Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

伊藤若冲「雷神図」

2015年12月19日 22時00分07秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 伊藤若冲の水墨画の一枚。この作品を見て、まずはなぜ逆さに展示してあるのか、と普通は思う。その次に、描かれているのがよく解らなくても笑いを誘われる魅力に気がつく。その次に題名を見て雷神の子どもないし、子どもの雷神が地に落ちたのかと想像してみる。というのが認識の流れだと思う。
 最後に「そういえば雷が落ちる=落雷」ということを笑い飛ばしている作品なのかと想像する。現代の漫画の原点のような作品だと思った。
 1700年代の江戸時代の人々の笑いと、私たちの笑いが時代が離れても通じ合うものがあるということが伝わってきてホッとする作品でもあると思う。
 解説によると「雲くらき そらにふきくる風みえて 神なりさはく をともすさまし」という賛者不詳の賛があるとのこと。ウィットの効いたテーマは大津絵の源があるとのことが記載されている。落とした雷鼓を釣るという「雷公の太鼓釣」というのは安永期の流行であったとのこと。
 いわれを知らなくても、楽しめる作品である。動植綵絵のようなある意味では作品自体に緊張感があふれ、音をたてて息をつぐのもはばかれる作品群とは違った親しみがある。このような対極的な作品群があることがひょっとしたら「大家」といわれたり「一流」と云われる芸術家の力量なのかもしれない。作りあげる作品にいい意味で解釈や感動に幅があり、鑑賞者にさまざまな刺激をもたらしてくれることが優れた芸術家なのであろう。

カラオケ恐怖症

2015年12月19日 11時59分34秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は午後からカラオケスナックで開催している退職者会のカラオケ大会。
 何が嫌だといってカラオケで歌わされること。いや人前で歌わされることほど嫌なことはこの世にはない。だから申しわけないけれどもあくまでも「取材」だけである。ビール1杯くらいは飲むかもしれないが、写真を撮って、出場者一覧などをもらったらすぐに退散させてもらう。

 私は歌わなければならない場には断じて近寄らないことにしている。小学校1年生からの決意である。これだけはどうしてもお断りしている。もしも老人ホームに収容されようが、地域の老人会に入れさせられても、他人とともに歌を歌うなんてことは断じてお断りである。ひょっとして強要されたら、それこそ暴力沙汰を起こしてでも逃げ出すはずだ。音楽に合わせて踊ったりすることもこれまたとても嫌いである。たぶんボケ症状が亢進していても変わらないと思われる。娘にはこのことはキチンと念を押して伝えておかなければならないと思っている。妻にはもう伝えてある。私に歌を強要するような施設には断じて入れるなと。
 組合の行事などでは「長」の大切な役目としてカラオケで歌うことが求められてきたが、私は他の役員にお願いしていつも逃げてきた。どうしてこうも日本ではカラオケがブームなのか、私には地獄である。私はカラオケのない世界に逃避したいのである。カラオケがなければこの世はかなり住みやすくなると思う。

 といっても人が歌っているのを聞くのは嫌いではない。楽器の演奏も嫌いではない。音楽を聴くことはとても好きである。音楽を聴くことができない生活もまた想定できない。
 協調性がないと云われようが、どうしても嫌である。これを強要する人間とも付き合いたくない。