Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

横浜で震度2

2015年12月26日 23時53分23秒 | 天気と自然災害
 東京湾(北緯35.5度、東経139.8度)で深さ20キロで地震が5回続いた。23時21分の自身がもっとも規模が大きくマグニチュード3.4となっている。

 22時12分 M3.1 深さ20キロ
 23時04分 M2.8 深さ20キロ
 23時16分 M2.7 深さ20キロ
 23時18分 M2.7 深さ20キロ
 23時21分 M3.4 深さ20キロ

 最初の時には私の住んでいるところは震度1以下だったようだが、揺れを微かに感じた。同じところで起きてはいるが規模は小さいし、特に心配は無いようだが、起きている個所が微妙にずれている。初めの4回は千葉県に近い海底だが、最後のは川崎市のすぐ沖合である。そんなに近いところとは感じなかった。

→【http://www.jma.go.jp/jp/quake/

モーツアルト「ヴァイオリン協奏曲第4番、第5番、外」

2015年12月26日 23時36分25秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 年賀状はどんなものにしようかと考えてみたが、うまく考え付かない。かけた音楽が年賀状とはあまり縁のなさそうなモーツアルトだったからだろうか。
 一昨日に引き続きモーツアルとのヴァイオリン協奏曲の第4番(1775年、19歳)と第5番(同)、ならびにヴァイオリンと管弦楽のためのアダージョ(1776年、20歳)の3曲。耳に心地よいばかりではなくね懐かしい曲でもある。特に第4番の出だしは印象的で、一度聴いたら忘れられない。



 一昨日と同じくヴァイオリンはヨゼフ・スーク、プラハ室内管弦楽団、1972年の録音である。
 第4番は第1楽章があまりに有名でそして確かに美しい。私は第2楽章の穏やかな曲想もまた好みである。「軍隊」などといわれるが、第1楽章からつけられたようだが、特にいわれは無いようだ。
 第5番がもっとも多く演奏されるという。「トルコ風」という名で当時はやりのトルコ趣味に基づくということである。5曲の中ではもっとも長く30分近くかかる。第2楽章のアダージョが10分以上要することによる。第3楽章もヴァイオリンが実に華やかである。この楽章だけを独立して聴く、という友人がいる。それも悪くはないと思う。
 この第5番は一番演奏されるだけあって格調高く聞こえる。私などが協奏曲らしい協奏曲に聴こえるということは、後の時代の協奏曲のお手本のような曲なのかもしれない。
 もう1曲の「ヴァイオリンと管弦楽のためのアダージョ」は、第5番の第2楽章との関連かがあるらしいとのことである。「ザルツブルク宮廷楽団のヴァイオリニストであるブルネッティには合わなかった第5番の第2楽章を彼のために書き換えたもの」ということらしい。しかしこれがどのように合わなかったのかはわからない。私の好みで云えば、聴きなれているせいもあるが、元の方がいいようである。


忙中閑

2015年12月26日 21時31分52秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 本日は無事カレンダーをひとつ見つけて購入。もうひとつは大晦日までに購入するつもりで、慌てずに物色することにした。
 横浜駅の東口・西口双方を歩いたが、さすがに年末最後の土曜日ということでものすごい混雑であった。伊勢佐木町もみなとみらい地区も大勢の人で混雑していた。明日はもっと混むかもしれない。しかし関内の駅のすぐ近くの喫茶店は思ったよりはすいていた。あくまでも想定していたよりは、ということであるが‥。普段はサラリーマンで混雑しているが、年末で土曜出勤のサラリーマンは少なかったのであろう。そのかわり若いカップルが多かった。
 さいわい入った喫茶店に空きがあり、1時間ほど読書をすることができた。帰りがけに購入していたカレンダーと野球帽を忘れて、お店の人に呼びとめられたのはご愛嬌。また横浜美術館に寄るつもりも忘れていた。どうもこのところ気が抜けているのではないか、と自分のこととはいえ心配である。どこかで緊張の糸が切れているかもしれない。

 今月後半はウォーキングもしていないし、毎日の歩数も15000歩未満が続いている。明日からは少しウォーキングを行いたい。
 年賀状もまだまったく手を付けていない。

★はらわたの紆余曲折を年の暮   中原道夫
★噴水の丈切り詰めて師走来る   橋本荣治

カレンダーを探しに‥

2015年12月26日 14時01分28秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 年末になってカレンダーがいくつか足りない。居間と寝室と台所。すでに妻の机の上は猫のカレンダーがかかっている。銀行で貰った1枚物のカレンダーが私のパソコンラックの近に貼ってある。トイレには小さなものを購入した。欲しいものは6枚物のカレンダーである。娘がひとつは持ってくるとのことなので、あと二つである。

 私がまだ学生の頃は年末になると酒屋や近くの蕎麦屋で、年末にはカレンダーを配布していたものである。最近はそのような習慣はほとんどなくなった。「カレンダーは買うものではない」あるいは「カレンダーを貰えないならその店を利用しない」などという商い上の習慣が当たり前ということは私には不思議な気がする。小さな小売店で配布するカレンダーに店名が記してあっても大して宣伝効果があるわけではない。たまに普段行くこともあまりない蕎麦屋さんなどでカレンダー貰ったりすると、私がまだ小さかった頃の商習慣が思い出されて懐かしいが、同時にとても恐縮してしまう。小さな商店にこのようなサービスを求めることは今の時代は酷というものであろう。
 銀行でも最近は配布しなくなった一方で、信用金庫などでは1枚物のカレンダーを配布しているところがまだある。私が毎年利用させてもらっているのはわたし好みである。毎年恐縮しながらも大切に愛用させてもらっている。利用者が多い企業にとっては宣伝効果はあるかもしれない。効果という点で考えた場合、カレンダーの配布・作成費用との兼ね合いで、自ずと企業規模、取引環境・規模によって差が出るものと思われる。
 部下が上司にお中元やお歳暮を贈り、下請け業者が発注者に物を送り、許認可を受けるものが許認可権者にお礼を行い、という弱いものが力を持つものに何かを送るという負の連鎖をどこかで断ち切らないといけないと思う。私の周囲でも「あそこの店はカレンダーも持ってこない」などと怒っている人がいる。いつも「そんな時代ではないよ」とたしなめることがある。また「カレンダーをもらうほど利用しているの?」と聞くと黙ってしまう。「購入してやっている」という上からの目線で人を見下している、ということに無自覚なのである。
 対価はつねに契約の中に明記されていなくてはならないし、それ以外ではあり得ない。信用と信頼は、購入してもらう側からの贈与で培われるものであってはいけない。

 私が一番恐れるのは、人間慣れてしまうということである。貰い続けているといつの間にか貰うことが当たり前になり、さらに相手の都合を顧みずに貰うことを強要するようになる。贈る方もいつの間にか贈っているのだから、と見返りを求めるようになる。特に贈る側は苦しい状況になるとそこに一縷の望みを託すようになる。こうなると商習慣は破たんする。取引の範囲が限定されていたり、地域などで相互了解を前提として、成り立っているうちはいいのだが‥。
 また、印刷屋さんなどのようにカレンダーそのものが商品見本のような場合と、そうでない場合とではおのづと考え方も違うかもしれない。
 私の論理が飛躍しすぎてはいるかもしれないが、私にとっては「たかがカレンダー、されどカレンダー」という思いが強い。

 話はさらに突拍子もなく飛躍するが、私は「もてなし」ということば、いい言葉だと思うがこれが現在の使われ方を見ると「強要」と同義語に思える。
 支払う側が、サービスを提供する側に対して対価以上のサービスを強要する方便に使われていないだろうか。クレーマーの拠り所にされていないだろうか。普段耐えている者が次の瞬間には抑圧する側にまわるという、未成年者の「いじめ」の構造、円環に拍車をかけているのが大人の世界の「おもてなし」という言葉に象徴されているように感じる。
 しかもこの発想が雇用者と働く者にまでいきわたり、ブラック企業がのさばるのだ、というのは牽強付会だろうか。


 さて話をカレンダーに戻して、ここ十数年、いつも大きな書店でカレンダーをいくつか購入していた。しかし今年はこれから必要なカレンダーを探しに関内まで出かけることにした。大手の書店ではそれなりの値段なので、伊勢佐木町通りまで行ってみたい気がする。確か何年か前、伊勢佐木町の5~7丁目の付近で年末に安く販売していた記憶がある。ただし気に入ったものは無かった。今でも販売しているのであろうか。