Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

年賀状が足りなかった

2015年12月28日 23時50分54秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 結局買い出しに行って、伸し餅を1枚と小さいながら鏡餅を1組、そして屠蘇用の日本酒4合瓶、白菜1個を持たされた。まぁ日本酒1本はほとんどが私の飲む分であるから文句は言えない。
 家に戻って賀状のあて名書きを始めたが、3枚の印刷ミスもあり10枚ほど足りなかった。明日午前中にでも出かけて15枚ほどは買い足さなくてはいけないようだ。
 ついでに荷物が重くて買えなかった正月用の焼酎も購入したい。昼間大きなスーパーのお酒のコーナーで物色していたら、おいしそうな泡盛を見つけた。1本しか棚になかった。明日まで売り切れなければいいのだが‥。

 明日までに印刷は終わるが、ひとことの記入を考えると全体の仕上がりは30日にずれ込みそうである。
 3ヶ日には間に合うだろうが、元日には無理かもしれない。元日に賀状が届くというのはおかしな話である。確か戦後にできた習慣のはずである。戦前は年が明けて、松の内に書いて投函したというような話を聞いた気がする。
 私としては特にこだわりはないのだが、1年に一度の安否確認、無沙汰のお詫びとして有効に利用させてもらっているのが、年賀状である。


モーツアルト「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲、2つのヴァイオリンのための協奏曲」

2015年12月28日 19時37分05秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 昨日、本日と作業の間にかけていた曲はモーツアルトの「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲、2つのヴァイオリンのための協奏曲」の2曲。これまでと同じくヴァイオリンはヨゼフ・スーク、プラハ室内管弦楽団、前者は1972年、後者は1973年の録音である。

 「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲」(1779、23歳)をFM放送で初めて聞いた時はヴィオラというのはこんなにもいい音色で表情が豊かなのかとびっくりした。それまで弦楽四重奏曲でしか聴いたことが無かったので独奏楽器として自己主張する楽器とは考えもつかなかった。弦楽器と云うとヴァイオリンとチェロの音色しか思い浮かばなかったのだから情けない話ではあった。演奏者も覚えていないのだからどのような聴き方をしたのかはわからないが、とてもびっくりしたことだけは記憶している。
 私が特に特に気に入っているのが第2楽章である。モーツアルトならではの短調の旋律が印象的である。ヴィオラはヴァイオリンに従属的だが、ふたつの掛け合いの個所が実にいい。ヴィオラの音色の特質を生かして十分に響かせてあると感じる。このくらいのテンポがヴィオラの音色を堪能するのに適していると勝手に思っている。
 第3楽章は雄大な曲想で、晩年の交響曲などを思い浮かべるような感じがする。ホルンの活躍が初めてこの曲を聞いた私には新鮮に聴こえた。当時はまだホルン協奏曲の存在を知らなかったが、それでもホルンの魅力の入門だったかもしれない。
 初めて聞いたのち、同じく学生時代にFM放送でたまたま数回聴いたことがあるだけなのだが、ずっと印象に残っていて、当時はとても高かった洋版のLeaポケットスコアを購入したのをおぼえている。このスコアが横浜に引き上げてくるときにどこかへ行ってしまった。

 「2つのヴァイオリンのための協奏曲」(1774、18歳)も前の曲と同じ時期に初めて聞いた記憶がある。前曲と同じく二つの楽器、しかも同じヴァイオリンのための協奏曲にもかかわらず第1楽章から第3楽章に至るまで終始オーボエが活躍する。2つのヴァイオリンとオーボエのための協奏交響曲といってもいいような曲である。
 ソロ3者がそれぞれに対等に活躍する管弦楽の伴奏付きの曲というのはとても無ガスしいと思う。それぞれの楽器の特徴を発揮して統一感を持たせる、しかも伴奏の管弦楽団にも存在感を〆させるというのは、至難の業のように思える。さらにヴァイオリン、オーボエと音域は近い上に音色も分かちがたいものがある。
 やはりスコアを購入しようとしたが手に入らず、ピアノ伴奏のヴァイオリンの教則本を購入している。

      

部屋の片付け

2015年12月28日 13時30分27秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 やはり年末、妻は大掃除に精を出してくれている。私もボーっとしていられなくなり、せめて自分の部屋はきれいにしないといけなくなった。
 午前中かけて机の上以外はとりあえずきれいにできた。あとは机の上るこれが少々面倒である。夕方にかけて年賀状のあて名書き合間に片付けるしかないようだ。残念ながらウォーキングは無理かもしれない。
 いくつかの美術展の図録やらポストカードで整理し忘れていたものがあった。さらにブログに記事を書いたもののファイリングをしていなかったものもあった。つんどく、というのは整理ができていない証拠のようなもの。我ながら情けないものがあるる
 これから買い出しということで、荷物持ちとして雇われた。喫茶店でのコーヒー1杯につられた。