Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

ほぼ1日中パソコンと格闘

2015年12月20日 23時44分05秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は一日中パソコンに向かって退職者会の会報作成と、明日の幹事会に向けた資料づくり。途中夕刻に横浜駅までコーヒータイム、さらに1時間ほどのウォーキングは行うことができた。
 しかしさすがに今の時間、目の疲労が強い。暫くの間目を休めないとかなり目の周囲の筋肉も披露している。液晶画面に焦点が合わなくなってきており、感で文章を打っている。
 明日までに記事をあと1本は仕上げておきたい。年末年始の休みがあるので原稿の締め切りが1週間以上はやく締め切らないといけないのがつらい。しかも記事が満載。4頁にすればスペース的には楽だが、原稿を作るのは大変。ということでいつものとおり2頁だて。ギュウギュウ詰めとなってしまった。


日曜美術館「国吉康雄」

2015年12月20日 12時59分11秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 本日の朝食後にNHKの「日曜美術館」を見た。国吉康雄を放映していた。ちょうどフジタの最後の部分のところで悩んでいたので、フジタと対極の体験と指向をした画家として興味深く見ていた。映像では触れていなかったが、フジタが戦後日本を脱出し最初に訪れたアメリカで、個展の会場の入口に国吉康雄が陣取って「戦犯藤田嗣治」を告発していた。フジタはこの後再度パリへ出立する契機となった出来事となったと思われる。
 ともに戦争の世紀に国家と世論の動向、そして政治に翻弄されたという点では共通する。だが、国吉は父からの援助もなく、絵とは無縁に渡米し底辺の労働体験をしながら、「個」として目を養って画家となる。しかし戦争によってフジタとは逆にアメリカ軍への協力と戦争プロパガンダを強いられる。国吉にとっては耐え難い体験であったようだ。その評価はさまざまな視点や観点があるようだが、一方でその抵抗の中から画業の飛躍を得たという評価もある。
 対極にフジタはある数年間の貧困は体験するものの始めから「画家」として当時のパリで成功を勝ち取る。そして日本の軍部と政権に強いられつつも戦争画に自分の画業の飛躍を見出す。
 フジタは日本を追われるように脱出する。一方フジタを弾劾した国吉は直後にはレッドパージによって再度アメリカ政府からの圧力を、躱したとはいえ再度経験する。断罪するものがいつの間にか断罪されるという、国家というものに翻弄された生涯を送る。
 ともに最晩年は日本国籍からそれぞれフランス、アメリカの国籍取得という方向となる。
 両者の共通点と相違点は何だったのか、番組は私にとってはひとつのヒントにはなったように思う。番組のナレーターはどうしても「日本人国吉康雄」を強調しようとしていた。それを断定的に否定するだけの知識はないが、そこには国吉康雄の本質は無いように直感している。今後の私なりの課題かもしれない。