Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

自分をさらけだし過ぎ

2014年08月18日 22時04分10秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日電車の中で「腕一本 巴里の横顔-藤田嗣治エッセイ選」を読んでいた。まだ半分も読んでいないが、藤田嗣治という方は自分のスタイルをとても大事にする方と思われた。ある意味では自分をことさら押し出そうとする傾向も感じられる。自分を飾ろうとする意識が過剰なようにも感じた。
 あるいは自分をさらけ出さない、出せない人だと思った。そういった意味では不幸な方だったかもしれない。自分を洗いざらいさらけ出すような環境には子供の頃からなかったような気がする。そんなことを想いながらページを括っていた。

 さて、歩いて帰る途中に複数の女性と行きあった。どの女性もスマホ歩きで周囲をまったく見ようとしていない。これでは怪しい人間にであったとしても対処しようがないのは明らかである。事件がいろいろあるのに自衛という心構えがまったくない。この歳のオジサンとしては考えられない。
 スマホ歩きをしている人というのは、無防備の自分を際限なく人に晒しているに等しい。同時に、人にぶつかっても自分が悪くないと思っている人でもある。夜道で無防備なことは当然にも自己責任も問われるはずだし、人にぶつかって傷つけたら責任を問われるということを知らないわけではないと思うのだが。

「腕一本 巴里の横顔-藤田嗣治エッセイ選」

2014年08月18日 00時54分00秒 | 読書
 早目にベッドにもぐり込み、「腕一本 巴里の横顔-藤田嗣治エッセイ選」を読み始めた。人のことは言えないが、なかなかの悪文である。ひとつの文章に同じ副詞が並んでいたり、戦前と今の表現の違いを考慮しても、あまりに独特の表現である。妻によれば、顔の上に腕を上げたまま寝息をたてていたらしい。多分私が「慣れるまでには時間がかかりそうだ」と思ったときには、寝息をたてていたかもしれない。
 このごろはベッドで本を読むとすぐに寝息をたててしまうらしい。今回は、この独特の文章がいけないのか、疲れていたのか、いつものことなのか、どれもが真相のようだ。

 画家であって、文筆家ではないのでそこは考慮しなくてはいけない。そして内容は面白そうなので、多分気にならなくなると思う。

 先ほど喉が渇いて目が覚めた。これから風呂に入って、しばらくはネットサーフィンをしてから再度読書に挑戦してみよう。