Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

世界平和7人委員会のアピール(7.18)

2014年08月14日 20時26分55秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 本日午後から先輩の通院に付き合って川崎市立川崎病院に同行した。
 朝の内、横浜は晴れていたが、お昼前から強い雨が降り始めた。1時間ほどで止んだのを見極めてから出かけたが、途中でまた強い雨に降られた。
 さらに診察を終えて支払いが終わって病院を出たものの、あまりの雨の強さにびっくりした。病院の入り口にある屋根付きのバス待合所にいても雨が跳ね返ってきて濡れてしまう。やむなくタクシーで川崎駅に向かった。雷注意報も発令されたが、駅前の喫茶店で雨宿りしていたらさいわい1時間ほどで雨は上がった。
 横浜に戻っても強く降ったりやんだりを繰り返したため、歩くのは諦め、久しぶりにバスで帰宅した。降り始めると瞬く間に大粒の強い雨となる。そして止むときはピタッと止む。あっけらかんとしているというか、外連味が無いというか、不思議な雨の降り方である。

 本日は予想はされていたが、辺野古のブイ設置作業の強行の話が朝からあり、気分的にはいやな日となった。



 さて、世界平和7人委員会が発した7月18日のアピールを掲載し忘れていた。7人委員会には池辺晋一郎氏が加わってまた7人となった。
 小沼通二氏から7月に入ってすぐに「またアピールを出すからブログで広めてください」と神奈川大学の講座の終了時にエレベーターの中で直接要請されていたのだが、すっかり忘れていた。大変申し訳ない事をしてしまった。遅ればせながら約束を果たしたい。


ちょっと悲しい

2014年08月14日 10時15分02秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 月曜日に所用で日吉まで出向き日吉駅の傍の中華料理店で昼食を取った。駅から5分位離れたところにある店で、K大生には約200円ほど安いランチが用意されている。
 夏休みで空いていたが、注文した冷やし中華が出てくるまでの間に学生が7人ほど入ってきた。その会話が耳に入ってきてボーっと聴いていたが、高校野球の話題になった時、思わず妻と顔を見合わせてしまった。

女子学生A「神奈川の東海大相模はどこと対戦するの?」
男子学生B「盛岡大付属とか言ってたよ。」
女子学生C「それどこの高校?」
男子学生B「盛岡だから仙台だよ。」
女子学生D「そうだね。」

 東北で生まれ育った妻はとても悲しい顔をしながら「やっぱり東北を田舎だと思って全然気にもかけてくれないんだ」。
 私もかなり悲しかったが、しかし、私も中国地方や九州のこととなると県庁所在地以外のことは時々曖昧とすることがある。妻にはそのことを伝えて、とりなした。実際妻は、私以上に九州や関西の地理にはかなり疎い。やはり9地方47都道府県、馴染みのないところは記憶があいまいであるが、せめて県庁所在地と県名位は覚えておかないと恥ずかしい。
 不思議なのは、この7人の会話はこの4行で終わり、すぐにそれぞれの音楽の趣味の話に移っている。池に砂粒ひとつ程度の波紋が残って後は静かにおさまった。

 そして昨日、東京国立博物館に向かう途中上野駅の構内で、20代の女性2人が友人のことを話しているのが耳に入った。

A「彼女は江戸川区に住んでいるんだって」
B「江戸川区って千葉県だよね」
A「そうだよ」

 月曜日の盛岡、仙台の会話以上にビックリしたが、これは笑えた。東京に住んでいそうな2人だったが、これは小話で通用しそうである。さすがに妻も笑っていた。
 荒川を超えると23区内ではないという意識が現在あるのだろうか。
 確かに江戸川区・葛飾区一帯は江戸時代までは江戸の府内ではなく下総国だったし、鎌倉時代は千葉氏が支配していたところではある。さらに古代では今の江東区や墨田区の一部も下総に含まれてしたらしい。
 しかし彼女たちの会話はこんな歴史的経緯とはまったく関係のない地平にある。

 盛岡・仙台の話は、7人もいれば東北に縁者がいてもおかしくないのに、異議を唱える者もない。江戸川区の話は、「横浜都民」「東京都川崎市」などと揶揄的に言われる類の延長線上に位置していて、それが当たり前になってしまったのかな、と思った。
 どちらにしてもどこか生活感の希薄な会話に思えた。自分の周囲に対する関心が極めてうすいと思われた。

 そして、昨晩寝る前にこんなことを思い出した。1972年の初め、当時毎日新聞か何かに載っていたらしい逸話だ。東京の繁華街で女子大生に新聞記者が質問していた時、女子大生から「えっ、日本はアメリカと戦争したんですか?」と逆質問されて言葉を失った、という記事が話題になった。バリケードの中で友人との会話に出てきた話でとても印象に残っている。新聞記者は「高校の歴史の教育の欠陥である。戦後史は三学期それも3月に付けたしのように教えてしまうか、時間が無くて触れないし、受験にも出てこないから覚えないのだ」と結論付けていたらしい。
 1972年というと戦後27年、私と同じくらいの年代の学生の話である。記者の作り話ではないか、とも私は思った。
 最近は、理系の志望者が減った、大学生の学力が落ちた、などといろいろ言われる。それが本当かどうかは知らないが、知識としてではなく自分の周りの人々の会話や生活意識をキチンととらえていないからこの程度のことすら、「学校で教わらないから知らない」ということになってしまうのではないだろうか。学校教育の所為にするのはたやすい。本当は「家庭が問題ではないのか」と当時思った。
 そうこうしているうちに、「箸の持ち方」「友人との遊び方やルール」「教室ではさわがない」「人のものを取ってはいけない」「言葉遣いを正しく」「食事の仕方」‥‥すべて学校教育の責任だといわれるようになった。1980年代以降のことである。
 こどもを育てることに生活感の希薄な育て方が横行してしまっている。これはとても危ういことのように思える。年寄りの余計なお世話であろうか。

 しかし人の話を聞くというのは面白くもあり、忍耐も必要であり、難しい。

ハイドン「チェロ協奏曲外」再論

2014年08月14日 08時37分05秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 ハイドンのチェロ協奏曲で持っているのは、11日に取り上げたジャクリーヌ・デュ・プレのCDだけかと思っていた。これはたしか10年ほど前に購入したものである。私の家では作曲家別に整理しているのだが、昨日CDの棚にこれを戻しているときに、別の個所にハイドンのチェロ協奏曲集を見つけた。いつ購入したのか私にはまったく記憶が無い。
 チェロはスティーブンス・イッサーリス、ロジャー・ノリントン指揮のヨーロッパ室内管弦楽団となっている。イッサーリスの名は知っているが、指揮・管弦楽団ともに未知である。Wikiではノリントンについて「時代楽器や時代様式を用いたバロック、古典派、ロマン派音楽の演奏で有名なイギリスの指揮者」と記載し、ヨーロッパ室内管弦楽団については、アバドにより1981年に設立されたロンドンに本拠を置く楽団となっている。
 このCDは1996年録音となっており、購入したのはデュプレのものよりも早いかもしれない。たぶん購入した後聴いたこともないと思われる。我ながら情けないものがある。
早速聞いてみたが、録音がデュプレのものよりも約30年たってからのデジタル録音だけあって、音質は格段に良い。そしてチェロの音はごく自然の響きに聞こえる。録音ではデュプレのものよりも低音の響きがいい、チェロ特有の深みのある低音が嬉しい。
 イッサーリスの他の演奏も知らないので、断定的なことはいえないが、メリハリの効いた聞きごたえのある演奏だと思う。チェロ協奏曲の第1番、第2番のほかに、交響曲第13番の第2楽章(チェロと弦楽オーケストラのためのアダージョ・カンタービレ)と、協奏交響曲の2曲が加わっている。
 いづれも私は初めて聞く曲なのだが、交響曲第13番の第2楽章はとても気に入った。冒頭のチェロの旋律がのびやかでチェロならでは曲である。第二主題もチェロが朗々と響く。甘い滑らかな曲である。これは何回聴いても新鮮な気分になれる曲だと感じた。今まで聴かずにいたことがもったいないと思っている。
 チェロ協奏曲第2番の第1楽章は細かなパッセージが連続するところもあり、なかなかの難曲だと思うが、とても聞きやすい。旋律が明確に造形されている。
 カデンツァはふたつの協奏曲共に、独奏者のオリジナルである。多少の違和感があったが、聴き慣れれば問題はなさそう。
 デュプレのものアナログ音源のためか、低音が響いてこないし乾いた音に聞こえたが、このデジタル録音では低音はちゃんと響いている。しかしこの独奏者、私の感じではチェロの中・高音の音質も心地よい。

 ハイドンのチェロ協奏曲は結局2枚のCDを持っていることになったが、これからはこのCDを聴こうと思う。