味では不幸な方だったかもしれない。自分を洗いざらいさらけ出すような環境には子供の頃からなかったような気がする。そんなことを想いながらページを括っていた。
さて、歩いて帰る途中に複数の女性と行きあった。どの女性もスマホ歩きで周囲をまったく見ようとしていない。これでは怪しい人間にであったとしても対処しようがないのは明らかである。事件がいろいろあるのに自衛という心構えがまったくない。この歳のオジサンとしては考えられない。
スマホ歩きをしている人というのは、無防備の自分を際限なく人に晒しているに等しい。同時に、人にぶつかっても自分が悪くないと思っている人でもある。夜道で無防備なことは当然にも自己責任も問われるはずだし、人にぶつかって傷つけたら責任を問われるということを知らないわけではないと思うのだが。