Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

明日から新学期?

2014年05月06日 23時09分46秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 明日から神奈川大学のエクステンション講座が始まる。長い春休みであった。しかも今回14講座も申し込んでしまった。
 俳句の講座はその影響で割愛してしまった。句会を兼ねた講座は昨年半年だけ受講して後期は申し込んでおらず、服部土芳の三冊子の購読だけを申し込んでいた。これはとても面白かった。講師の復本一郎氏の講義もとても歯切れがいいし、とても豊かな知識と経験をお持ちである。大変魅力的な方である。今回は去来と許六の往復書簡の購読ということでこれも受講したかったが、金額的に無理となった。今年度の後期にはまた申し込んでみたい。
 他にも申し込みたかった講座がいくつかあった。表題でいうと「昭和の民衆史」「丸山真男の近代思想史」「源平盛衰記を読む」等々。金銭的にも厳しいし、時間的にも他と重なるので受講が困難となった。
 この歳だから受講できるうちに受講してしまいたいという思いと、無理をしても頭が飽和状態になり、金銭的にも破たんするという事態との兼ね合いが難しい。
 組合の退職者会の仕事もあるし、この程度が限度と納得している。



 明日からの講座は「桃山絵画の四大巨匠を紐解く」(講師:藤浦正行氏)。狩野永徳、長谷川等伯、海北友松、雲谷等顔等にスポットを当てて、鑑賞するというもの。等伯・友松ともに魅力たっぷりの画家である。楽しみである。

 また旧知の友人と同じ講座で同席するのはたしか土曜日からである。楽しみである。洗濯した講座がかなり重複している。問題意識が共通なのだろうか。そこらへんの本音もお互いに開陳したいものである。

 長い春休みであったが、宿題が残っている。先ほどアップした「バルテュス展」のその2が残っている。これは明日にはアップしたい。また、先日訪れた「日本絵画の魅惑」の後期展示を訪れた感想を書くこと。これは来週中に実行したい。そして退職者会のブロックの会報5月号の作成をである。これは17日締切で完成しなくてはいけない。いづれも時間との勝負である。結構時間に追われることになりそうだ。




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「バルテュス」展感想(その1)

2014年05月06日 19時06分43秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
         

 「称賛と誤解だらけの、20世紀最後の巨匠」「これは本当にスキャンダラスなのか?」「その核心には、観た者しか迫れない。」「ピカソをして『20世紀最後の巨匠』といわしめた画家」といううたい文句が大きく先行する展覧会を見てきた。
 どうもコピーばかりが先行する展覧会で、「チラシを見た限りではあまり理解できないなぁ」という印象しか湧かなかった。
 これまでバルテュスという画家の作品はチラシの3面の左上にある「キャシーの化粧」(1933)位なものである。この絵を見ても三人とも顔がばらばらの方向を向き、視線はまったく交わらない。若い男女の破局直前の雰囲気すらあるが、かなり若いと思われる女性が裸体である必然性も伝わらず、何かスキャンダラスな絵にしか思えなかった。
 チラシでも「『この上なく完璧な美の象徴』(バルテュス)である少女を生涯にわたり描き続けた」と記載されているとおり、挑発的なポーズの少女達に戸惑いを感じていた。
 画家は1908年生れで2001年に亡くなっている。1967年59歳で25歳の日本女性と結婚している。今回の展示も彼女が大きくかかわっているようだ。

 今回展示を見るにあたって事前に疑問をいくつか整理しておいた。
 「少女」へのこだわりと何か。人物像以外の作品は何か。ピカソの言葉の意味は何か。画家にとっての「日本」とは何か。この4点について糸口があるのか探ってみたかった。



 画家は10代末からイタリアルネッサンス初期の画家フランチェスカ(15世紀)の模写を行い、大きな影響を受けたらしい。この画面はフランチェスカの「聖木の礼拝」の原画である。初期ルネッサンスということでビザンチン様式が色濃くあり、遠近法についての著作もあるようだが、この絵では平面的で立体感の少ない画面構成である。特徴は人物の顔・視線など相互関係があいまいである。と同時にドラマを内に包み込んで宗教画にふさわしい静謐な雰囲気を作り出している。人物の関係の曖昧性は若い画家に大きな影響を与えたように思う。

   

 上は「街路」(1933)、下は「コメルス・サンタンドレ小路」(1952-54)。この2点は今回の展示にはなく、図録から取った。ともに遠近感を無くした街角で、登場人物が互いに顔も視線も交わることなく、関係性を消滅させている。にも関わらずきわどいドラマ・事件が書き込まれている。「街路」では左端の男は痴漢行為であり、真ん中の人物は大きな材木用の物を抱え、こちら側を向いた男とともに傍若無人に通りを闊歩している。右の絵も左には男女の濃密と思われる語らいがある一方、老人と幼児が向かい合わせに座り込み、無関係な男女と犬が配置されている。一瞬の時間の停止によってもたらされる関係の喪失が、安定を失っている世界の象徴のようだ。現代の都市の中にあるシュールで喪失・不安・不条理の世界と初期ルネッサンスの画面構成上の特徴が技法的にどこかで通底しているというのが、私の直感のような理解である。
 意外とバルテュスという画家、古風な伝統の上にたった表現をしているのかもしれない。第一章「初期」の展示でそう思った。

 画家としての実質的なスタートは、1934年の個展からとなる。ここでは注目を惹くためにあえてスキャンダラスな絵を展示したということになっている。



 ここに掲げたモディリアーニの女性像を彷彿とさせる「鏡の中のアリス」(1933)、チラシの3枚目の左上の「キャシーの化粧」(1933)などとともに「乗馬服の少女」(1932)も出品された。
 「鏡の中のアリス」のモデルは兄の友人の妻であり、「キャシーの化粧」は後に妻となるアントワネットである。その容貌から「乗馬服の少女」も同じモデルと思われる。
 普通兄の友人の妻をこのように扇情的に描くことがあるであろうか。また21歳の恋人をこのように描いて展示するであろうか。私はスキャンダラスな個展にするために敢えてそのような絵を創造したのではなく、もともとアトリエの中で描きためていたものを発表しただけと考えた。
 すると私はこの「鏡の中のアリス」という成熟した女性に、男が誰でもが持つであろう性的な未成熟、あるいは成長期における性的な多少の傷・劣等感が反映しているように見えてきた。他の男より少しだけ事態が重く、通過が長く苦しかったのかもしれない。そのような倒錯を見ることもできるのではないか。

   

 そのような表現に行きついてしまうことは一般的には理解が困難かもしれないと思っているときに「乗馬服の少女」が目についた。さらにもう1枚、この展覧会の後に描かれた自画像がある。ここに掲げた「猫たちの王」(1935)である。
 まずこの自画像を見て私はこの画家が極めて自尊心が強く自己陶酔的なナルシズム的指向を強く感じた。女性に対しする支配の指向と同時に、その逆にストイックな関係も想定される。そして幼さを持つ若い婚約者をモデルにしたと思われる「乗馬服の少女」を見て、通過儀礼の若干の困難さが「少女」への憧憬に向いたものではないだろうか、と考えてみた。
 「鏡の中のアリス」はこれまでの情念への決別。「キャシーの化粧」と「乗馬服の少女」、「猫たちの王」は画家が将来に向けてこだわりを持って描く対象・衝動の発見でもあったのであろうと考えてみた。
 今回の回顧展では隠されているとしか思えない女性遍歴と、その遍歴を描く衝動としたと思われる画家の姿が浮かび上がってこない。
 40歳代前半までに「夢見るテレーズ」(1938、チラシ1枚目)、「眠る少女」(1943)、「美しい日々」(1946、チラシ2枚目上)、「決して来ない時」(1949、チラシ2枚目左下)、「猫と裸婦」(1950)などのスキャンダラスな少女の裸体画を執拗に発表していく。

 これらの作品に出て来る少女の足元にたたずむ猫が画家の分身であるらしいということと、「美しい日々」ではネコが登場せずに、暖炉に薪をくべている男が登場する。これも作者の分身と私は思えた。あの「猫たちの王」という自画像に出てきた画家本人であると思える。自己陶酔的な自画像の男が、少女のために奉仕するという「美」の象徴たる少女と画家の関係も示唆しているようだ。
 ここでもうひとつ気付くのは解説にもところどころ触れられているが、少女たちの格好は構図上の要請に基づいて不自然なものが多いが、古い絵画を倣ったものが多くあるようだ。画家の古典的な絵画への指向を強く感じた。決して西洋絵画の歴史からはみ出た絵画ではないようだ。顔の表情や視線の曖昧さ、ポーズの不思議さに対する違和感が薄れてくる。
 無垢な存在としての幼児と、大人の女性の境界に存在し、男との関係(性的成熟)に戸惑いつつ、自己を持て余しかねない危うい存在としての少女を、人間存在を解く重要な存在としてとらえようとした画家の執念すら感じた。
 スキャンダラスな扇情的なポルノ作品とは一線を画した絵画と云われるゆえんかもしれない。そこのところは、しかし私はまだよく理解できない。

 少女期・少年期の性的な抑圧状態とそれからの解放の希求は、女性性・男性性を根底からも問い直そうとする衝動すら伴っている。画家はこのような問いかけを後年までこだわり続けたのだろうか。ここら辺は私にはわからない。通過儀礼のようにいつの間にか青年になり、老年になり、衰えていく肉体と性的衝動と付き合っていくしかない私たちとは、かなりの異質を感じないでもない。しかしどこかでこれにこだわる気持ち、通底する気分も否定できない。いつまでたってもわからないことのひとつである。




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横浜は震度4(その2)

2014年05月05日 18時06分05秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 今朝の地震、体感的には震度3位かと思った。物が倒れたり、扉が開いたなどの事態も起きなかった。同じ震度4との表示が出た埼玉南部に住む知り合いからは、食器棚の引出が飛び出たという知らせがあった。私の住まいは5階建ての1階で地盤がかなり固いところである。そうでないところとでは条件も違うので一概には比較できないが、横浜中心部はそれほど揺れていないような気もした。

 長周期振動での高層ビルの被害は、遠隔地で発生すると聞いている。今回はマグニチュード6.2ということでそれほど遠くには到達しなかったし、早朝で業務についている方も少なかったと思う。しかし休日出勤や24時間業務が必要以上に蔓延している時代である。対策が必要なことは確かだ。
 3.11の時も横浜では11階建てのビルでも、図書が満載のキャビネットが頭上を飛んで恐怖を味わった仲間が多数いた。高層ビルが大都市圏だけでなく住宅用のマンションとしても各地に乱立する時代、この対策は急務である。
 また、20数階建てのマンションの住民にとってエレベーターが動かなければいくら若い人でも、食糧や水を抱えての階段の上り下りはかなり困難である。高齢者には無理である。高層ビル対策は待ったなしの時代である。

 さて、今回は震度5弱の地点が都内の中心部ということで、気象情報サイトからの地震情報と行政情報、新聞情報の外、電車の点検に伴う遅延予定、遅延などのメールが25本ほど立て続けに来た。さらに雨が降りそうな雲ゆきでその情報も続いてきた。
 その間にテレビを見ながら、ツイッターで地震速報を検索したり、友人にメールを送信して安否を聞いたりしていたら、スマホの電池残量が20パーセントを切ってしまった。いつもは充電しながらベッドの脇に置いておく携帯電話だが、昨日は夜寝るときに充電用の線を接続しないまま眠ってしまっていた。
 これでは実際に停電などになった時に不便である。もっとも携帯型充電器が3台あるので、平均5回分は充電できるように備えている。しかし停電になったり、実際に交通がマヒしたらこれ以上の大量のメールが来ることになり、電池の消耗はもっと激しくなると思われる。
 実は昨日夕方に横浜美術館で鑑賞中に充電しようとしたら充電器が空の状態で、あわててドコモショップで充電するという失敗をしたばかりであった。そんな失敗をしていながら、酔っぱらって帰宅してそのまま充電せずに寝てしまっていた。気を付けないといけない。

 本日の地震ではガスのメーターの自動遮断でガスが止まった、ということで都内では通報がかなりあったらしい。このこと自体はガス供給者の安全対策の一環だが、復帰の方法がわからず混乱があったようだ。ガス会社からは周知されている操作だが、高齢化社会では徹底するのはなかなか難しいようだ。これが過疎地域ならもっと難しい。生命の危険もあるかもしれない。東京都内でも過疎地域はある。冬の大雪でそのことは露呈済みである。
 我が家では、慢性病の薬7日分と常備薬の確保は出来ている。食料も特定の保管はしていないが、保存食を使えば夫婦2人で3日は何とかなる。登山用の装備を援用すれば燃料もある。照明は登山店で購入した蝋燭もたくさんある。いざとなれば食用油と紙と小皿があれば、昔の行灯のように使えることは、学生時代のアパート暮らしで実証済みである。盲点はタバコを吸わない家庭にはライターが無いことである。自動点火のガス台はガスが出ないと火は点かない。
 風呂の溜め置きで下水・洗身用は何とかなる。最低限の洗濯も手洗いでできる。しかし飲料・食糧用の水の確保が難しい。常時水道栓からタンクを経由して水を利用している沖縄のような仕組みが無いと、一般の家庭に水の確保を呼びかけても無理があるのではないだろうか。ただし沖縄の方式も大型過ぎて衛生管理の点からは費用もかかる。構造の強度確保も大変である。夫婦2人ならば18リットルタンク程度のものを循環式で台所に設置すれば何とかなるのだが‥。




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横浜は震度4

2014年05月05日 12時22分42秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 5時18分の関東地方の地震、さすがに眼が覚めた。最初の小さい振動の後に、普通は横揺れが来るのに、引き続き縦揺れが来たので、震源が深く近いらしいと勝手に判断していた。そして結構長かった。テレビを点けたら、伊豆大島近海で深さ160キロという深い箇所での地震であることがわかった。
 我が家のセキセイインコのオスの方がバタバタと大騒ぎ。隣の籠のメスの方は泰然として落ち着いたもの、というか鈍感なのか。夜用の風呂敷を取り除いて顔を見せたらオスも落ち着いて止まり木に戻った。人になれずに普段は人の手から逃げることしかしないインコだが、とりあえず私の顔を見て安心した様子を見せてくれた、うれしかった。もっとも人間が悪戯して籠を揺らしていると勘違いして騒いでいた可能性もある。

しかし千代田区が震度5弱というのにはびっくり。深い震源なので津波はなさそうだと勝手に判断して気分的に楽になった。しかしこれは自分でも過信というか、早過ぎる判断だったと反省。もう少し冷静に報道を見極めてから判断すべきであった。結果的には津波はないと報道されたが‥。

 関東大震災では大きな風評被害が起き、大変な惨事につながった。朝鮮人虐殺や、軍部による大杉栄殺害事件など反体制派への弾圧に繋がった。地震とその後に起きる火災などの極限状況での被災には、流言飛語が危険である。マスコミが混乱し、行政も麻痺した時ほど、冷静に客観的に事態を見極める力が必要である。
 普段から地震災害グッズの用意が奨励されているが、肝心の冷静な判断への呼びかけはなかなか浸透していない。
 今回も、関東大震災を引き起こした地震と地図の上での位置が似ているから要警戒だとか、大きな余震が来るとかのまことしやかの情報がツィッター上を飛び交っていた。少なくとも深さに着目すれば、関東大震災を引き起こした地震とメカニズムは違うことくらいわかる。少し地震に関心があるならばその程度の認識はしっかり踏まえた上で、発信して貰いたいものである。
 日本列島が地震の巣であり、いつ大きな地震が起きても不思議ではないのは周知の事実である。しかし地震の予知は極めて困難であり、今の段階ではとても予知などできないといわれている。だから地震に対する備えは必要である。
 だからといってすべての地震をメカニズムも考慮しないですべて関連付けて発信するのはあまりに無責任ではなかろうか。国の機関がこの手の無責任な発信にいちいち反応したり、否定するのは、国家が個人の発信を規制するということになり避けなければならないが、かといってあのような無責任な発信に科学的に対抗するには個人の力では限界でもある。
 正しい発信、そして流言飛語に対する対応が必要であろう。地震メカニズムの解明や予知が困難であるだけに、流言飛語はひどくなる。もっとも事前の前兆現象と云われるものの解明も未だ結論が出ていない。特にスロー地震の発見で前兆現象で考慮しなくてはいけないものもいくつもある。
 極めて困難ではあるが、科学的に冷静に対処しなくてはいけないものを踏まえた発信を少なくとも求めたいと思う。



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混雑・にぎわい・・

2014年05月04日 14時53分58秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 連休の最中の横浜駅地下街。13時前は何時もより少ない人通りであったが、14時を過ぎたら一気に人があふれるようになった。メイン通りは真っ直ぐには歩けない。
 家電量販店もごった返している。これは早々に退散しなくてはいけないのだが、人と約束をしてしまった。
 時計の修理は無事安く完了した。助かった。
 昨日時計を忘れた経過がふとよみがえってきた。ベストのポケットでは落とす可能性があると判断して、リュックに入れ替えようとした。その時に外の通りで人声がして気を取られてしまった。私とは全く無関係な話し声だったのだが、リュックに時計を入れる動作が中断して、完結しないまま次の用意のための動作に移ってしまったのだ。他に気を取られてしまったのがいけない。
 気もそぞろになりやすいのが、「歳を取る」ということなのか?




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忘れ物

2014年05月03日 23時31分51秒 | 山行・旅行・散策
 夜になって風が強くなってきた。昨日はだいぶ日に焼けた。歩いたことによる疲労よりも、長時間日に当たったことによる疲れの方が大きいような気もする。
 ということで、本日は休養。といっても昨日の経過をアップするのに朝から13時過ぎまでかかってしまった。
 15時過ぎになってようやく外に出て見る気になって、横浜駅まで地下鉄を利用してみた。普段なら歩く距離だが、何となく地下鉄の改札口をフラフラと通ってしまった。 実は昨日、ウォーキングの最後のところで腕時計のバンドが外れてしまったので、本日修理してもらおうと思っていた。出かけるまではベストのポケットに確かに入れていたのだが、店についてポケットを探ったが、肝心のバンドの壊れた時計が出てこない。肩掛けの鞄の中身をすべて出したり、服のすべてのポケットを探したが出てこない。店員に声を掛ける寸前に気付いたから良かったが、慌てて家に戻り家の中を探したがやはり見つからない。
 散々家の中を探して、諦めかけたころになって妻の化粧台の上に無造作に放り出している腕時計を見つけた。どうやらベストのポケットにしまった後、無意識に取り出したようだ。
 横浜駅に出かけたにも関わらず、まったくの無駄足となってしまった。しかも帰途は歩くつもりだったのだが、つい地下鉄に乗ってしまった。何とも情けない一日であった。
 明日こそはこんな失敗をしないようにしたいものである。

 歳をとると、だんだんとこのようなことが多くなってくるはずだと、先輩に言われてきた。残念ながら身につまされる年齢となってきた。




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箱根旧街道を三島へ

2014年05月03日 13時35分40秒 | 山行・旅行・散策
 小田原駅東口からのバスで箱根町で下車して歩きはじめる計画を立てた。連休中ということで混雑と渋滞を心配した。バスの乗客は少ないが渋滞で箱根湯本駅まではノロノロ。結局箱根町には30分近く遅れて11時過ぎに到着した。



 歩き始めて箱根旧街道の起点である「芦川入口」を探したが、これがなかなか分かりにくい。登山地図を見ながら恐る恐る歩いてようやく駒形神社の先に入口の標識を見つけたが、外輪山のハイキング道と重なっていて戸惑った。

   

 芦川の石仏群から先が石だたみの復元路になっている。これがかなり急である。登り切って1号線とぶつかったところの直ぐ右手に道の駅があり、一休憩。
 ここから箱根峠までがまたわかりづらいし、とても危険。歩道のない一号線を車に怯えながら案内標識もないところを、車用の「三島」方面の標識をたよりに歩いたが、スピードを出して行きかう車がとても怖い。ここを歩道もなく、案内標識も信号もなく横断歩道もないところも横断するというのは「ハイキング」道としていかがなものであろうか。
 箱根峠の茶屋を見つけて旧道入口を教えてもらったときはほっとした。この茶屋付近がハイキング用の出発点になるようだ。





 箱根峠から旧街道に入るとすぐに笹がかぶさる気持ちのいい道が続く。道沿いにはヤマザクラ・ボケ・ツバキ・スイセン・イバラなども咲いていて、標高の高いことを実感する。兜石という大きな案内板があるが、実際の兜石は接待茶屋跡の先にある。



 1970年ころまで茶屋として存在していた「接待茶屋」についたのが歩き始めて1時間を超えていた。

     

 道に迷わず、車に怯えなければ40分もかからないところである。ここは日陰で小さな虫が飛び回っていてお昼の休憩には不向き。歩いて5分のところに「施行平」がある。ここが開けて三島市内と富士山の眺望のよいところである。残念ながら天気は晴れていいのだが、富士山のところだけは雲が厚くかかってまったく富士山は見えない。
 昼食は小田原駅で購入した「牛ごぼうめし」と「梅じゃこめし」ともに670円。どちらにも柴漬けひょうたんが入っていた。妻も私も生まれて初めて「ひょうたん」を食べた。歯触りはとてもいい。柴漬けの味が強めでひょうたんそのものの味はわからなかったが、日持ちさせる弁当としてはやむを得ないところか。こんどは浅漬けか糠漬けでひょうたんの味を味わってみたいと思った。
 出発してすぐに兜石を過ぎた。



 掲げたウォーキング用の地図の沿道は標識も多数建っている。石だたみの道は江戸時代初め1680年頃に整備されたようだが、幅2間(約3.6メートル)で山道としては広く感ずる。ただし表面のつるつるした石のため濡れているようなときは滑りやすい。


      

 山中城跡はかなり広い敷地で、城の規模が大きかったことがわかる。北条氏の対秀吉戦の前哨戦であったがあっさりと見捨てられた形の開城だったようだ。北条氏の戦略の甘さが露呈した悲劇なのであろう。ここも富士山の眺望がいいところだが、やはり富士山は雲隠れ中。本丸跡に大きな藤と藤棚があり、まだ固い花房がたわわにぶら下がっていた。咲いたら見事であろう。
 駐車場わきに茶屋があり、寒ざらし団子に妻はご満悦。



 このような標識がたくさんあり、ありがたかった。



 富士見平というところに巨大な芭蕉碑が建っている。「霧しぐれ富士を見ぬ日ぞ面白き」。しかし晴れて日差しが強いにもかかわらず、そこだけ雲が厚いのは寂しいというか、面白くない。全体に大きくかすんでいて三島市内も見にくかった。

 

 三島宿に向かってひたすら下る道なのだが、中山城跡を過ぎると急角度での下り坂が一直線に作られている。勾配がきつく、歩いていると太ももに力がかかる。歩きなれていないとかなりキツイ。江戸時代、逆コースで江戸に向かう旅人にはかなりつらかったのではないだろうか。小田原から箱根の芦ノ湖までの登りの傾斜よりも急な気がした。長坂・こわめ坂・時雨坂・題目坂・臼ころび坂・愛宕坂など名称がそのことを物語っているようだ。

 「箱根路」と掘られた巨大石碑を過ぎると松林の古い街道の面影が再現されている。東海道線の踏切を渡ると今井坂を超えて三島市の住宅街に入る。



 市内の繁華街の手前で大場川を渡る。この新町橋が富士山の眺望地点とのことであったが、ここでもやはり富士山は隠れている。とうとう一日中私どもの前から姿を隠してしまった。すっかり嫌われたようである。手前の愛鷹山はとてもいい眺めであったが‥。

                     

 三島大社にいたり、境内で休憩をとらせてもらった。といってもベンチもないし、16時半過ぎていたのでもう休憩所なども店をたたんでいる最中の時間。このお餅が手に入らなかったのは妻には不満であったようだ。藤棚や天然記念物という巨大な金木犀、神馬堂を見た後本殿前を通って商店街へ。
 三島では鰻、という定番から逃れられないような気分で、鰻屋へ。
 500円の生シラスをツマミに生ビールにありついて一息ついた後、2700円の鰻重を注文した。
 帰りは三島駅経由で。ブログに投稿しつつも、小田原駅を過ぎると横浜駅まですっかり寝てしまった。





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先ほど帰宅

2014年05月02日 22時26分06秒 | 山行・旅行・散策
 先ほど電車の中からブログをアップしたのだが、スマホからのブログのアップはなかなか難しい。写真が上手く収まらずさんざん苦労した。文章の途中に写真が入ってしまったり、改行しているうちに文章が消えてしまったり、語彙の変換がうまくいかなかったりと苦闘させられた。挙句の果てに最初の写真は上下反対であることに今ようやく気が付いた。
 電車の中の操作故の難しさを理解していただき、ご容赦願います。
 今回のハイキング、思い付きに等しいあわただしさで出発したので、登山地図は10年前のものを使った。やはり新しい道路などが出来ていてかなり戸惑った。登山であればとんでもない話である。
 同時に途中で手に入れた「三島夢街道」というパンフレットがあって助けられた。地図は新しいものを揃えないといけない。

 歩数は家を出てから、帰宅するまでで約39500歩、約25キロメートルほどであろうか。早く歩いたわけではないが、意外と傾斜が急なのでビックリ。太ももに力が入りっぱなし。ひょっとしたら、箱根湯本から芦ノ湖までよりも平均勾配はきついかもしれない。逆コースとなる三島宿から芦ノ湖の方が大変のように思えた。

 今回のウォーキングで、旧東海道歩きはようやく東京都と神奈川県を超えて静岡県に入ったことになる。これまで日本橋から芦ノ湖まで何回となく、コースを変えて歩いてきた。特に日本橋から品川・川崎・神奈川・保土ヶ谷・戸塚・藤沢・大磯の区間は幾度も歩いた。
 道の整備の状態も自治体ごとに違いもあり、あるいは国の管理区域もあるが、却ってそれも面白い。旧道にこだわった街づくりをしているところもあるし、ひっそりと控えめな看板のところもある。それぞれに歩く楽しみに違いがある。

 詳しい報告は明日にでも掲載予定。




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予定どおり三島までウォーキング貫徹

2014年05月02日 19時05分09秒 | 山行・旅行・散策


 無事に三島駅まで歩きとおすことが出来た。家を8時に出発してから、小田原を9時40分のバスで11時に箱根町バス停に到着。
 10時35分に到着の予定であったが、やはり連休の影響で渋滞で25分の遅れ。やむを得ないところか。予定より30分遅れの11時30分に箱根町バス停を出発。小田原駅で買った駅弁を途中で食べて、17時に三島大社に着いた。

 三島では鰻を食べないといけないというミーハー気分でビールと生シラスと鰻重で満足して、三島駅を18時40分発。

 残念ながら富士山は終日雲の中。
 今のところ歩数は3万8千歩、23キロメートルは歩いたであろうか。
 詳細は明日以降アップ予定。





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箱根から三島へハイキング

2014年05月01日 20時34分13秒 | 山行・旅行・散策
 明日は連休の合間であるが、平日であるということで、箱根から三島駅まで石だたみの道を歩いてみることにした。歩いて4時間30分ということらしい。以前に、箱根から箱根湯本まで東側の石だたみの道は歩いたことがある。その時は子供を連れていた。今度は夫婦2人だけで西に向かって三島駅まで歩く計画である。富士山を見ながらのハイキングになるはずである。
 朝8時半前に横浜駅を出る東海道線で小田原駅まで行き、昼食用の駅弁を購入してからバスで箱根町まで。
 歩き始めてから1時間ほどの元接待茶屋あたりで昼食休憩を取り、16時30分ごろには三島駅に到着したいと思っている。到達地点には温泉がないのがとても残念であるが、今回はやむを得ない。
 明日は天気は良いようだが、結構気温が上がるらしい。25℃という予想もある。帽子は必需品のようだ。
 これから準備をする。朝はそれほど早くないので楽である。問題は小田原駅から箱根町までのバスの混雑状況。このバスが混雑していないことを祈るのみである。

 不思議なもので、ハイキングや山に行くとなると我ながら実に手際よく準備ができる。リュックに入れる着替え・洗面具・カメラ・地図・手帳等、着ていく服‥。
 これがハイキングや山以外の旅行だとけっこうもたもたする。今はもうそういうこともないが仕事だとか、気が進まない旅行だと幾度も荷物を詰め替えたりしなくてはいけない。その上、詰め替えるたびに忘れ物を思い出す。







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躑躅(つつじ)

2014年05月01日 17時30分55秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 風は多少強めだが、とても暖かい。少し早目に歩くとすぐに汗ばむような気温になった。庭や街路樹のツツジが明るく咲いている。例年よりもだいぶ遅いようだが、ツツジが似合う季節というのは明るい。我が家では本日昼から半袖のシャツを出した。朝はいつものとおり長袖のシャツを着て出かけてしまった。
 しかし家の中でパソコン画面の前にいると体が冷えて、二の腕あたりが何となく涼しく感じる。半袖に慣れるまでしばらくはこの涼しさが気になる。



 ツツジは漢字で記載すると「躑躅」となる。恥ずかしながら私は勤めるまで読めなかった。躑躅とはツツジと別物の何か恐ろしいものの名前のような気がして、調べもせず放置していた。就職後しばらくして、仕事の関係でツツジ=躑躅ということを知り、びっくりしたことを覚えている。
 私のツツジのイメージはメーデーと不可分である。メーデーのデモの途中、毎年高木の街路樹の間を埋めるように植えられている燃えるようなツツジに沿って、横浜市内の中心部を歩いてきた。そんなデモを就職してから37回続けて経験した。退職後も3回続けた。

★岩相は神の悪戯つつじ咲く  奈良和子
★回廊の軋む音してつつじ燃ゆ  関ただお
★死ぬものは死にゆく躑躅燃えてをり  臼田亜郎
★うつうつと大嶽の昼躑躅さく  飯田蛇笏
★つゝじいけて其陰に干鱈さく女  芭蕉

 最初の句、「つつじ」の明るさがあるから「神の悪戯」と気持ちよく言い放つことが出来るのだろう。
 二句目、「軋む音」が「つつじ」と呼応すると途端に暖かいゆるやかな音に変化して聞こえるから不思議だ。「咲く」ではなく「燃ゆ」がいい。
 臼田亜郎の句、躑躅という漢字がぴったりだと思う。あの豊穣な燃え上がるような明るさはサクラ以上に植物の生命相を暗示するのではないか。いくつかの歳時記ではこの句が一番気に入った。
 飯田蛇笏の句も、「さく」は平仮名にしながら「躑躅」は難しい漢字をわざわざ持ってきている。「うつうつと」に呼応するように。しかし「鬱々と」ではないのはどう解釈したらいいのだろうか。そう思いつつ「昼」というのがとても気に入っている。
 結構堅いイメージの芭蕉だが、このように多くのちょっと艶めかしい句も多い。それが芭蕉の句の魅力でもある。俗世間から超越しているような芭蕉のイメージが定着してしまっているが、連句・歌仙の場ではそんなことだけでは通用しなかったはずだ。




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