Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

本日の身辺雑記

2015年12月04日 20時07分01秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 天気予報による風速は外れたようだ。横浜では予報したよりは風は強くならず最大5メートルほどであった。しかし各地で風や雪の被害が出たようだ。横浜でもまだ強風注意報は継続中なので引き続き注意は必要。
 午後2時過ぎに家を出て横浜駅まで、そののち組合の会館まで出向き所用をすませ、先ほど自宅に戻った。今週はすでに月・火・木と3日間は2.3万歩を超えているので本日は往復で1.2万歩ほどで満足することにした。3日間はどの日も汗だくになるほどのウォーキングではなかったが、時間当たり7千歩ほどのウォーキングを繰り返したのでそれなりの運動量にはなったと思われる。

 帰宅前に横浜駅で有隣堂を覗いてみた。講談社文芸文庫が置いてあるコーナーを覗いてみたら、古井由吉、塚本邦雄、大西巨人、梅崎春生、木山捷平、大岡信、埴谷雄高、井上光晴などが並んでいた。とくに古井、塚本、大西については購入していなかった作品もあり、是非とも手に入れたかった。近いうちに是非幾点かは読んでみたいものである。そうはいっても読みたい本、購入して順番待ちの本は他にもたくさんある。積読ではまずいので、購入したくならないように手に取って見ることはやめた。

 明日は、神奈川大学の横浜キャンパスで開催される日本常民文化研究所主催のシンポジウム『「漁場図」を読む』に出席ののち、都内で行われる忘年会に参加する予定である。飲み過ぎて帰宅するのに乗り過ごしなどにならないよう注意しなくては‥。今年最初の忘年会である。

「災害がほんとうに襲った時 阪神淡路大震災50日間の記録」(中井久夫)

2015年12月04日 13時03分59秒 | 読書
 昨日「中井久夫氏について」を記したが肝心なことを書き忘れていた。



 中井久夫氏の著書の中で、私は1995年1月の阪神淡路大震災での氏の活躍に多くのことを学んだ。
 氏の著作というか実践の中で特筆すべき業績のひとつが、1995年1月の阪神淡路大震災時に、神戸大学の精神科医師として、病棟の責任者としての実践であり、それをまとめられて著作として世に示されたことだと思う。
 2011年に刊行された『災害がほんとうに襲った時 阪神淡路大震災50日間の記録』みすず書房を購入して、冒頭の「災害がほんとうに襲った時」という文章は今読んでも当時の現場の雰囲気が手に取るようにわかるような気がする。「わかる」と云ってしまってはいいすぎであろう。

 私も都市基盤施設の維持管理を行う行政組織の末端の人間であった。人は誰でも組織の中で活動している。大小を問わず組織の責任者である場合もあるし、最前線で活動する立場の人もいる。
 災害時、組織の構成人員の在りように目を配り、そして患者の安全に最大限の配慮を行い、神戸市全体の精神医療の在りように言及する、このように振る舞うことの大切さはあらためてゆうこともないと分かっていても、やはりとても大切だ。また多くの人が中井氏の下で働いた。それだけの豊かな人格者であったと思われる。災害時にこそ人の価値がわかるものである。人がどのような人を評価するのか、またどのような人の下で働きたいと思うのか、そのことによっていかに多くの人が救われるのか、よくわかる。
 小さなエピソードを大切にしながら、常に全体を見通すことの大切さをあらためて教えてくれる書物である。

 しかしこの書物を初めて手に取った時、私は行政職員としても、また自治体職員の労働組合の役員としての役目も2012年3月末で終わる寸前であった。もっと早く目をとおす機会があればよかったと悔やんでいる。同時に40年近く携わった職場での体験をあらためてまとめてくれたという気持ちも起きた。
 この文章を読むたびに私は、1995年当時私がかかわった市の行政支援としての災害派遣へ参加する組合員や規模等についての交渉、労働組合が取り組む組合員のボランティア派遣、組合の支援カンパ・物資の集約等々の窓口として慌ただしかった。その活動では「想像力」がとても問われた。私の職場は日常が災害である。大雨・降雪だけでなく些細とも思われる施設の欠陥が大きな事故につながる職場であった。災害時に何か必要か、どのような資器材が必要か、それらが本来目的以外に有効活用される場面は何か、いつも頭の中に描いていた。ノウハウは常に第一線の職場にある、とうのが私が身につけたノウハウの第一である。
 当然ながら市全体でそれらの準備をする人間には、それらのノウハウはあまりない。それをあらゆるチャンネルを使って情報を集める能力が、全体の統括者には必要である。われわれは彼らに対して柔軟に入れ知恵をする必要がある。特に災害時の行政支援の責任者には問われる資質である。

 同時に、災害時の教訓を引き出すのに大切なことのひとつに「小さなエピソードを大切にする」ということである。これは身に浸みつけたことのひとつである。
 この著書でも著者の下ではたらく人々のエピソードを大切にしている。それだけではない。表紙に掲げられている町での小さなエピソードを大切にする気持ちが、組織全体の活性化にもつながるのである。
 私は先輩たちと台風などでの災害配備などのあと、近くの居酒屋でいつも一献をか傾けることを続けてきた。そこでは、あの時トラックに何を積み込むのを忘れた、あの器具をこんな使い方したの初めてだ、おまえはあそこで扱けた、トラックの燃料の点検忘れていた、あそこの一角の排水はいつも詰まる、緊急時の伝票こそ丁寧に、などなど細かいことなども笑いながら忌憚なく思い出を出しそれを披露し合う。それが意外と次の安全行動に綱かったり、準備作業の効率化に繋がったり、若い人の教訓となったりということにつながる。労働組合の役員としてのノウハウも資質もこのような場所で鍛えられた。そのような場所に参加したがらない所属長や上司は大体が人気はない。災害時の指示も頓珍漢であったり、責任を取ろうとしない人が多い。
 昔は、建設現場や建築現場の職人たちもよく仕事が終わるとそのような場を持っていた。居酒屋の隣りではそのような人々がたくさんいた。最近はなかなかそのような場面に出くわさない。聞くのは上司や同僚の悪口ばかり、とは私の偏見だろうか。

 この本は医師、それも精神科といわれる人々の実践の記録であるが、私は企業や行政など組織に関わる多くの人にとって実践的なことがちりばめられている著作だと信じている。


このブログへのご訪問にあらためて感謝

2015年12月04日 03時00分27秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 風の音で目が覚めたら、今度は寝付けない。やむなくもう一度パソコンを立ち上げようとしたら、パソコンの電源は入ったままであった。
 風は少し弱まった気はするが、このままおさまることは無いようだ。

 寝付けずに画面を眺めていたら、これまでのトータルの訪問者数が35万を超えていた。同時にトータルの閲覧数も140万を超えている。ビックリすると同時に、訪問者数の順位がずいぶんと上がってきたな、と思った。
 始めの頃は1万以下で順位に顔を出すことも無かった。そのうち1万以内だと順位が出ることに気がついた。しばらくそこら辺の順位を続けていたら急に7000番台、5000番台と推移していた。今年に入って2700~3100番台前後で推移している。

 この記事の最後になってしまったけれど、このブログにお付き合いしてくれる皆さんに感謝申し上げます。
 引き続きこのブログは継続しますので、よろしくお願いします。


風がかなり強くなってきた

2015年12月04日 01時00分05秒 | 天気と自然災害
 横浜・川崎に強風波浪注意報が発令となっている。本日は一日晴れるようだが、風速は8メートル、最高気温は昨日は変わらず14℃位のようだ。風がある分寒く感じるはずである。
 先ほどベランダで干しておいた傘が風で煽られていたので、取り込んだ。

 特に本日は出かける予定になっていない。風の様子をみながらウォーキングに出かけられるか、判断することとしよう。

 明日こそは、退職者会のホームページの更新(三つの記事が未掲載)でも仕上げてしまいたいと思っている。せめてひとつくらいは掲載したいものである。