本日の講座「旬なアートで楽しむ美術鑑賞 西洋美術編」の講師の三沢恵子氏から、『藤田嗣治-「異邦人」の生涯』(近藤史人、講談社文庫)、『腕一本・巴里の横顔 藤田嗣治エッセイ選』(近藤史人、講談社文芸文庫)の2冊を紹介してもらった。
前回の講座の時、箱根のポーラ美術館で開催されている「モディリアーニを探して」展の解説をしてもらった。最後に私が「藤田嗣治はモディリアーニと交流があったが、何を学んだのか?」という質問をしたとき、このふたつの本の紹介を約束してくれていた。約束を忘れず早速正確なところを教えてもらい感謝である。
早速これを求めてみたいと思っている。
実は田淵安一は1968年に藤田嗣治をパリで看取っている。このことは昨日までの田淵安一の回顧展の感想で触れようと思っていたが、そこまで力量が無くて触れなかった。当初は題名は「フジタを看取った田淵安一」にしようと思ったが、それでは田淵安一という画家の個性を否定してしまうので、止めた。しかし田淵がフジタから学んだものは大きいと思う。同時にフジタが西洋から何を受容したのか、受容しなかったのかというのはとても大切な視点だと思っている。ただしこの本を読んだからといって、私が理解できるかどうかはまた別問題である。
フジタがパリで異邦人としてその生涯を終えたといっていいか、私は今のところわからないが、少なくともフジタを語るときに「異邦人」ということは避けて通れない。田淵安一についても避けては通れないとも思っている。
この2つの著作に期待してみようと思う。
前回の講座の時、箱根のポーラ美術館で開催されている「モディリアーニを探して」展の解説をしてもらった。最後に私が「藤田嗣治はモディリアーニと交流があったが、何を学んだのか?」という質問をしたとき、このふたつの本の紹介を約束してくれていた。約束を忘れず早速正確なところを教えてもらい感謝である。
早速これを求めてみたいと思っている。
実は田淵安一は1968年に藤田嗣治をパリで看取っている。このことは昨日までの田淵安一の回顧展の感想で触れようと思っていたが、そこまで力量が無くて触れなかった。当初は題名は「フジタを看取った田淵安一」にしようと思ったが、それでは田淵安一という画家の個性を否定してしまうので、止めた。しかし田淵がフジタから学んだものは大きいと思う。同時にフジタが西洋から何を受容したのか、受容しなかったのかというのはとても大切な視点だと思っている。ただしこの本を読んだからといって、私が理解できるかどうかはまた別問題である。
フジタがパリで異邦人としてその生涯を終えたといっていいか、私は今のところわからないが、少なくともフジタを語るときに「異邦人」ということは避けて通れない。田淵安一についても避けては通れないとも思っている。
この2つの著作に期待してみようと思う。